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24-44 トオル
はよ行けと|虎《とら》に|背《せ》を|押《お》され、|寛太《かんた》は悲しそうな顔をした。|嫌々《いやいや》客とらされる|女郎《じょろう》みたいやった。
とぼとぼ|濡《ぬ》れた|床《ゆか》を|踏《ふ》んで、|裸足《はだし》の|寛太《かんた》は身を折っているアキちゃんの、両手で|抱《かか》えた頭に|触《ふ》れた。
「先生、ほなチューしよか?」
|寛太《かんた》が|触《ふ》れたところから、ぼうっと|物凄《ものすご》い|火焔《かえん》が上がった。
うわあって、俺と犬とはびっくりして、思わず|仰《の》け|反《ぞ》っていた。
その火はほんまもんの火で、こっちの顔に熱風 を浴 びせてきたけど、|寛太《かんた》はぜんぜん平気みたいやった。
その|燃《も》え|上《あ》がる手で、顔を上げさせられたアキちゃんは、もう|朦朧《もうろう》としてた。高熱が出て|意識《いしき》が飛びかけてる人みたい。
発火 するほど熱いんやから、そんなもんで|済《す》んでるほうが|奇跡《きせき》なんやけど、アキちゃんはすごく、しんどそうやった。
熱出したことないんやもんな。今まで。それが初めて発熱 してて、ぐったりダルい。しんどいわあって、|哀《あわ》れっぽかった。
鳥さんは|座《すわ》ったままのアキちゃんの|膝《ひざ》に、|跨《またが》るように足をのしかからせて、|仰向《あおむ》かせた|唇《くちびる》に、おもむろにキスをした。
見た。見てもうた。うっかり見ちゃったよ。
俺は|慌《あわ》てて目を|背《そむ》けた。
そしてやっぱり、つらいというように、悲しく目を|逸《そ》らしてた犬を見つけた。
その|姿《すがた》は俺を、なんでかすごく冷静 にさせた。
犬は|嫉妬《しっと》に|惑乱《わくらん》されている。その様子は|哀《あわ》れっぽかった。
大好きな本間 |先輩《せんぱい》が|他《ほか》のとチューしててつらい。お前はアキちゃんのことが好きなんやなあ、|独占《どくせん》したいんや。それが無理でも、せめて自分にもキスしてほしい。お前|誰《だれ》やねんみたいな赤毛の鳥ともキスをして、ラジオを|抱《いだ》いて|寝《ね》られるんやったら、なんで自分にはしてくれへんのやろうと悲しいんや。
そりゃあ、|確《たし》かに、ひどいよな。アキちゃんちょっと、|甲斐性無《かいしょうな》しなんやで。
そう思って、俺は|恐《おそ》る|恐《おそ》る、横目に|視線《しせん》を|戻《もど》した。
アキちゃんはほんまに鳥とキスしてた。でももう半分、|意識《いしき》ないっぽかった。救 いといえば、それが救 いや。
鳥さんは、ふらりと|倒《たお》れそうなアキちゃんの|肩《かた》を|捕《つか》まえて、|頬《ほお》にも手を|添《そ》えてやり、開かせた|唇《くちびる》から何か|吸《す》い|取《と》って飲んでいた。
赤い|舌《した》がちろりと見えて、それが|透明《とうめい》な|密《みつ》の|塊《かたまり》のようなもんを、|舐《な》めとっていくのが見える。
|硬《かた》い|水飴《みずあめ》でも食うてるみたいやった。|猛烈《もうれつ》に|甘《あま》い|桃《もも》の|匂《にお》いがしてる。
初め|渋々《しぶしぶ》やったはずが、|寛太《かんた》はだんだん|貪《むさぼ》るような食い方やった。
|美味《うま》いらしい。アキちゃんの|顎《あご》を|掴《つか》んでガツガツ食うて、しばらくしてから、|寛太《かんた》はなんでか、切なそうに|唇《くちびる》を合わせ、ちゅうちゅう|吸《す》うようなキスをした。
