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24-63 トオル

 (だれ)にもなんにも教えられてへんのに、アキちゃんは(すが)蔦子(つたこ)さんをやんわり(わき)()しのけて、竜太郎(りゅうたろう)にキスをした。  マウス・トゥ・マウスやで。俺が(そば)におるというのに、それれに気兼(きが)ねもなんもなし。  アキちゃん必死やったんやろう。  また死んでまう。自分のせいで竜太郎(りゅうたろう)が死んでもうたら、もう、つらい。  蔦子(つたこ)さんにも世間様(せけんさま)にも、顔向けでけへん。  竜太郎(りゅうたろう)可哀想(かわいそう)すぎて、()(がた)いって、そんな自責(じせき)の念に()られて、それで頭がいっぱいになってた。  人間、必死になってれば、予想もつかん力が出たりする。いわゆる火事場(かじば)馬鹿力(ばかぢから)。  アキちゃん基本(きほん)は、それやから。大ピンチなってビビってもうて、実力()えた実力を出す。ぶっつけ本番。演習(えんしゅう)はない。  あるはずのない(なぎさ)潮水(しおみず)()れた、竜太郎(りゅうたろう)のひょろい体を()()げて、アキちゃんは熱烈(ねつれつ)にキスしてた。  たぶん何かを(そそ)()んでる。水飴(みずあめ)みたいな、例のアレやろう。鳥さんが食うていた。熱くて(あま)い、(もも)みたいな(にお)いのする、アキちゃんの霊水(れいすい)や。  (みな)、それぞれ、あんぐりとして、それを見ていた。  もう、普通(ふつう)の世界やないから。  中一と、又従兄弟(またいとこ)のお(にい)ちゃんの、熱烈(ねつれつ)キッスやから。  それを、おかんがガン見やねんから。お(にい)ちゃんのツレも見てるよー。犬も呆然(ぼうぜん)やから。  水煙(すいえん)様も、こころもち首を(かし)げた、虚脱(きょだつ)したような顔のまま、じっとそれを見下ろしていた。  ただ湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)だけが、アキちゃんと竜太郎(りゅうたろう)やのうて、ぼうっと見てる水煙(すいえん)を、見ていたような気がする。俺も必死やったし、よう分からんのやけどな。  アキちゃんはどれくらい、そうして竜太郎(りゅうたろう)にキスしてたやろか。  長かった気がする。ぴったり合わされていた竜太郎(りゅうたろう)(くちびる)から、ふとアキちゃんが(くちびる)(はな)すと、たらあっと()(みつ)みたいなもんが、竜太郎(りゅうたろう)の口の()から(あふ)れて()れた。もう満タンらしかった。  しばらく竜太郎(りゅうたろう)は、ぐったりしたままやった。アキちゃんはその体を(いだ)いて、じっと真剣(しんけん)そのものの目で、竜太郎(りゅうたろう)の顔を見つめていた。  気のせいか、竜太郎(りゅうたろう)(ほお)には、うっすら赤みがさしてた。まだまだ蒼白(そうはく)やけど、それでも生きてるような顔色や。死んでるのに(くら)べたら、生きた人間の顔色になってきている。  一度強く()さぶって、アキちゃんは待ち切れんのか、声かけた。 「竜太郎(りゅうたろう)!」  アキちゃんに一喝(いっかつ)されて、竜太郎(りゅうたろう)突然(とつぜん)、ごぼっと()いた。  アキちゃんが()ませた霊水(れいすい)か。いや、(ちが)うっぽい。  竜太郎(りゅうたろう)()いたんは、うっすら虹色(にじいろ)(かがや)くスライムみたいな、透明(とうめい)なゼリーっぽい、つるんとした(かたまり)みたいな液体(えきたい)やった。  げほげほ苦しそうに()()んで、竜太郎(りゅうたろう)はびっくりするくらいの量の、虹色(にじいろ)光沢(こうたく)ゼリーを()いた。  ()()されたもんは、(かた)(ぱし)から(すな)()みこみ、揮発(きはつ)するように消えていく。後には軽い、イオン(しゅう)みたいのが(ただよ)った。  ポカリスエットの(かん)あけた時に、一瞬(いっしゅん)(にお)う、苦いような(あま)いようなアレやんか。知らん? ()いだことない? 今度いっぺん、ポカリ飲む時、くんくんしてみて。 「時の水やわ……」  自分もかつて、その中を、泳いだことがあるという口調(くちょう)で、蔦子(つたこ)さんは軽い(おどろ)きとともに言った。泣き笑いの表情(ひょうじょう)やった。  そして、かすかな躊躇(ためら)いの後、アキちゃんが(ささ)えてやっている竜太郎(りゅうたろう)の体を、蔦子(つたこ)さんはぎゅうっと(いだ)きしめた。  そうするのが(こわ)いけど、ずっとそうしたかったみたいな、そんな不思議(ふしぎ)()(かた)やった。  蔦子(つたこ)さんはずっと、(こわ)かったらしい。竜太郎(りゅうたろう)(さわ)んのが。  なんでか言うたら、秋津(あきつ)家は、ぶっちゃけ近親相姦(きんしんそうかん)血筋(ちすじ)やで。  可愛(かわい)息子(むすこ)が、可愛(かわい)可愛(かわい)いて思うのは、もしや劣情(れつじょう)ではないかと、このおかんは(おそ)れ、それで遠慮(えんりょ)しとったらしい。  竜太郎(りゅうたろう)乳離(ちばな)れしてからは、スキンシップの(うす)い親子やったみたいやで。  自分の息子(むすこ)とどういうふうに付き合えばええのか、蔦子(つたこ)さんはずっと(まよ)ってた。それでついつい(あま)やかしたり、放任(ほうにん)したりしてもうてたみたい。  もしかして、秋津(あきつ)のおかんもそうやろか。(こわ)(こわ)い。考えんとこ。  しかし、そんな(みょう)(わだかま)りも、時の水の()けるポカリ(しゅう)の中で、一緒(いっしょ)(なん)なく()けて消えた。  ()()うてる蔦子(つたこ)さんと竜太郎(りゅうたろう)は、(だれ)が見たかて、死にそこなった息子(むすこ)黄泉(よみ)がえりを、心底(しんそこ)喜ぶおかんと、まだまだ(おさな)息子(むすこ)抱擁(ほうよう)やった。 「お母ちゃん」  ぼけっとした、力のない声で、竜太郎(りゅうたろう)蔦子(つたこ)さんを()んだ。 「あっちいっといてくれって、(ぼく)、言うたやろ。なんで()るのん」 「何を言うてますのんや、あんたは。死にかけてましたんやで!」 「そうなん……? どうりで三途(さんず)(かわ)見えた」  石()んでたらしいで、竜太郎(りゅうたろう)(さい)河原(かわら)で。  ひとつ()んでは母のため。ふたつ()んでは父のため。親に先立つ小さい子供は、三途(さんず)の川を(わた)る時、そういうことをするらしい。  あの世に(わた)る、三途(さんず)の川の河原(かわら)の石で、小さい小さい石塔(せきとう)作る。そこへ(おに)がやってきて、せっかく積んだ石塔(せきとう)を、蹴倒(けたお)していくらしい。  竜太郎(りゅうたろう)の場合は、(おに)はアキちゃんやな。(ゆめ)(うつつ)か知らん、暗い河原(かわら)で石()んでると、アキ(にい)がやってきて、石塔(せきとう)蹴倒(けたお)し、なにやってんねん、そんなんするな、もう帰るでと、連れに来たらしい。  それにぐいぐい手を引かれ、竜太郎(りゅうたろう)君は(もど)ってきたらしい。

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