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24-66 トオル
そうして、急にいつもの駄々 っ子 みたいな、どこか甘 えた声になった。
「なんでや、水煙 。お前は優 しい神さんやのに。なんで皆 にも優 しゅうしてやられへんのや。そんな姿 で、鬼 みたいやったら、誰 にもわからへんやんか。お前も神やということが……」
「俺が鬼 やというんか、お前は」
動揺 したんか、微 かに震 えている声で、水煙 は答え、そして、どこともしれん方を見た。遠い目になったんかと、俺は一瞬 思ったけど、振 り返 ってみて気がついた。
水煙 は、朧 を見ていただけやった。
朧 様は、にやにや笑っていたわ。じっと眺 めて、面白 い芝居 でも見てるみたいに、にやにやしていた。
その目が自分を見ていることに、水煙 は苦痛 を覚 えたらしい。身を捩 って目をそらし、俺は苦痛 やという顔をした。
「そうか……お前がそう思うんやったら、俺を鬼 として滅 ぼせばええよ。お前にはもう、太刀 なんか要 らんのやろう。いつのまにやら、随分 と力を増 したようや。何があったか知らんけどな」
水煙 は随分 と、辛 そうやった。手が痛 いように、握 り合 わせて堪 えた指が、何や変みたい。
なんかこう、鬼 の手みたい。
俺は呆然 として、それを見ていた。
アキちゃんはまた、気がついてへんのやろうか。自分がまた水煙 に、やばい呪 いをかけたのを。
言うたらあかんのやないか。お前は鬼 やなんて。そんなん言うたら、こいつはほんまに、鬼 になってまうんやないか。
朧 のように、自分が愛してた覡 に、お前は鬼 やない、神なんやでと言うてもろて、神になった奴 も居 るのに、おんなじように愛した覡 に、お前は鬼 やと詰 られてもうたら、もう、鬼 になるより他はないやろ。
お前がちゃんと、言うてやらなあかんのやないか、アキちゃん。水煙 に。愛してもらえて、俺は嬉 しい。俺もお前が好きや。お前は俺の、美しい、愛 おしい神さんで、皆 にもそれが分かるよう、人を愛してやってくれって。
お前のおとんがそうしたように、お前もそうして生きていくしかない。
せやけど、そんなアドバイス、俺の口から言わせる気なんか。せめて自分で気付け。そして俺に頭を下げて頼 め。耐 えてくれって。そしたら俺は、耐 えてやるから。
そやから頼 むしな、アキちゃん。俺やお前が水煙 を、成敗 するオチにもっていくのだけは、やめといて。
俺はそれは、何でか知らん、つらいねん。こいつもチーム秋津 のメンバーやないか。ちゃんと連れていこうよ、最後まで。
暗く翳 った色を帯 びていく、水煙 様の硬 い鱗 が、しゃらしゃらと、澄 んだ金属 の触 れあう音を立てていた。
それが打 ち寄 せる時のさざ波の、微 かな波濤 と相 まって、とても美しい。砂 もきゅうきゅう鳴いている。いつものアキちゃんやったら、きっとうっとり見たやろう。
お前はなんて、美しい神や。この光景 の醸 し出 す美に酔 い痴 れて、きっと、お前を描 きたいと言う。
でもアキちゃんは、目を閉 じていた。がっくり背 を丸めて座 り、暗くうつむいて、音も聞きたくないようやった。
もう見たくない。鬼 なんやったら水煙 なんて、見たくもないようやった。
そして水煙 も、見られたくはないらしい。呪 う言葉が染 み付 いたような、黒く乱 れた編 み目 のような文様 が、するする自分の膚 (はだ)を這 い上 ってくるのを、顔を覆 って耐 えていた。
それには痛 みがあるのかと、俺は心配したけども、口を開いた水煙 の声は、凜 としていて、苦痛 に喘 ぐようではなかった。
「しかし……アキちゃん。忘 れるな。お前の父も祖父 も、それを生み出した父祖 たちも、みんな苦しんできた。必死で守ってきた家や。それをお前は滅 ぼそうというんや。家名 も血筋 も、ゴミやガラクタではない。お前にはなんの価値 のないものでも、そのために死んだ者には敬意 を払 え。血筋 の最後の一人 のお前が、そんな腹 では……死んだ者たちが、可哀想 やから」
俺の中にも沢山 の、想 い出 と化 した顔があるけど、たぶん水煙 の中にもある。
それは皆 、秋津 の血族 たちやった。それと連 れ合 うて、水煙 は時の波 を越 えてきた。そういう神さんやった。そんな波乗 りももう、この代で終わり。
それでもう、しょうがないという顔を、水煙 はしていた。
それも定 めや、しょうがない。血筋 がここで尽 きるのも、運命 ならば、しょうがないという、そういう顔で、水煙 は悔 しそうに身を揉 んで、微笑 した。
それはたぶん、自嘲 の笑 みで、水煙 はこう言いたかったやろう。
俺はいったい、なんのために、今までずっと苦しんできたんやろう。次から次へ、相手を変えて、前の男の息子 に乗 り換 え、その子にまた乗 り換 えして、こんな時代まで辿 り着 いてもうた。
もっと早くに、どこか遠くへ、帰ればよかった。こんな惨 めな目に遭 うくらいなら、恋 なんて、せえへんかったらよかったなあと、ちょっと自分の持つ因果 や業 に、呆 れたような顔してた。
そして水煙 様は、砂 のお城 が波にさらわれ崩 れるように、ふにゃあっと頽 れて、項垂 れているアキちゃんの傍 らに、半分は人の姿 をしている体を寄 せてきた。
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