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24-1 トオル

 俺はワンワンはもう、戻って()えへんのやと思ってたわ。  そうやと、ええなあっていう、ただの期待やったんか。犬が先輩ありえへん言うて、すごい剣幕(けんまく)で部屋をおん出ていった時には、さらば友よ(アディオス・アミーゴ)と内心(さわ)やかに思ったもんやった。  スペイン語やで。俺は昔、南米にもちょっと()ったことがある。そこでの公用語のひとつがスペイン語やった。南米は一度、スペイン人に侵略(しんりゃく)されたことがあるからな。  たとえば、アキちゃんのおかんと、おとん大明神(だいみょうじん)も立ち()ったらしい、ブラジルの、サンパウロ市なんて、名前ももろにキリストの弟子(でし)やった聖パウロの名前に(ちな)んだ地名やし、サンバ(おど)りに行く言うて、おかんがウキウキ行ったらしいリオ・デ・ジャネイロ市には、でっかい石のキリスト像がある。  元は土着(どちゃく)の神さんがいた土地柄(とちがら)やけど、そこへスペイン人がカトリック系キリスト教を持ち込んだんやんか。そこでも様々(さまざま)な神がヤハウェに追い立てられた。  たとえば南米の蛇神(へびがみ)、ケツァルコアトルなんかもそうやろう。  この神さんは、(つばさ)を持った(へび)やった。そして、白い男の顔をしている。水と農耕(のうこう)(つかさど)る神で、まぁ、言うなれば俺のイトコみたいなもん。あるいはどこかで混ざり合っている俺自身。  それでも(へび)やということで、南米では人類に火を与え、知恵(ちえ)(さず)けたのみならず、冥界(めいかい)の骨と自分の血とを混ぜ合わせ、最初の男女を生み出した創造主(そうぞうしゅ)であるにも関わらず、ヤハウェの神官(しんかん)どもに言わせれば、しょせんは悪魔(サタン)なんや。気の毒な話やで。  蛇神(へびがみ)ケツァルコアトルは、人の血を飲む神やった。そして()(にえ)として、(へび)か鳥か(ちょう)を求めたけども、人身御供(ひとみごくう)はやめとけ言うてた。確かにそれは好物(こうぶつ)やけど、ケツァルコアトルは特に人間を愛してて、殺すのは可哀想(かわいそう)やしやめといてくれと(こば)んだんやな。  そんな神さんを、俺は他人と思われへん。他人やないかもしれへんしな。  蛇神(へびがみ)はどこに住んでても、大体()たモンどうしなんや。古代の神は()(にえ)を求めるもんやし、ヤハウェかて昔はそうやったんやで。  あいつは山羊(たぎ)の血を飲んだ。人の血だって飲んだんや。古い時代の神話では、あいつも我が子の血肉(ちにく)(ささ)げた男に、ようやったって言うてやってる。  神も変わるねん、人が変わるように。  人が変わるから、神も変わるんかもしれへん。  神は人間を創造(そうぞう)したと言われがちやけど、ほんまは人が神を創造(そうぞう)したんやで。  人の思念(しねん)によって、熱い虚無(きょむ)から生み出され、神々は名を与えられる。  創造主(そうぞうしゅ)やと呼ばれれば、創造主(そうぞうしゅ)ってことになる。そして、それらしく()()うようになる。人間たちの信仰が(あつ)ければ(あつ)いほど、それが本当らしく(いた)に付いてくる。  鳥さんなんか見てみ、あいつはただの鳥やのに、だんだん自分は不死鳥(ふしちょう)やって、そんなつもりになってきてるわ。  本人がそう思いたいねん。そしたら信太(しんた)に愛してもらえると、あいつは思うてる。  ほんま言うたら(とら)がどう思おうと、あいつには関係ないはず。曲がりなりにも神やというなら、愛さなあかんのは(とら)やのうて人や。自分を虚無(きょむ)から呼びだしてくれた、フェニックス神戸の人たちに、あいつは(むく)いなあかん。(とら)とやっとる場合やないで。  せやけど難しい。現代生まれの神さんというのは。  人はそもそも、新しい神を生み出すほどには、もう神の存在を信じてへんのやろうし、鳥をほんまに不死鳥(ふしちょう)に祭り上げられるほどの、思いこみパワーに欠ける。  湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)信仰(しんこう)というカスミを食らって生きられるようには、寛太(かんた)(めぐ)まれてない。(とら)やら(だれ)やらに(えさ)強請(ねだ)るしかない。  それで(かろ)うじて存在を(たも)ってる。可哀想(かわいそう)な鳥やで。  あいつが正真正銘(しょうしんしょうめい)ほんまの神の鳥、死を超越(ちょうえつ)した不死鳥(ふしちょう)になるためには、ブレイクスルーが必要や。  神も進化したり成長したりするねん。俺にも(おぼ)えある。バージョンアップしたりバージョンダウンしたりする。  エア様ありがたい神さんやって、神殿に(まつ)ってもろて、毎日ええ(にお)いのお高いお(こう)をむんむん()いてもろて、ははあ至高(しこう)御方(おんかた)と、(たみ)(おが)んでもろてた(ころ)には、俺かてそりゃあ優雅(ゆうが)なもんやったで。  人の血なんぞがっついてせせらんでも、力はギンギンに(みなぎ)っていた。  俺には今や、ひねればいくらでも水が出る水道みたいなツレがいて、そこから精気(せいき)吸い放題(ほうだい)。  せやから特に、世界を支配したいとか、そんな(よく)をかかなければ、普通にやっていく分には不自由せえへん。  でも鳥さんはどうやろ。実はあいつには先がない。  信太(しんた)が好きやてメロメロになってみても、(とら)美味(うま)いのは夏だけらしいで。冬場(ふゆば)冬眠(とうみん)やないけど、信太(しんた)も大人しゅう過ごしてる。自分が死ぬほどではないけども、他人にいくらでも底無しに精気(せいき)を分けてやれるほどには元気ではない。  せやから鳥は、例年(れいねん)やったらもっと力の(あま)ってるような(やつ)らから、配給(はいきゅう)頂戴(ちょうだい)せえへんかったら、やっていかれへんかった。それは今年でも同じやで。  信仰(しんこう)されてない(やつ)らはみんなそうやで。寛太(かんた)もそうやし、俺もそう。そして可愛(かわい)いワンワンかてそうや。

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