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24-60 トオル
アキちゃんと違 うて、この子はほんまに覡 として育てられた。
蔦子 さんは、いろいろ教えた。どうやって未来を視 るか。どうやって、時流 を泳ぐか。
すでに竜太郎 は一人前 で、なんでもそつなくこなす、賢 い子やった。
せやし、一人 で大丈夫 。お母 ちゃん、あっちいっとけって癇癪 起こすし、それに水煙 も一緒 なんやから、いっぺん一人 でやらせてみようかと、そう思ったのが間違 いやったんやな。
水煙 様は、もちろん、その時を待っていた。竜太郎 に無茶 をさせてもええような、そういう魔 が差す時を。
「竜太郎 !」
二度目に呼 ぶ時の蔦子 さんの声は、ほとんど悲鳴 みたいやった。
竜太郎 は寝 てるんやなかった。顔色が、倒 れている砂 の色に近い、真っ白やった。
白い砂浜 。暗い洞穴 。うす青く光る、時の水。
そして、そこに佇 む、目の醒 めるような鮮 やかな青色の、龍神 様を俺 は見た。
水煙 やった。佇 む言うても、体は蛇 や。青い鱗 が鮮 やかで、ゆるく蜷局 を巻 いている、その肢体 は優美 。
俺 は自分も蛇 やから、そう思うんやろう。同じ鱗 を帯びた眷属 に、親しみがある。
でも、その時の水煙 様の顔は、とてもやないけど親しみは感じられへんかった。
水煙 は、ぼうっとしてた。もともと青い仮面 のような、無表情 な顔の作りで、つるりと黒いガラス玉みたいな目にも、表情 は薄 い。
せやけど動かん能面 にかて、表情 があるように見えるのと同じで、俺 は水煙 が無表情 な神やとは、感じたことはない。笑うし怒る。泣いてるように見える時もある。
けど今は、泣いてない。笑ってもいない。ぼんやりしてて、まるで、心ここにあらず。
腕 をだらんと両脇 に垂 らし、水煙 はこころもち首を傾 げて、砂浜 に倒 れ伏 している竜太郎 と、それに取りすがっている蔦子 さんを見下ろしていた。
「どないしたんや……水煙 」
俺 は恐 る恐 る、声かけた。蛇体 で立つ水煙 様のお顔は、俺 から眺 めて、見上げるような高い位置にあった。
「水地 亨 か」
俺 に気付いて、水煙 はぼんやりと、名を呼 んできた。
「どしたんや、竜太郎 は。何があったんや……」
お前もどないしたんやと、俺 は訊 きたかった。
でも、絹 を裂 くような蔦子 さんの悲鳴を浴びて、怖 さのあまり固まってもうてん。
「竜太郎 、しっかりしなさい!」
ぐったりしてる中一の、まだまだ育ちますよみたいな体を揺 すって、蔦子 さんは取 り乱 していた。
「どないしよう、坊 ……息をしてへん。うちの子が、息をしてまへんのや」
蔦子 さんは、悲鳴みたいな涙声 で、後から駆 けつけてきたアキちゃんに、そう泣きついた。
なんで蔦子 さんみたいな人が、アキちゃんに泣きつくんか、俺 はこの時、おばちゃまの、心の本音 を見たような気がするわ。
アキちゃんは、おとんにそっくりやからやろ。キツいみたいに、厳 しい態度 やったけど、蔦子 さんもほんまは、暁彦 様にそっくりなジュニアのほうを見て、いくらか胸 キュンやったんや。
「何があったんや、水煙 」
驚 いても良さそうなもんやのに、アキちゃんは、水煙 の今の姿 を見ても、それにはなんもリアクション無しやった。まるで毎日見てたみたいやった。
でも、そんなはずない。初めて見たはずや。水煙 はこの姿 を、自分では醜 いと思うてたはず。せやしアキちゃんに見せてるはずがない。
声かけられて、こっちは、はっとしていた。水煙 はやっと、苦しいような顔をした。見られんのが、つらかったんやと、俺 は思うで。
「竜太郎 に何があったんや?」
詰問 する声で、アキちゃんは訊 いた。
アキちゃんは、取 り乱 している蔦子 さんの肩 をとっさに抱 いて、もう片方 の手で、倒 れている竜太郎 の口元に触 れていた。ほんまに息してへんかどうか、確 かめたんやろう。
水煙 は、問 うた覡 の質問 には、答えなあかんと思うたんやろう。うっすらと、青い唇 を開いて、ためらうように、しばし押 し黙 ってから、答えた。
「死んでもうたわ、アキちゃん」
「なんやと……何言うてんのや。なんでそんなことに……」
そんなこと、受け入れがたいという悲壮 な顔で、アキちゃんは竜太郎 の顔を見ていた。
それが死に顔やなんて、想像 しとうない。
アキちゃんは竜太郎 のことは、好きやったやろ。可愛 い又従兄弟 やった。アキちゃんに、よう懐 いてたし、生意気 やけども、結局のところ可愛 い子やったで。
「息が詰 まってもうただけや」
水煙 は、長い腕 をあげて、もじもじ居心地 が悪いように、胸 のあたりで自分の指を弄 んでいた。
その手が震 えてんのを、俺 は見つけてもうて、やばいんちゃうかと思った。
水煙 、お前、大丈夫 か。なんで震 えてんの。
震 えなあかんような、何があるんや。
「溺 れたんか!?」
叫 ぶみたいな厳 しい声で、顔あげて、アキちゃんは水煙 に、分かり切ったことを訊 いた。
水煙 はその声に、びくっと全身を震 わせていた。
古い神でも震 えるような、そんな力が、この時のアキちゃんには漲 っていたらしい。
今までジュニアは屁 でもない、可愛 いもんやって、そんな偉 そうな上から目線 やったのに、アキちゃんに怒鳴 られた水煙 はもう、哀 れっぽかった。
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