449 / 928
24-27 トオル
「好きやけど……でも、そんなん、向こうには関係ないことやろ。俺が勝手 に好きやねん。そんなん、もう、忘 れなあかんのや」
朧 は悲しげな表情でアキちゃんにそう言った。
「どうやったら忘 れられるんや。忘 れろって命令したら忘 れんのか?」
アキちゃんは、それで行けるんやったら、ほんまに命令しそうやった。
けど俺は、それには反対やで。そんなん無茶苦茶 やんか。
いくらご主人様でも、そこまでやる権利 があんのか。
そんなん無いと思うで。俺はあかんと思うで、アキちゃん!
「さあ……無理 やないか。より強い呪 いで、縛 られてんのやから。これはもう、死なんと治らんのやで。死んでも、治るのかどうか」
「呪 いって、なんのことや」
「別 れ際 の手紙で、忘 れんといてくれと、あいつが言うたんで。そういう意味やないんやろけど……でも、俺にはそう聞こえたんや。ずっと想 うといてくれって、言われたような気がして。それは勝手 な解釈 やけど……でも、別にええやん。それであいつに迷惑 かけたか。かけてへんやろ。それくらい俺の自由やないか?」
電話の向こうから聞こえてた、おとんの声が繰 り返 し、頼 み込 むように呟 いていたあれや。
お前は神。それを忘 れんといてくれ。忘 れんといてくれと、何度も続 く、しょんぼり甘 えたような声。
俺にもそれは、そう聞こえた。俺のことを忘 れんといてくれと、言うてるように聞こえてた。
おとんはそう言いたかったけど、言われへんかったんやろ。それはあんまり身勝手 やと、それくらいは分かってた。せやし、あれ以上、なんも言われへんかったんや。
それでも気持ちは伝 わっていた。人間の声やしな。言葉にならへん想 いのようなもんも、言霊 は運 ぶ。あの別 れの挨拶 をする男の声は、お前が好きやと泣 いていた。
それを恨 む気が起きへんかったというのも、俺には何となく分かる。
おとんの気持ちも、なんとなく分かる。
俺も死にそうになった時、アキちゃんに祈 ってた。俺のこと忘 れんといてくれ。たまにはまた、俺のこと夢 に見てやってくれって。
「なんか、こんなん変やないか、先生。せっかく説得 しようと思ってたのに、なんで俺が説得 されてんのやろ。どうでもええねん、俺のことなんか。放 っといてくれ」
寛太 と違 うて、いつもきちんとしてる長めの細い髪 の毛 を、朧 はぐしゃぐしゃ掻 いていた。
そうすると益々 ちょっと寛太 に似 ていた。
つまり虎 はやな、フラフラなってる時のこいつが好きやったんや。ぽかんと抜 けて笑ってて、隙 だらけみたいな時のほうが、好きやったんやろ。
そんなとこ、滅多 にあるように思えへんのやけど、二人っきりやったらあるんかな。朧 に霞 む妖 しい靄 も、黒い錦 のような硬 い鱗 の鎧 も解 いて、だらんと和 んでいる時が。
じゃあ、きっと朧 様は、寛太 みたいになるのが嫌 やねん。あんなんアホやと思うてんのや。
好きや好きやで夢中 になってる。そんなデレデレ甘 いのが、自分やったらつらい。そんなん、もう、二度とやりたくないんやろ。
一度はやったかもしれん、アキちゃんのおとんに振 られる時までは、こいつも鳥さんみたいに、デレデレ甘 かったんかもしれんのやから。
「どうでもよくない。放 っとかれへんわ。俺のおとんの不始末 やし、お前は今では、俺の式 なんやろ。面倒 見るのも俺の責任や。それに、虎 にも頼 まれた。お前を幸せにしてやれって」
言いながらアキちゃんは、すねてるような顔やった。
お前も見たいか、朧 の龍 の、デレデレ顔 が。
こいつがその顔で、自分を見るのを見たいんですか。
見たことないのに、おとんにはそうやったらしい恋 バナみたいの聞かされて、超 ムカツクんですか。
それ自体 、俺や犬に軽くぶっ殺 されてもしゃあないという事に、気がついてませんね。無意識 ですね。無意識 にすねてますね、ジュニア!
俺はもう開いた口ふさがらん。犬もふさがらん。俺はもうショックではない。しかし犬はショック。
だって目の前で本間 先輩、他の奴 と仲良 うしてるしな。若干 、口説 きに入ってるよな。知らんとな。お前はそんなんしてもろたことないのになあ。
せやけどアキちゃんは、それにも勿論 気がついてへん。鮮 やかなまでの無神経 さや。鈍 いのもここまでくると、ほとんど芸術 や。人間国宝 。勲章 もらえる。
「信太 がなんやねん。他人 の幸せ心配してる間に、てめえの心配しろって言うといてくれ」
「それもお前が自分で言え。どうせ何も言うてへんのやろ。にこにこ許 してやって、それっきりなんやろ。そんなんされても嬉 しないねん!」
「そんなもん適当 でええねん、先生。信太 もそんな贅沢 言ってられんのは、俺があっさり許 してやったからなんやで。これがもし血みどろにモメとってみろ。あいつも今ごろ、助けてくれって泣いとるわ」
そうかもしれへん。無い物ねだりや。
「ご加勢 、大変助かりましたわ、亨 ちゃん。なんで黙 って突 っ立ってんのや。面白 かったか? この役立 たず。何のために仲間を喚 んだと思うてんのや」
もうアキちゃんと口ききとうないという態度 で、朧 はうんざり俺を見た。
ともだちにシェアしよう!