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23-32 アキヒコ
でもそれは、ほんまの話やんか。虎 の価値はどうか知らん。でもお前はほんまに、あいつを愛してなかったんかもしれへんで。その手前で止まってた。自分の心の中の、おとんの棲 んでる部屋に鍵 をかける気が湧 かんまま、虎 と寝てやってたんやろ。
そういうのはバレるよ。特にお前はバレバレなんやもん。
天然 なんかなあ。気がついてへんのか、湊川 。めちゃめちゃ鈍 いんとちゃうか。
知らんと虎 を傷つけている。俺も傷つくで、下手 したら。もしもお前に惚 れてたら、たぶん胸痛い。今でもちょっぴり切 ないもん。
おとんのシャツは七十年持ってたくせに、俺の服は本日中にご返却 なんや。せめてクリーニングに出すとか無いんか、礼儀 として。俺はそこまでどうでもええ相手か。別にええけど、そんな細かいことは。
「お前が愛してやりゃあよかったんやんか、信太 を」
俺が責 めると、朧 はけらけら笑った。
「誰が愛してやっても無駄 や。あいつは民 に愛されたいねん。現 に寛太 はあいつをめちゃくちゃ愛してやってるやろけど、それでもあかんのやないか? そんな相手を後に遺 してまで、生 け贄 なって死のうという虎 や。恋愛やないねん、先生。信太 が欲しいのは。先生のおとんが死んだのと、同じ理由や」
にやにや笑って、朧 はやっぱり、俺でも虎 でもなく、七十年前の男を見ているような顔つきやった。
こいつの心の中では、時間が止まっているんやないやろか。おとんと別れた時のまま、ずっと止まってる。
「大義 やろ。お国のためや。民 のため。そんな、誰かわからん相手のためやねん」
「おとんはお前のためにも死んだと思うで。生き残ってほしい人らのために、命がけで戦ったんやないか」
ちょっと、むっとして、俺は言うてた。湊川 がいかにも、おとんの気持ちを理解してないようやったからや。
自分のおとんのことを、意味がわからん、アホちゃうかみたいに言われ、俺はなんか例 えようもなく不愉快 やった。腹立つというより、悲しい気がして。
おとん大明神 は、俺のためにも死んだんや。本人がそう言うてたもん。
おかんも大事やったやろうけど、俺のことも一応考えてたらしい。自分は死ぬけど、俺には息子がひとりいると、おとんは死ぬ時考えたと、そう言うてたで。
おとんは実は、俺にもええ格好 したかったんやないか。
死ぬの嫌やて、生きて日本に帰りたいしな、お登与 の顔をまた見たい。産まれた息子も見たい。懐 かしい京都をまた歩きたい。そんな理由で、自分の尽 くせるベストを尽 くさず、生きて戻ると格好 悪い。
死力 を尽 くして頑張 るほうが、男らしいし、おとんみたいやろ。
そんなアホみたいなこと考えてもうたんやないか。
俺はそう期待 してんのやけど。そしてそれがアホみたいやとは、ほんまは思うてない。
俺のおとんて格好 ええわあと、ほんまは嬉 しい。生きて戻ってくれてたら、たぶんもっと嬉 しかったやろけど、まあ一応、戻ってきたしな。幽霊 やけど。あれって幽霊 やろ、たぶん。
そんな引 き際 の悪さはあるけど、それはしゃあない。あの人、めちゃくちゃやから。
心残りがありすぎたんやろ。それもまた、期待を裏切 らん、優 しいおとんやで。
あれであと変態 でさえなければ……。アホでなければ。俺のおかんの夫 でさえなければ。俺と名前や見た目がカブってなければ。ええ人やのに。もう神の部類 やけど。
「先生、ロマンティストやなあ」
にこにこ笑って、湊川 は懐 かしそうに俺を見ていた。
暁彦 様にそっくりやという言葉を、こいつが呑 んでることは、俺には良く分かってた。水煙 にはなかった部類 のデリカシーが、湊川 にはあるらしいで。
「信太 もそうやねん。俺も好きやなあ、そういう男。忘れられへんのやって、虎 は。大陸で見た、戦争で死んだ子供らの顔が、幸せになりそうなると、今でも頭にチラつくらしいで。餓鬼 の死骸 がな。甘っちょろいねん、あいつは。てめえが殺したわけやないやろ、人間がやったんや。それに自分も人食うといてやな、餓鬼 まで死んでた可哀想 って、それは変やないか。辻褄 合 うてへん。てめえが食うた奴の顔を思い出すべきやないか?」
ふふん、て笑って、湊川 は今度はちゃんと、虎 の顔を思い出してやっているような表情やった。風呂 で俺と抱き合うて、恩 知らずな虎 やと罵 っていた、その時と同じ目やった。
「それもまあ、思い出すんやろけど。餓鬼 どもまで死んでもうた。なんで守ってやられへんかったんやろうって、あいつはそれで狂 ってもうたんやろう。我が身を呪 って化けモンなってた。神でなけりゃあ鬼なんやからな。今はけっこう落ち着いて、まあまあマトモやけども、でもまだ呪 ってる。罪 の報 いを受けたがっている。そんな罪 なんか、別にないのに。人間は元々、殺し合う生き物や。戦争無かった時代はないで? 今もどっかで餓鬼 が殺されてる。それに虎 が人食うんは、罪 やないでしょ、先生。腹減 って食うてるだけや。食わんと死ぬから食うたんや。先生かて牛とか豚 とか食うでしょ。それと同じやで。あいつも分かってへん。アホやしな、いっぺん死なんと治らんのやろ。それが治らんと、あいつも誰も愛されへん。自分が幸せになられへんのに、相手を幸せにはできへん」
言いながら、何見るともなく、にやあっと笑ってる朧 は、自嘲 の笑みやったかもしれへん。
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