424 / 928

24-2 トオル

 勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)は宙(ちゅう)ぶらりんやった。  堕天使(だてんし)なんやで。地獄(じごく)の眷属(けんぞく)や。せやから人界(じんかい)に留(とど)まるよりは、いっそ素直(すなお)に地獄(じごく)に戻って、そこで誰か、名のある悪魔(サタン)か悪鬼(ジン)にでも仕(つか)えることにして、ご主人様から漲(みなぎ)る邪悪(じゃあく)なエナジーを注(そそ)ぎ込んでいただけばええわけですよ。  可愛(かわい)い犬や、ご主人様かて、別に嫌(いや)とは言わへんやろ。冷たい黒い血と密(みつ)で、養(やしの)うてくれる。  せやのに、あいつは我(わ)が儘(まま)な犬やねん。それは嫌(いや)やと言いやがる。  とっくに純白(じゅんぱく)の羽根(はね)も抜け落ちて、神聖なる天使(エンジェル)ではなくなったというのに、未(いま)だに綺麗(きれい)なつもりでおるわ。  もう罪(つみ)は償(つぐな)ってきた。俺はもう、悔(く)い改(あらた)めた。鬼やない。血なんか啜(すす)らへん。人も食わん。前にそれで、本間(ほんま)先輩に嫌(きら)われてもうた。お前は鬼やって、斬(き)られて死んだんやしな。それはあいつの精神的外傷(トラウマ)やねん。  気の毒やなあ。未(いま)だにその傷が疼(うず)くんやろう。  けど、アキちゃんかて今や外道(げどう)や。血を吸(す)うぐらい何でもないわ。  だって自分も吸(す)うんやもん。俺が吸(す)うても平気やし、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)にも吸血(きゅうけつ)を許してやっていた。  せやし可愛(かわい)いワンワンが、腹が減(へ)った血をくれと、くんくん鳴いて求めれば、アキちゃん、嫌(いや)やとは言わへんわ。誰にでも優(やさ)しい男やし、犬には未練(みれん)があるんやからな。  吸(す)えばええねん。アキちゃんの血を。飢(う)えに飢(う)えて、また抱いてくれとゴネられるよりは、いっそ普通に血吸(す)うといてもらいたい。俺としてはな。  それに人食うてもマズい。振(ふ)り出しに戻ってまうやんか。  ほんま学習せん犬や。パブロフ博士の犬を見習え。犬種(けんしゅ)が違うからあかんのか。アホか、地獄(じごく)の猟犬(りょうけん)は。空(す)きっ腹(ぱら)抱(かか)えて意地(いじ)張(は)って。我慢(がまん)もええけど、それで死んだらアホやんか?  俺はそれでもええけどさ、アキちゃんはまた、悲しくなるやろ。可愛(かわい)い犬が餓死(がし)してもうたなんて、それはあんまり悲惨(ひさん)やで。惨(みじ)めやわ。 「お前、腹減(へ)ってんのとちゃうの?」  いかにもフラフラみたいな青い顔色で、ぼけっとソファに座っている犬を見て、俺はシャワーから出てきたバスローブ姿(すがた)のまま、ごしごしタオルで髪(かみ)を拭(ふ)いていた。  いっぱい汗(あせ)かいちゃったから。亨(とおる)ちゃん、めちゃめちゃ汗(あせ)かくくらいアキちゃんと悶(もだ)えちゃったから。お風呂(ふろ)入ってきたの。身だしなみやろ。  そのことは敢(あ)えて、犬に言うたりせえへんよ。でも見れば分かるやろ。自分が居(お)らん間に、アキちゃんが俺と何しとったか、アホやないなら分かるはず。  口に出しては悔(く)やまんけども、瑞希(みずき)ちゃん誤解(ごかい)しとったんやないか。アキちゃんがラジオともやったんやないかって。  血吸(す)うただけなんやけど、ラジオは何や妙(みょう)にエロくさい奴(やつ)やしな。だらんとベッドに座ってたりすると、あたかも一発やった後みたいやねん。  しどけないんや、普通にしてても。その上ちょっと、酔(よ)っぱらってたみたいやったしな。たぶんアキちゃんの血に酔(よ)うてもうてたんやろ。  なまじな酒よりガツンと来るわ。  あの妙(みょう)な、でかい力の奔流(ほんりゅう)のようなのが、地下から吹(ふ)き上げてきたのにどつかれてから、アキちゃんはなんか目覚めてもうたらしい。  血の中に混じる、天地(あめつち)の精気(せいき)が、ハンパねえ濃度(のうど)になってた。ものすご美味(うま)い。ちょっと舐(な)めたら止まらんようになってもうて、今はお腹いっぱいで別に要(い)らんはずやのに、吸血(きゅうけつ)は別腹(べつばら)みたいに、てんこもり吸(す)うてもうた。  止(や)められない止(と)まらないやで。ほんまにもう、カッパえびせん状態。まったくもう、こんなに食うててええかしらみたいな、幸せいっぱい、満腹感(まんぷくかん)。  ラジオも必死で食うてたわ。よっぽど美味(うま)かったんやろ。腹減(へ)ってへん奴(やつ)らでも、そんなんやねんから、アキちゃんの血の臭(にお)いが、飢(う)えてる犬にはどんだけ美味(うま)そうに思えたやろか。  それを我慢(がまん)できるというんやから、こいつ絶対、変態(へんたい)なんやで。我慢(がまん)プレイやで。それが気持ちええんやとしか思われへん。  俺なら我慢(がまん)できるわけないもん。アキちゃんが嫌(いや)やて言うても絶対食いつくわ。お願い、ちょっとだけって可愛(かわい)くお強請(ねだ)りして。がっつり食うで、腹が満ちるまで。 「なんで吸(す)わへんのや。俺に遠慮(えんりょ)してんのか。血吸うぐらいは大目(おおめ)に見たるで。飢(う)え死(じ)にされたら気ぃ悪いからな」  せっかく亨(とおる)ちゃんが親切に言うてやってんのに、犬は俺を無視(むし)してた。俺とは口きかへんと決めてるみたいに、ソファでがっくり項垂(うなだ)れて、何か考え込んでいた。  まあ、ええか。喋(しゃべ)りたくないなら。俺かてワンワンとお喋(しゃべ)りしたい訳(わけ)やない。ただ、黙(だま)ってると間(ま)が保(も)たんなと思うただけや。  お前がそう来るんやったら、俺かて無視(むし)したろと思て、俺は気にせず身支度(みじたく)をした。服を着て、髪(かみ)の毛乾(かわ)かして、そして水を飲む。  ごくごく飲んでる喉(のど)の音が、自分でも気まずいくらい、はっきり聞こえた。そんな沈黙(ちんもく)やった。 「なあ。瑞希(みずき)ちゃん。なんか言うたら? 愛想(あいそう)ない犬やなあ、お前は……」  むすっと青い無表情の、可愛(かわい)げのある顔立ちを眺(なが)め、俺は差し向かいのソファに、水(エヴィアン)の入ったバカラのグラスを片手に、敢(あ)えてでかい態度(たいど)でふんぞり返ってみた。  もちろん極(きわ)めて優雅(ゆうが)っぽく。  けど、それは、かつて俺が偉大(いだい)な神やった頃(ころ)のようにではない。  藤堂(とうどう)さんのところで、邪悪(じゃあく)な蛇(へび)やった時のようにや。

ともだちにシェアしよう!