489 / 928
24-67 トオル
「アキちゃん、一体どないしたんや。蓋 が開いてしもて、止まらんようになっている。そのままやと、お前は溶 けてしまうんやで。使わん時には、ちゃんと締 めてかからなあかん」
水道使い終わったら、ちゃんと蛇口 は締 めておきなさいって、親か、幼稚園 の先生か、そんな口調でやんわり言うて、水煙 様は鋭 いかぎ爪 と鱗 で覆 われた手を、アキちゃんの肩 に置いた。
その次の瞬間 、アキちゃんはびくっとしてた。水煙 の手が、そのまま体の中にめり込 んだからやろう。俺も正直、ぎょっとしたけど、でもなぜか、止 めなあかんとは思わへんかった。
水煙 がアキちゃんを傷 つけるはずがない。
こいつはほんまにアキちゃんが好きらしい。自分は死んでも助けたい、そう思うてる。
アキちゃんが何しても、結局 許 す。
アキちゃんが自分を愛してなくても、ずっと愛してる。
朧 (おぼろ)が暁彦 様を恨 んでへん、自分を棄 てた男でも、棄 てずにずうっと愛してやってたように、水煙 もそういう奴 やろう。
結局この二人 、似 たモンどうしやねん。俺はそう、思うんやけどなあ。
「締 めればええだけやで、こんな感じで……」
ちょっと上を見てる目付きで、水煙 はアキちゃんの背 から、胸 か、腹 のあたりに突 っ込 んだ手を、ごそごそしていた。まるで体の中にある水道の蛇口 か、水門の取っ手か何かを、ぐるぐる回して締 めてるみたいな仕草 やったな。
アキちゃん、蛇口 ついてんのや。知らんかった。いろいろ知ってるつもりやったけど、アキちゃんの体って、まだまだ謎 がある。不思議 不思議 や。
不思議 すぎるわって、アキちゃん自身も、顔真 っ青 なってた。
シュールすぎたんやろう。まさか自分の体の中に、蛇口 ついてたりしてなんて、思わへんもんな。
でも、それを程 ほど締 めてもらって、アキちゃんは人心地 ついたらしかった。
ぜえぜえ言うて汗 をかいてた顔が、ほっと楽になったみたいに、いつものアキちゃんと変わらん、平静な様子に戻 った。
それを眺 め、水煙 はにっこり笑 うてた。
こいつが笑うの、珍 しいような気がするけども、どうせやったらこんな、鬼 みたいに変えられた、穢 れた姿 やのうて、アキちゃんが絵に描 いてやっていた、あの美青年の顔で、笑 うてやればええのに。
それでもアキちゃん、水煙 の黒い深い目をじいっと見つめ、魅入 られたような目をしてた。
見つめれば、神も鬼 も、じっと見つめ返してくる。憎 んで見れば、憎 いという目で。愛して見れば、愛してるという目で。
神は人を写す鏡で、いつの世でも、それを崇 める人間たちの姿 と似 てる。好ましい神を、人は愛して、そうではないものを、鬼 や悪魔 と切 り捨 てる。いつもそうやって、自分にとって都合のええ神さんを選ぶ、怖 ろしい、残酷 な生き物や。
「アキちゃん、俺はやっぱり、醜 いか。鬼 のような化け物か。それでも、これが俺のほんまの姿 なんや。どうしようもない。なんでこんなふうに、なってもうたんか。昔、お前の血筋 の始めにいた男には、俺も美しく見えたようやけど、その頃 はきっと、こんな姿 やなかったんやろうなあ」
笑って言うてる水煙 は、俺には別に醜 くは見えへんかったで。
化け物言うたら、そうかもしれへん。俺かてそうやわ。皆 そう。人でも神でも、どうせどこかは化けモンみたいなところをもってる。
俺は普段 は、それを隠 してる訳 やけど、水煙 様は隠 してない。いつでも正体 で勝負。
人を誤魔化 すための、美しく心地 よいところだけ見せた、仮 の姿 というのを、水煙 は持ってへんかった。
真面目 なやつやねん。ズルは無し。本性 晒 して嫌 われるんやったら、つらい事やけども、それでしょうがない。媚 びたりせえへん。俺には誇 りがあるわって、そういう矜持 の奴 やから。
「始め俺は、焼け爛 れた鉄 やった。元々は月にいた。月の一部やったんや。でも、そこから眺 める地球の海が、あんまり綺麗 で、ついつい見とれて、落ちてきてもうたんや。その時、すっかり、焼けてもうてなあ。それでも海から俺を拾った男には、美しく見えたらしい。あいつも覡 で、刀鍛冶 やった。鍛 えれば、お前は美しくなると言うて、俺を鍛 えた。それからずっと、太刀 やったんやけどな。そのことを、ちょっとお前に血迷 うて、忘 れすぎたか。俺は鉄 で……ずっと太刀 やった」
訥々 と語りつつ、水煙 はアキちゃんの背 に潜 らせていた腕 を、ゆっくり引 き抜 き、血でも肉でもない、透明 な霊水 に濡 れた手を、じいっと眺 めた。
そして、その甘 い香 りのする粘液 を、水煙 は白い舌 を出して、自分の腕 からぺろりと舐 めた。
そのままの姿 で、水煙 は、ぼんやり霞 みだし、長い蛇体 を持っていた体が、見る間に巻 き取 られるように、元の剣 の姿 に変わろうとしてた。
それは、おとんが作 り替 えさせた軍刀 ではない、きらきら輝 く、古い時代の華麗 な装飾 と文様のある、美しい太刀 やった。
「太刀 やねん、俺は。アキちゃん……鬼 ではない。俺も始めは、神やったんや。お前の血筋 の祖 であり、守り神でもあった。お前たちの支配者 であり、下僕 でもあった。お前たちが栄 え、幸せであるよう、いつも助けてきたつもりやった。愛してたんや、秋津 の子らを。お前たちは、俺が最初に愛した男の血を引く末裔 で、海から生まれた、月の眷属 で……俺の霊 の子や」
それだけは、教えとかなあかん。そういう気配で呟 いて、水煙 は沈黙 した。深い深い、海の底に眠 る、硬 い石のような沈黙 やった。
ともだちにシェアしよう!