その|唇《くちびる》が|離《はな》れると、鳥ははあはあ|喘《あえ》いでた。
「|甘《あま》い……」
強く|肩《かた》を|引《ひ》き|寄《よ》せて、|寛太《かんた》はアキちゃんの体に|抱《だ》きついていた。|跨《またが》った足がアキちゃんの体を|絞《し》めている。|抱《だ》いてるようにしか見えへん。そしてまた、相手の|舌《した》を|弄《もてあそ》ぶような、|貪《むさぼ》るキスに|戻《もど》った。
ぽかんと、ほんまに口を開いて、|蔦子《つたこ》さんは|呆《あき》れて見てた。どう見ても、|欲情《よくじょう》してきたらしい鳥を|眺《なが》めて。
「結局こいつもそうやねん。エロが好き。そうやろ、|寛太《かんた》。無理することないのに……」
しみじみ|可笑《おか》しいみたいに、|朧《おぼろ》様が言うていた。
こいつも|寛太《かんた》が自分に|似《に》ているという気がしているようやった。
たぶん、ほんまにそうなんやろう。|寛太《かんた》は|湊川《みなとがわ》|怜司《れいじ》の|複製品《レプリカ》や。それも何や都合のええように、足したり引いたりされている。
なんでそんなふうになってもうてんのか、俺にはよう分からへん。
たぶんやけどな、|寛太《かんた》は本物の|湊川《みなとがわ》からパクったんやのうて、|虎《とら》の心を読んだんや。
|虎《とら》が最初に見つけた時、|寛太《かんた》はほんまにアホなヒナ鳥やった。それでも鳥の|習性《しゅうせい》か、最初に見たものを自分の|保護者《ほごしゃ》として、愛を求めるようになる。|刷り込み現象《インプリンティング》やで。まあ、一種の|一目惚《ひとめぼ》れやな。
生まれたてやった|寛太《かんた》は、心細 い気持ちでひとり|降《お》り|立《た》った|神戸《こうべ》の|瓦礫《がれき》の中で、最初に自分を見つけた|虎《とら》に、|捨《す》てていかれたくなかったんやろ。
連れて帰って、自分を|愛《いと》しいものとして、守って育ててもらいたかった。
ほんで|虎《とら》にモテるにはどないしたらええか、アホなりに必死で考えたんやろ。|虎《とら》が|惚《ほ》れてる、好みのもんになればええんやって。
それで、その当時、|虎《とら》が熱を上げていた、|湊川《みなとがわ》|怜司《れいじ》の芸風 をパクった。
|虎《とら》はちょうどその|頃《ころ》、|蔦子《つたこ》|姐《ねえ》さんに|振《ふ》られてもうて、そのドン底気分を|癒《い》やしてくれてた|朧《おぼろ》様に、のめり|込《こ》むように|惚《ほ》れていたらしい。
でも、それはまあ、一種の反動みたいなもんや。好きは好きで、その気分に|嘘《うそ》はなかったやろけど、|失恋《しつれん》気分を|癒《い》やすのに、新しい|恋《こい》に|燃《も》えたい。そういう時ってあるやん。
|信太《しんた》の|兄貴《あにき》がめちゃめちゃ好きらしい、|湊川《みなとがわ》|怜司《れいじ》を|眺《なが》め、|寛太《かんた》は|羨《うらや》ましかったんやろう。ラジオにめろめろしている|信太《しんた》の心が見えていた。
|恋《こい》は|盲目《もうもく》っていうけどな。好きや好きやの出だしの|頃《ころ》には、ほんまの相手が見えてへん。
自分にとって気持ちよかったり、|萌《も》えるわあていうところばっかり見つめてる。かなりドリーム入ってる。
そんな|自己《じこ》都合 で|歪《ゆが》められた、|適当《てきとう》ドリームの|理想像《りそうぞう》のほうを、|寛太《かんた》はパクったんやな。
せやし、ある意味、最強 や。
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