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24-65 トオル
俺は忘 れた。初恋 なんて。
そんなの遠い昔のことすぎて、滅多 に思い出さへんわ。
竜太郎 が抱 えてる、幼 い純情 みたいなもんが、分かるような、分からんような。手も握 らへんような時の、なんだかんだは、俺とアキちゃん、一瞬 で通 り過 ぎてもうたしな。
もったいないことしたやろか。ゆっくり歩く恋 もええなあって、竜太郎 なんか見てると思うけど、でももう、ジェットコースターで駆 け抜 けてきた後やしな。
分からへん。純情 で、奥手 な奴 らのやることは。
「俺がやれと言うたからや」
うわっ、水煙 、なんで言うのん? 黙 ってりゃええのに! 俺はチクってへんで! 自分で言わへんかったらバレへんかったのに!
けろっと言うてる水煙 に、俺は心底ぎょっとしていた。
アキちゃんも、横から言われた水煙 の一言に、脳天 ガツンて来てた。相当ショックみたいやった。真 っ青 になって、また水煙 を振 り仰 いでた。
「なんやと?」
普段 やったらありえへんような、堪 えた喧嘩腰 で、アキちゃんは水煙 に訊 いた。
水煙 は、どこまでも虚 ろな暗い宇宙 のような目で、じいっと真 っ直 ぐにアキちゃんを見つめていた。
「竜太郎 は分家 の子や。本家 の坊 であるお前のために、命を投げ打つのは当然の忠義 や」
「お前はいつの時代の話をしてんのや。わかってんのか水煙 。今はそんなこと、しいひん時代なんやで。今の世の中では、人はみんな平等なんや」
まるで時代劇 の人と会うちゃったみたいに、アキちゃんは焦 って言うてた。ジェネレーション・ギャップありすぎみたいやった。
「いつの時代でも関係ない。秋津 はずっとそうして家を守ってきた。直系 の血筋 を守るために、一族で結束 してきたんや。お前の父もそうやった。祖父 もそうやった。血筋 の始めまで遡 っても、ずうっとそうやったんや。それがお前の代でだけ違 うということがあるものか」
表情 がなくても、水煙 の目は強い。
今まで俺はずっと、お前んちの血筋 を見守ってきた。お前より、いろいろよう知ってるし、昨日 今日 生まれたばっかりの坊 が偉 そうに、この水煙 様に楯突 くなって、そんなガン垂 れ勝負やで。
普通 やったらここで畏 れ入 るんやろう。ははあ水煙 様、ありがたやありがたやって、拝 んで引き下がるところ。それくらいの霊威 は水煙 にはある。父祖 の代ではずうっとそうやった。
しかしアキちゃんは違 う。底抜 けの我 が儘 坊 ややからさ。
ほんまに底が抜 けてて、霊力 ダダ漏 れなんやから。
それに駄々 こねだしたら言うこときかへん悪い子で、あの怖 いおかんでさえ、こいつにはずうっと手を焼いてきたんや。ほぼ妖怪 か子鬼 やで。
おかん、ほんまに言うてたもん。小さい頃 のアキちゃんは、ゴネるとなったら、どうしようもない我 が儘 で、ほんまに子鬼 なんやないかと思てましたわ、って。
せやし、奥 ゆかしい水煙 様ぐらいでは、こいつの真性 の我 が儘 に勝てるわけがない。
「違 って何が悪いんや! 俺はおとんや、祖父 さんとは違 う。同じ男やないんやで。俺を当主 に選んだというんやったら、今の代では俺がルールやろ。お前も俺の式 なんやったら、ちょっとは俺の言うことをきけ!」
ほらな。アキちゃん徹底 抗戦 の構 えやで。畏 れ入 ったりせえへんのやで。
水煙 はそれに、調子狂 ってもうたんか、うっと小さく顔をしかめてた。
おとんはもっと、素直 やったんかな。水煙 怖 いて、畏 れ入 ってくれてたんか。
やっぱあれやで。人間なんてな、いっぺん好きやて言うてやってもうたら、どこまでも付け上がるんやで。特に秋津 の男はな。
そういえばそれも蔦子 さんが、ついさっきそう言うてたよな。秋津 の男は、甘 やかすと、どこまでも果 てしなく付け上がる。
まさにアキちゃん、果 てしなく付け上がってたんやろな。水煙 様に対しては。
こいつは俺に惚 れてる神やと、それにもう確信 が湧 いている。
「お前の言うとおりにしていたら、家など、すぐ滅 んでしまう」
咎 めるような伏 し目で言うてる水煙 は、俺には若干 劣勢 に見えた。
頑張 れ兄 さん。
せやけど、そんなに家が大事か。それは何のための家やねん。お前にとって、秋津 家というのは、どういう家なんや。
「滅 んで何があかんねん。中一の子をぶっ殺してまで続けなあかん家なんかあるか。そんなんしてたらな、一族みんな、そろって鬼 になってまうわ。俺の代で秋津 は終わりや。俺が死んで、もう何もかも消えてなくなる。こんな腐 ったみたいな血筋 のオチは、それでええんや」
アキちゃんが怒鳴 る声で答えると、水煙 は一瞬 、目を見開いて、よろけたみたいに小さく身じろぎした。
綺麗 な鱗 のある、神社か寺の工芸品 みたいな蛇体 が、ぐらりと傾 いで、それでも、倒 れはすまいと踏 みとどまっていた。
「なんということを、お前は言うんや。言霊 を忘 れたか。教えたやろう。お前は自分の血筋 を呪 おうというんか」
「俺が呪 わんでも、もともと呪 われている。お前がうちに取 り憑 いて、呪 っているんや。お前はもう、鬼 なってる。神やない。ただの鬼 やで水煙 」
言うてる自分の言葉にがっくりきたように、アキちゃんは項垂 れていた。
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