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24-58 トオル
「そんなふうに言うな。なんか他 に言い様 あるやろ」
アキちゃん悲しそうやった。俺も若干 情 けない。
確 かにちょっと、漏 れすぎやで、アキちゃん。自分でなんとかでけへんのか。我慢 するとか。何かないの。
そんな奴 見たことないで。ヴィラ北野にはいっぱい巫覡 の人らいてはるけども、霊力 ダダ漏 れで溶 けそうなってる人なんか、一人 もいてへん。
アキちゃんだけやで。格好悪 いんとちゃうの。
それに大ピンチやないか。どないしたらええんや、これは。
まさかずっと鳥さんにチューしてもろとく訳 にはいかんやろ。俺、いややで、そんなん!
「まずいわ、蔦子 さん。なんとかせな。こんなん、どんな大食 いの神でも、食えへんで。寛太 ももう満腹 やもんな?」
抱 っこしてやっている鳥に、湊川 が訊 ねると、寛太 は困 ったような顔で、うんうんと頷 いていた。いくら美味 いもんでも底無 しには食われへんよな。
「水煙 は?」
また汗 みたいに、たらたら垂 れてきたのを手で拭 い、アキちゃんは焦 ってるのを堪 えた声で、誰 にともなく訊 いた。
「水煙 はあかんやろ。あいつは極 めて小食 の神やで?」
湊川 はぽかんと答えてやってたが、アキちゃんはそれに地団駄 踏 みそうな、イラッとした気配 になった。
「違 うやろ! どこに居 るかって訊 いてんねん! 水煙 に相談したいんや。そもそも、それもあってここへ来たんや」
アキちゃんはキレそうなってた。相当 、焦 っとるな。
一応 、漏 れるの我慢 はしてるらしかった。
どないして我慢 してんのか、よう分からん、見当 もつかん感覚 やけど、とにかく堪 えてはいる。
なんやろ。トイレ我慢 するようなもん? それとも、何か違 う我慢 ?
ははは。まあ、それはええけど、たぶん他 には例 えようもないような感覚やろな。
そわそわすんのか、アキちゃんは立ち上がっていた。何となく胸 が喘 いでいて、またのぼせてるみたいやった。
「あらまあ。そんな緊急 の話があるんやったら、先にそっちをすればええのに。段取 りの悪い子ぉやなあ、坊 は」
蔦子 さんも、ぽかんとアキちゃんを見上げて言うた。
それにアキちゃんは、さらに駄々 こねたような険 しい顔をした。
「蔦子 さんが先に、式 を譲 るか譲 らんかの話を始めはったんやないか。俺が悪いんか。俺が悪いということになんのか!?」
「まあまあ、そう吠 えんと。水煙 やったら、隣 に居 りますえ。竜太郎 と。もう予知 は、終わってんのやないか。水音 がしいひんようになった」
アキちゃんを宥 めるような声で言い、蔦子 さんはさらりと裳裾 を引いて、籐椅子 から自分も立った。
「行きましょうか。信太 、あんたたちはお残り。朧 、あんたはどうしますか」
どっちの仲間に混 ざるんやと、蔦子 さんは湊川 怜司 に訊 いていた。
朧 は、肩 を抱 いていた腕 をほどいて、よしよしと優 しく、寛太 の赤毛を撫 でてやっていた。
「俺もそのボンボンと一緒 に行くわ。寛太 、俺の電話番号知っとうやろ? なんかあったら遠慮 せんと電話しろ。啓 、お互 い生きとったらまた遊んでくれ。ほな、またな……」
寛太 に見上げられつつ、にこやかに立ち、朧 は淀 みのない神戸 弁 で話した。
どこへ行っても、その土地の言葉で話す、そういう性質 の奴 らしいで、怜司 兄 さんは。
そして、別れの名残 を惜 しむように、氷雪系 と手を握 り合っている白い背 に、虎 はため息混 じりに声をかけてた。
自分から声かけへんかったら、たぶん無視 されるやろというような、そんな悲哀 に満ちていた。
「俺には何かないの、怜司 」
「成仏 しろよ」
にっこり笑って、朧 様は答えた。虎 が可哀想 やった。
「せっかくやけど後にしてくれへんか。来るんやったら急いでくれ」
これ、うちのアキちゃんやけどな、ほんまデリカシーの無い男。冷 や汗 みたいに、こめかみからも首筋 からも、たらたら雫 を流しつつ、青い顔して朧 を急 かした。
もうちょっと我慢 でけへんのか、アキちゃん。どんだけ切羽詰 まってんのや。
握手 してやろうというのか、朧 (おぼろ)様は去り際 、信太 に手を差し出した。虎 はそれを握 ったけども、なんやほんまに、通りすがりの神か仏 の手に縋 りついてるみたいに見えた。
「指輪どしたんや」
握 った手には、いつもやったら指輪があったんやろう。微 かに他 にも聞こえる声で、信太 は訊 ねた。
確 かに指輪の跡 はある、白い指をやんわり掴 んで。
「捨 てたわ、飽 きたし」
にっこりしたまま、あっさり答える朧 様には、血も涙 もないように見える。こいつが泣いたり、寂 しくなったりするような事が、時にはあるというのが、今この時にはちょっと信じられん。
信太 は暗い真顔 やったけど、たぶん傷 ついたんやろう。俺はそんなふうな気がした。
するりと抜 き取 られていく白い手を、そのまま逃 がして、信太 はちょっとだけ、切 ない目をした。
「心配いらへん、信太 。この国では、昔から言うねん。捨 てる神あれば、拾 う神あり、ってな。拾 うた神に、お前も拾 うてもらえ。きっと幸せになれるよ」
てめえが捨 てた神に、虎 は慰 められていた。
それで、うんともすんとも、言わへんかった。
手を振 って、颯爽 と見える足取りで、朧 は俺らに混 じってついてきた。
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