436 / 928

24-14 トオル

 水底(みなぞこ)での死って……。  それを思い出して、俺はまた、背筋(せすじ)がぞおおおっ、てなってた。顔もたぶん紙のように真っ白くなっていた。ひいって息も()んでいた。 「や……やめて! アキちゃん(おぼ)れさすなんて! (ひど)すぎるでそれは!!」  思いこみって(すご)いなあ。俺はその時、(おぼろ)様が予言(よげん)された(りゅう)なんやと思うてた。  アキちゃんに水底(みなぞこ)での死を与えるのは、こいつに違いない。アキちゃんのおとんに()られた腹いせに、顔そっくりやし息子やから言うて、アキちゃんを代わりに連れていく気や。  水煙(すいえん)に負けて、ぶんどられてもうた、おとん大明神(だいみょうじん)水死(すいし)する権利を、ジュニアでええわと今さらゲットする気なんやで。  死にたないわて言うてたくせに。(うそ)やないか! ラジオが(うそ)つくな! JARO(じゃろ)に電話してやる! 「(たの)む、(たの)むから、湊川(みなとがわ)。アキちゃんには(つと)めがあるねん。(なまず)様やで。どうせ死ぬんやし、ええやろと思うてんのか。今、死んでもうたら犬死(いぬじ)にやないか!」  俺がつい言葉の(あや)でそう言うたら、瑞希(みずき)が、なんやと、みたいな怖い顔をした。  いや、そういう意味やないから。お前の死が犬死(いぬじ)にやと言うてるわけやない。確かに犬死(いぬじ)にやけど、犬やから。でもそれが無駄(むだ)という(わけ)では……。  ああもう、ややこしいなあ、ほんまに犬いると。慣用句(かんようく)なんやからスルーせえよ。うちでは今、そんなんまで差別語(さべつご)か。  俺は今、そんなしょうもないこと気にしてる場合やないねん! なんか言おう。とにかく何か! 「心中(しんじゅう)なんかして、どないなんのや。意味ないで、そんなの。流行(はや)らんで、今時そんなん! 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)とかやで、江戸時代のネタやんか。今年何年やと思うてんの。2017年やで! 平成二十九年なんやで。江戸時代と違うから!」  なに言うてんのやろ、俺。話がだんだん(わけ)わからん方向へ行ってもうてる。でも必死やねん。思いつくまま(しゃべ)ってんのや。アホみたいやけど、本人は真剣(しんけん)やねん。  なんで水煙(すいえん)おらへんのやろ。こんな時にあいつがガツンと言うてくれればええのに。  ……いや、それはまずいか。あいつがガツン言うたら、キレへんもんでもキレる。この相手をブチキレさせるのに、まさにうってつけの(やつ)や。()らへん時で良かったんや。ラッキー! 「(たの)むしやめて……アキちゃん返してくれ。ケツでも何でも()すし」 『ほんまに()すか? 今の、録音(ろくおん)したで……』  笑いをこらえてるような声がして、俺にそう言うた。電話からなんやけど、まるで今ここで(しゃべ)ってるような、はっきり鮮明(せんめい)な声やった。  変やでえ、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)怪異(かいい)そのもの。みんなも携帯(けいたい)、気つけや。あいつの支配下(しはいか)にあるらしいから。 「いや、ちょっとそれは……犬でもよければ」 「えっ、なんの話!?」  話()られて、瑞希(みずき)ちゃんビビってた。どうも犬には電話の向こうの音が聞こえてへんらしい。耳悪いんかな、犬のくせして。  どうも俺にだけ聞こえてる。(へび)にだけ聞こえる音。そんなんあんの? (へび)専用回線(せんようかいせん)やで。 『犬でも、ええよ』  くすくす笑って、声は(やさ)しく言うていた。  俺にはこいつの正体(しょうたい)が、ほんまに分からへん。(りゅう)やというのは分かったけど、それが(せい)(じゃ)か、それが分からん。  たぶん、どっちでもないし、どっちでもある。どっちにでも(ころ)ぶし、(さだ)まった正体(しょうたい)がない。そんな(りゅう)なんや。  西洋(せいよう)では、(へび)眷属(けんぞく)ドラゴンは、(わる)モンで、悪魔(あくま)一種(いっしゅ)やけども、東洋(とうよう)では神や。どっちにでもなれる。  (ぜん)とか(あく)とかは人間の価値観(かちかん)で、神や(りゅう)には関係ないこと。時代ごとにもころころ変わるしな、いちいち気にしてられへんわ。  (ぜん)であり、(あく)でもあるねん。人の心に、(ほとけ)もいれば(おに)もいるようにな。 『なあ、白蛇(しろへび)ちゃん。心中(しんじゅう)なんて古いんやろ。そんなんしてええのか。それに本間(ほんま)先生は、()()ちドタキャン男の息子やで。言うてることまで暁彦(あきひこ)様そっくりや……(あや)しいでえ、その、心中(しんじゅう)しよかという約束(やくそく)も』 「そんなことないって。アキちゃんは、約束(やくそく)は守る男やで!」  (うそ)かもしれへん。浮気(うわき)しないって約束(やくそく)したのに、浮気(うわき)しまくりやしな。(うそ)つかへんように努力はしてるけど、人間なんやし、約束(やくそく)(やぶ)ってまうことはあるんやろ。  でも、それがそんな土壇場(どたんば)で起きるなんて、そんなんアリかよ。心中(しんじゅう)しよかって()()っていって、死ぬのが俺だけやったら(ちょう)マヌケやで。死んでも死にきれへんわ。  けど、考えてみればそんな話、ようあるで。  心中(しんじゅう)もののシナリオ書いて、一世(いっせい)風靡(ふうび)した、江戸時代の戯曲(ぎきょく)作家・近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)(ころ)にも、それに影響(えいきょう)されて心中(しんじゅう)がやたら流行(はや)って、道ならぬ恋に燃えたカップルが、いっぱい心中(しんじゅう)(はか)ったらしいけど、片方(かたほう)死なせて、ケツまくって逃げる、詐欺(さぎ)みたいなツレも()ったらしいで。  可哀想(かわいそう)に、死んでもうたほうは、死に(ぞん)や。そんな話はごろごろしてる。  まさかアキちゃん、俺をそんな目に()わせる可能性(かのうせい)があるか?  勘弁(かんべん)してくれやで。シャレにならへんわ。 『暁彦(あきひこ)様も約束(やくそく)は守る男やった。(うそ)はつかへんかった。あの一遍(いっぺん)きりや……俺との約束(やくそく)(やぶ)ったのは。それが一番ひどい裏切(うらぎ)りで、それ一遍(いっぺん)だけやったんやで』  自分のツレは誠実(せいじつ)やったと、そんな惚気(のろけ)(ふく)んだ声で、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)は教え、俺に再考(さいこう)(うなが)していた。  やめとけ心中(しんじゅう)なんて、アホらしいと思わへんのかと。

ともだちにシェアしよう!