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23-34 アキヒコ
「アホみたいってことはないよ……お前はおとんが好きなだけやんか」
「いいや。好きやない。昔好きやったけど、今はもう違う。俺は頭がおかしいねん。アホになってる」
にこにこ言うてる湊川 は、確かにちょっと、一本抜 けてるみたいな顔やった。ちょうど赤い鳥さんが、ぽやんとしてる時みたいな顔やねん。
「なんで認 めへんのや。愛してんのやろ、おとんのこと」
そんなん俺かて言いたくはないわ。だって色々微妙 やもん。
そんな奴と寝てもうたしさ。それに何とはなしに妬 けもする。可哀想 やなあって思えてくるし。
それで何となく、片手をジーンズのポケットに入れて、うじうじ立って待ってる俺を、朧 はくるりと振 り向いた。にこにこしてた。ほんまに、その笑うてる顔つきが、寛太 にそっくりやった。
「愛してないよ。分からんねん、俺にはその、愛というのが。ちょっとな、おかしいねん。信太 に訊 いてみ。湊川 怜司 はおかしいやろ、って。これから行って、蔦子 さんにでもええけど。そしたら教えてくれるで。俺はほんまに狂 ってるんやって」
一本抜 けてる。というか、キレてる。頭の奥 のほうの、あるいは心のずっと深いところで、肝心 な何かが。
昨夜 は全然分からんかった、そのことが、暗い廊下 で二人っきりで、朧 と向き合 うてると、よう分かるような気がした。
「あのなあ、先生。耐 え難 いねん。愛してたら耐 えられへん。捨 てられたんやで、俺は。愛してたら、笑 うて生きていかれへん。頭おかしなる」
すでにもうおかしい。
そういう顔して、にこにこ笑うてる朧 を見ると、俺はちょっと怖かった。可哀想 すぎて。
俺の悪い癖 やろか。大丈夫やでって、俺が何とかしてやる、守ってやるからって、抱きしめてやりたいような衝動 が、心のすごく奥深いところで湧 いたけど、でも手は出えへんかった。
目の前に居 る相手やねんけど、なんでか全然別の位相 にいてるように、手を伸 ばしても触 れられへんのやないかと思えた。
こいつが待ってんのは俺やないやんか。蜻蛉 ついてるシャツ着てた、別のボンボンなんやろ。
それ以外はみんな幻 。朧 にとっては誰 でもおんなじなんやろ。どうでもええ奴 らばっかりやねん。
水煙 みたいに、俺も秋津 の当主 やからと、次のに乗り換 えられる奴 は、まだしも救 いがあったんかもしれへん。
俺はおとんの代わりに、水煙 様を幸せにしてやれるやろう。その可能性はある。
でも朧 はおとんが秋津 の当主 で、覡 やったから好きなわけやない。
主 を変えたぐらいでは、未 だに心が変わらんらしい。
こいつには希望はないわ。暁彦 様が現れて、抱きしめてやらん限 りは。
「信太 がな……ほんまに好きやったのや。好きになろうと思ったん。あいつも俺が好きみたいやったしな。でも、何が足りひんのやろう。俺が時々間違えて、あいつのこと暁彦 様って呼ぶからか。古いシャツ抱いて寝るから? でも、それは、しゃあないやん。そうしいひんと死にそうなんやもん。虎 が人食うのと同じやろ?」
湊川 はその暴論 に、筋 が通ってると思ってるらしかった。俺を見つめて淡 く微笑 み、ものすご本気 で言うてた。
俺にはもちろん、異論 があった。それは全然違う話やろと、いつもやったら言うてたかもしれへん。
せやけど、さすがにノー・デリカシーな俺でも、この時の朧 様はまじで怖かったわ。それは違 うと否定するのが、痛々 しく思えて。
俺はうんうんと、思わず頷 いていた。言葉は出えへんかった。ぐうの音 も出えへん。
俺ひとりの時で良かった。こんなん大勢 に見せたらあかん。可哀想 すぎる。
なんとかせなあかん。あとたったの一日、二日しかないけど。俺には何かできることないんやろか。
行きがかり上とはいえ、俺の式神 になってくれた、このイカレた神さんに、なんかお心安 らかになれるような事を、してやられへんやろか。
「暁彦 様、今頃 どこに居 るのん?」
さあ行こうかって、やんわり俺の腕引いて、優雅 に歩き出しながら、朧 様は、なんでもない世間話 みたいに、俺に訊 いた。
「わからへん……最後に手紙来たときには、ブラジルにいた」
「そうかぁ。アマゾン見たいて言うてたから……良かったなあ」
言わんかったら良かった。知らんて言うとけばよかった。
俺は何でも言うてもうてから気がつくアホなんやけど、朧 は昨夜 話してた。おとんを駆 け落ちしよかと誘 った時に、なんて言うたか。
どっか遠い遠いとこへ行って。ブラジルとか。モロッコとか。そこで二人で暮 らそうかって、そう言うて誘 った。一緒に行こうって。
ほんで、それきりおとんは朧 のとこには現 れへんかったんや。たぶんそうやと思う。
別れを惜 しむ一言くらいは、ちゃんと自分で言うたんか。
まさか、おとんも言いにくいことは、水煙 に代わりに言うてもろてたんか。
アキちゃんはもう来ない。お前は身を引け。
出ていけ、二度と戻ってくるなと、鬼みたいな水煙 に、きっぱり言い渡 されたんか。
言うときゃ言うしな、水煙 は。なんせ刃物 や、ばさっと斬 りつけるような言い方なんやで。
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