400 / 928

23-17 アキヒコ

 ただ俺は、水地(みずち)(とおる)大明神(だいみょうじん)主神(しゅしん)として(たてまつ)神官(しんかん)やという事なんや。俺が命がけで守らなあかんご本尊(ほんぞん)はあいつなんやで。  でも、それは、(とおる)が他の神より(すぐ)れているからではない。俺にとって、あいつがたまたま、(いと)しいツレやというだけのこと。  ほんのちょっとの運命の悪戯(いたずら)偶然(ぐうぜん)の結果や。  そやから結局、どれも皆、客観的(きゃっかんてき)に見れば、優劣はないんや。誰も皆、(うるわ)しい素晴(すば)らしい神さんばっかりなんやで。  水煙(すいえん)の新しい姿は確かに好きやけど、でも、俺がほんまに(ふる)い付くような魅力(みりょく)を感じるのは、あいつの元々の姿のほうやろうと思う。  あれがほんまの神の姿や。たとえ、(みにく)い鬼が(ひそ)んでいても、それが水煙(すいえん)の本当の姿や。俺はそっちを愛してる。  そやから人にも、それを愛してほしい。けど、いきなり見るには、刺激(しげき)が強すぎるからな。(げき)ではない、一般人には。 「俺が好きなん? 俺を一番愛してる?」  ジトッと(うたが)わしそうに、それでも(とおる)は甘えた声で、俺に(たず)ねた。  (うなず)いてみせながら、俺は(とおる)を抱きしめて返事した。 「お前を一番愛してる。お前のためやったら何でも()てられる。でも、それやと生きていかれへんやろ。お前も、俺も。お前かて、俺がおったら藤堂(とうどう)さんは死んでもええわとは思わへんのやろ?」 「……そんなことない。選べというなら、あいつを殺して、バラした死体をお前に見せてやってもいい」  暗く思い()めたような目で、腕の中にいる(とおる)が俺を見上げてきたので、俺は(あせ)った。そんな目してたら、ほんまにやりそうに見えるで、お前は。 「そんなんしいひんでええねん。そんなんしたらお前は悲しいやろ。俺も悲しい。なんでか知らんけど、俺はあの人好きやねん。お前が中西(なかにし)さんのこと好きでも、しょうがないと思う。でも、できたらいつも俺のほうを選んでくれ」  抱きしめて(たの)むと、(とおる)はしばらく黙っていた。  (うる)んだような沈黙(ちんもく)やった。なんか泣きそうなってるらしい。  まさか怒ってんのかと俺がビビる(ころ)(とおる)はやっと、ぽつりと答えた。 「いつもお前を選ぶ。せやしアキちゃんも、いつも俺を選んでくれ」  ぐにゃっと脱力(だつりょく)して甘えてきて、(とおる)はほっと安心したように、俺の腕の中で(なご)んだ気配(けはい)を見せた。 「うん……」  うん言うてもうた……。  大丈夫か、俺。その場の(いきお)いでそんな約束(やくそく)をして。(うそ)にならへんか。  でも、そう答えると、なんでか自分も(やす)らいだ。そういう一生やとええなあと思った。  いつも(とおる)と一緒に()れて、俺はいつでも、こいつを選ぶ。(とおる)はいつでも、俺を選んでくれる。そしてずっと二人で固く抱き()うてられたら、きっと俺は幸せなんやろう。  そして、抱き合いながら絵を描いて?  なんでそうなるねん、俺。また妄想(もうそう)が復活してきてる。  そやけど、決して変な意味でなく、俺はおとんがなんで寝床(ねどこ)で絵を描いていたか、実はちょっと分かった。  ずっと抱き()うときたい相手が()って、しかも絵も描きたかったら、抱きながら描くしかない。しょうがないねん、それは。新聞読みながら朝飯食うみたいなもん。ベッドでいちゃつきながらパン食うようなもん。  お行儀(ぎょうぎ)悪いし、変やけど、でも(おぼろ)はそんなん気にしいひんのやろ。  時にエロくさくはあるかもしれへんけども、にこにこ楽しそうに絵を描いている、(おぼろ)と、おとんを想像すると、それはちょっと(なご)やかで、楽しそうな絵面(えづら)やった。  肌に描かれて、くすぐったいわあって、くすくす笑う、あの美声(びせい)とか。やんわり(もだ)えて、先生は絵が上手(じょうず)やなあと()めてくれる時の、(やさ)しい目とか。  それを、うっとり(なが)めて、おとんも得意(とくい)げやったろうか。その時には俺と大差(たいさ)ない(とし)の、ただの小僧(こぞう)やったんやから。  でも、そんな(みょう)な遊びの情景(じょうけい)に、()やされていたんは、俺のおとんの方だけか。  (おぼろ)様の話では、おとんがあいつに絵を描く時には、俺が風呂場(ふろば)で遊んでもらったような、ああいうのやのうて、ほんまに画材(がざい)使って絵を描いたらしい。日本画の、(にかわ)顔料(がんりょう)と、(すみ)(ふで)でな。  ()(ぎわ)の朝いつも、()(ずみ)みたいに絵を描いていき、そのまま服着て仕事行けと強請(ねだ)ってゆくらしい。  そして、その人肌(ひとはだ)の絵にも、ちゃんと雅号(がごう)は入れてある。暁雨(ぎょうう)と。落款(らっかん)まで()してある。ハンコやで。  俺は思うんやけど、おとんは絵もやけど、実は自分の名前を書きたかったんやないか。(おぼろ)様の(はだ)の上に。これは俺のもん。誰にもやらんて名前を書いておき、それを口には出さへん。  たぶん()ずかしかったんや。  おとんは口の上手(うま)い男やったかもしれへんけど、どうせ俺のおとんやで。きっと、ちゃんと伝えていない、肝心要(かんじんかなめ)のところがあるわ。  だけどそういうのは、ちゃんと言わんと伝わらへん。伝わるけども、確信がない。  (おぼろ)はおとんの()(まま)を聞いてやり、ほんまに軍服の下に、おとんが描いた絵を着ていってやってたらしい。  それはなんとも、淫靡(いんび)な話やで。そんなんしてやるのは、(おぼろ)もおとんを愛してたからやないのか。  (しき)やし、そうせえと命令されたからか。  そうやないと思いたいんやけどな。あいつも愛を知ってると。

ともだちにシェアしよう!