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23-35 アキヒコ

 プサン、ソウルに上海(シャンハイ)に、北京(ペキン)、モスクワ、ウィーンに、イタリア・ローマ、そしてモロッコ、ブラジルか。おとんの今さらハネムーン・ルート。  神業(かみわざ)みたいな強行軍(きょうこうぐん)やけど。まるっきり(おぼろ)の言うてた話そのまんまやんか。  ひどすぎひんか、おとん大明神(だいみょうじん)。さすが俺の親。(かえる)の子は(かえる)て言うけど、俺って、きっと、鬼の子やから鬼なんや。  その旅、ほんまはお登与(とよ)やのうて、他のと行かんとあかんかったんやないか。  鬼畜(きちく)やわ。死んで神さんになってるはずやのに。俺にはとても、そんなことはできひん。 「他にはどこへ行ってんのや。蔦子(つたこ)(ねえ)さん、俺には教えてくれへんねん。ケチやわあ」  ちらちら(まど)(おぼろ)の目が、笑う口元(くちもと)とは裏腹(うらはら)に、深く傷ついているように見えた。  そう思うのは、感情移入(かんじょういにゅう)しすぎやったかな。こいつは外道(げどう)で、愛も知らん悪魔(あくま)やし、傷ついたりしいひんのやろか。 「知らん、俺も。忘れてもうた……」  (うそ)ついといた。(うそ)方便(ほうべん)やろ。こういう時には。  でも、ものすご一杯(いっぱい)脂汗(あぶらあせ)出た。  ()れてへんから、(うそ)つくの。バレバレなんやで。  (おぼろ)は、くつくつ(のど)()らす、鳥の()くような声で笑った。 「本間(ほんま)先生、(やさ)しいなあ……(やさ)しいついでに、俺に引導(いんどう)(わた)してくれへんか。もうな、しんどいねん。面白可笑(おもしろおか)しく生きるのが。終わりにしたいんや。俺にもなあ、泣きたい夜はあるんやで」  ()っぱらってるみたいに、湊川(みなとがわ)はくすくす笑っていた。  ほんまに()うてんのかもしれへんかった。久々に血()うたんやしな。()うようなもんらしい、食いつけへんやつが食うと。俺みたいな(げき)血肉(ちにく)というのは。 「あのな……(おぼろ)。俺のこと、暁彦(あきひこ)様って呼んでええで。顔は一応()てるやろ。おとんの代わりにはならんやろけど、でも……それでちょっとは気が(まぎ)れるんやったら」  気が(とが)めながら、俺がそう(ゆる)すと、(おぼろ)(うれ)しそうに、にっこりと笑った。 「いいや。本間(ほんま)先生は全然()てへんわ。血の味も違うしな、画風(がふう)(ちご)うてる。暁彦(あきひこ)様はもっと、(うそ)上手(じょうず)についてた。俺もほんまに(だま)された。あんな(ぼう)やに。(たら)()まれてたんは俺のほうやったんやないか。俺のこと、好きやって言うてた。愛してるみたいな目で見てた。けど、それが、(うそ)やったんや……愛ってどんなもんなんか、俺にはほんまに分からへん」  お前は違うと言いながらでも、(おぼろ)は俺と腕組(うでく)んできた。ぎゅうっと強く、もう(はな)さへんというように、(わし)づかみにする猛禽(もうきん)のかぎ(づめ)のような指で、俺の(ひじ)のあたりを(つか)み、そしてもう片方の手で、俺と手を(つな)いだ。  指を(から)めてくる手は、いつも(とおる)がそうするような(やさ)しい仕草(しぐさ)で、まるで俺のこと愛してるみたいやった。 「来ると思うてたんや。お前がほんまに来ると信じてた。おかしいなあ、ほんまに行くんやと思って、船の切符(きっぷ)まで()うてあったで。今でも持ってるわ、それ……シャツ抱いて寝たら、今でも夢見るわ。(おそ)なって悪かったって、お前のおとんが来る夢や」  (うら)んでんのや。(おぼろ)も俺のおとんを(うら)んでる。水煙(すいえん)(うら)んでるみたいに。  結局(けっきょく)こうなるんや。一人を(みんな)で分けるのは、ありえへんのやから。  俺の指を(やさ)しくまさぐる(おぼろ)の指が、いつ鬼の手に変わるのか、俺は震え上がりながら待っていた。そうならんといてくれと心底(しんそこ)(いの)りながら。  こんなんも()らなあかんのか。見なかったことにしたい。  いつも鬼なわけやないやんか。()うてるからや。今だけや。  ()いが()めたら、けろっとしてる。きっとそうや。昨夜(ゆうべ)(いや)(けい)か、さっき見たようなツンツン愛想(あいそう)ない、ええかげんな(やつ)に戻ってる。  きっとそうなんやから、見逃(みのが)して。  見逃(みのが)してくれ、(とおる)。これは浮気(うわき)とか、そういうレベルの話やないで。  これはこれで、俺の(げき)としての、正念場(しょうねんば)やで。  そんなこと思うてる俺は、(おぼろ)様をナメてたか。 「(みじ)めやろう、俺は」  しみじみと、まるで他人事(たにんごと)か、可哀想(かわいそう)な物語でも読んでるみたいに、(おぼろ)は俺に(たず)ねた。  先行公開の映画()て、出口でアンケートされるときみたい。  どうでしたか、この映画。(みじ)めやろう。そんな感じ。  でも、これがフィクションでないことは、俺には分かってた。ほんまもんの話や。  (おぼろ)は作り話なんかしていない。ほんまに鬼気迫(ききせま)る何かが、(やさ)しく指を()でる手から、(ひじ)(わし)づかむ強い手から、伝わってくる。  いくら歩いても終わらへん、ここはどこなんやろうっていう迷い道みたいな廊下(ろうか)が、まだまだどんどん薄暗く続いていくのが、もう、明らかに異界(いかい)風景(ふうけい)や。  俺はまた、(かどわ)かされてる。神隠(かみかく)しや。今度こそ、帰らせてもらえへんのかもしれへん。  鬼みたいになった(おぼろ)に、俺と来いって、世界中あちこち引き回されるんかもしれへん。親の因果(いんが)が子に(むく)いるわけや。  俺には責任ないはずやけど、でも、もう、そうなってもうたんやったら、どうしようもない。  俺にはまだ、ここから自分で出る方法はわからへんのやから。

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