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23-19 アキヒコ
「そんなんしたいの……?」
批判的 に訊 かれ、俺はすでに顔、赤かったかもしれへん。照 れ屋 なんやし、しゃあないよ。頷 くまでは返事したけど、でももう無理やし。限界 やしな。
「いや……ええねん、忘れて。お前が嫌 なんやったら、そんなんせんでええしな」
やっぱりもう終了終了と、俺は必死で話を打ち切る口調になってた。亨 が乗り気には見えへんかったんやもん。
「えっ、待って! 嫌 やないよ、びっくりしただけ! してええよ、それくらい。なんでもない、俺も嬉 しいよ。なんでも描いて!」
ぎゅうっと抱きついてきて、亨 は愛 しそうに俺の胸に擦 り寄 ってきた。
恥 ずかしい恥 ずかしい。それで俺はなんでか、じたばた逃げてた。
でも亨 に、ものすご強く抱きつかれていて、逃げるに逃げられへん。
「ええかもしれへん。想像するだに萌 える! 縛 って体に絵描かれるなんて……」
縛 るなんて言うてへんで? そんなんせなあかんの? 変態 や!
亨 はなんか空想してるような悶 える伏 し目で、はあはあ微 かに喘 ぐような熱い息やった。
そして、不意 に我 に返り、ぽつりと付け加えていた。
「何でもええけど、ドラえもんとか描くのやめてな……?」
どんなオチやったんや、お前の空想の世界では!
「アホか! そんなん描くわけないやろ!!」
情 けななって、俺はまた絶叫 や。とにかく絶叫 。亨 と居 ると、いつも絶叫 。
でもここで、キレてる場合やない。まだ話終わってない。肝心 のところがまだやねん。
「俺の雅号 、お前が考えてくれへんか?」
照 れ隠 しもあって、真面目 なような早口で、俺は亨 に頼 んだ。
亨 はそれに、またびっくりしたらしい。ほんまに、俺の腕の中でびくっとしてた。
「えっ。そんなん、俺、考えたことないよ。どんなんにしたらええか、分からへん。もっと絵に詳 しい人に頼 んだほうがええんやないか?」
「なんでもええねん。お前につけてほしいんや」
誰でもええねん。雅号 を授 けるのは。だって自分でつける人もいるくらいやしな。
他人に頼 むんやったら、師匠 につけてもらうのが普通らしいけど、俺の師匠 って、誰?
…………あっ、苑 先生?
忘れてたわあ。
って、嘘 、嘘 。忘れてへん。忘れてへんて。
苑 先生にも、たくさん世話 になった。感謝はしてる。
俺に日本画の絵を描く技法 を授 けたんは、誰あろう、あの気の弱いオッサンなんやで。あの人の技 は一流や。その絵に全然オーラが無いだけで。
でも、俺は、雅号 は亨 に付けてほしいねん。堪忍 してください、教授 。
だって俺はまた教授 に会うまで、生きてられへんらしい。夏休み終わるまで、命保 たへんかった。
後期始まって、本間 君死にましたって聞いたら、あの人、腰抜かすやろけど、でもしょうがない。お暇乞 いの挨拶 する間 もなかったわ。
いっつも作業棟 の鍵 取りに行くとき、お菓子 くれてた教務課 のおばちゃんにも、いつも通り普通に別れてそれっきりやったわ。
俺、甘いモン好きやないのにと思いつつ、いつも苦笑 いで、ありがとうて言うてたけど、でも、それも、今にして思えば有 り難 い世間様 の愛やった。縁 も義理 もない学生に、いつもわざわざお菓子 用意してくれてはったんやしな。
まあ、おばちゃん、単に俺の顔が好きやっただけと思うけど。
叡電 の、出町柳 の駅のおっちゃんも、いつもお帰り言うてくれてた。けどもう会うこともない。
下鴨署 にご出勤 なさるコロンボ守屋 刑事さんにも、あれから時々、朝の駅ですれ違 うたりしたけども、うわあ本間 さんやて縁起 悪そうに、笑って挨拶 してくれた。それにももう会うことがない。
いつも俺の絵を高く評価してくれていた、画商 の西森 さんにも、そういや挨拶 無しで逝 くことになる。もうすぐ死にますって電話すんのも変やし、気まずいしやな。なんて話してええかわからへん。
実は俺はずっと前から、西森 さんに訊 きたい事がひとつある。顔合わせるたびに、思い切って訊 こうかと思うねんけど、どうしても切り出せずに今まで来てもうた。
でも、もう、ええか。俺、死ぬんやし。そんな奴が訊 いても、しゃあないような事やねん。忘れよう。このまま墓 まで持って行こう。
「ほんなら、アキちゃん。暁月 にしたら?」
にこにこ、ちょっと照 れたように言うて、亨 は眩 しそうに俺の顔を見ていた。
「なんや、それ。どっから出てきたんや」
思いつかんという割 に、いやに即答 めいてたと思えて、俺は不思議 やった。
亨 はますます照 れくさそうに、にこにこしていた。
「アキちゃんが描いた、俺の絵のタイトルからの、パクりやで。知らんやろ。大崎 先生が勝手にタイトルつけて、藤堂 さんに売ってやってたらしいわ。蛇神 、暁月 を愛でる、って。あの絵の俺は、アキちゃんを見てんのやろ? せやから、俺が蛇神 なんやし、アキちゃんが暁月 ……」
「でも、それやと、俺の雅号 って大崎 先生がつけたことにならへんか?」
「そうなるかなあ。でも、ええやん。合 うてると思うけど?」
何か嫌 やなあ、それ。なんで俺が海原 遊山 に名前つけてもらわなあかんねん。そんな雅号 にしたら、あの爺 さん、どんだけイイ気になるか知らん。
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