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25-1 アキヒコ
アキちゃん、水煙 のこと、許 してやったらどうやと、亨 は俺と並 んで歩きつつ、のんびりとした声で、そう取りなしてきた。
なんでこいつが水煙 を庇 うのか、俺にはよう分からん。理解 を超 えた心理や。
神やからかな。亨 はすごい焼 き餅焼 きやのに、時々ものすごく心が広い。
ほんまに酷 い状況 やなあと、俺はヴィラ北野 のうねうねした廊下 を歩きながら思っていた。
俺は左手で亨 の手を引いて、右手には抜 き身 の太刀 を握 っている。そしてその後を、哀 れっぽい犬がとぼとぼついてくる。
それでも亨 は平気そうに、にこにこ笑って、俺を見ていた。なんでこいつは、それが平気なんやろか。
俺はほんまに、亨 には、済 まないことをしている。瑞希 にもそうやろう。水煙 にも、そうやったんかもしれへん。
慣 れてるとはいえ水煙 も、つらいもんは、つらいんやろう。太刀 に戻 って押 し黙 る姿 は、全力で俺を拒 んでるようやった。
一時は人のような姿 になって、俺に微笑 みかけていた水煙 も、また冷たい刃 に戻 ってしまった。
それも無理はない。俺はこいつのことを、鬼 やと罵 ってしもたしな。水煙 は、それでも平気でにこにこしてられるような、図太 い性格 ではないんや。
水煙 は繊細 やと言うていた、蔦子 さんの話には、俺にはなんとなく納得 がいく。
こいつの想 いは、いつも研 ぎ澄 まされた刃 のように、鋭 く思 い詰 めていて、触 れれば切れそうな一徹 さやった。
硬 いはずの鋼鉄 の刃 が、ほんのちょっとの技 の狂 いで、ばきっと折 れてしまうことがあるけど、水煙 にもたぶん、そういう恐 れは常 にある。
きっと、俺のためを考えて、必死になってくれたんやろう。それで竜太郎 を犠牲 にしてでも、俺を助けようとした。
俺が本家の坊 で、秋津 の跡取 り、今では当主 として立つ、たった一人 だけの直系 の男子やからや。
そうでなければ水煙 は、俺に必死にはならへんやろう。俺を選んだ訳 やない。血筋 を受 け継 ぐ男やから選んだだけや。
俺にもし、兄貴 でも居 って、それが当主 やということになってれば、水煙 はそっちを選んだ。
俺が好きなわけやない。水煙 は、秋津 の当主 が好きなだけ。
今は俺がそれやから、俺のことが好きなんや。
俺にはそれが、何とも言えず、切 なかった。
亨 は俺が覡 やのうて、秋津 の跡取 りやのうても、俺のことを好きでいてくれたんかもしれへん。
亨 にはむしろ、そんなんは、面倒 くさいばっかりで、何のええところもない、俺の欠点みたいなもんやったんかもな。
そやけど水煙 には、それが一番重要な点で、俺が秋津 の血を継 ぐ覡 でなければ、手も触 れさせへんかったんやろう。
水煙 が俺を気に入った理由は、ただひとつだけ。血筋 や。
初めはそれだけ。それが切 っ掛 けで、その後のことは別にしても、俺と水煙 との縁 の、スタート地点はそこにある。
俺が亨 を顔で選んだと、いつまでたっても愚痴 愚痴 言われるみたいに、俺は水煙 が自分を、血筋 だけで選んだというのが、いつも、どうも気に食わへん。いくら好きやと言われても、心のどこかに、素直 に受け入れられへん何かが残る。
でも俺も、そうやったかもしれへん。水煙 が欲 しいと思うのは、こいつが祖先 伝来 のご神刀 で、秋津 の当主 になるために、こいつに選ばれる必要があるからやないか。
秋津 の跡取 りになりたいために、俺は水煙 に執着 してんのやないか。
それやし水煙 は俺にとって、道具みたいなもんやったんかもしれへん。
実際 、太刀 やし、道具なんやで。
それに式(しき)やし、道具のように使役 するもんなんかもしれへん。
それでは嫌 や。ちゃんと心のあるもんを相手に、それではあまりに鬼畜 みたいやろ。
俺は水煙 を、人のような姿 にさせて、それできちんと、ひとつの人格 を持った相手として、扱 おうというつもりで居 った。
でも、それ自体、結局は俺の我 が儘 やったんやろう。好みの形に水煙 を、作 り替 えたかっただけ。素直 にそれに従 って、俺の好む形に変転 した水煙 に、深く満たされていた。
それは愛やない。ただの欲 やろう。
それでも俺には水煙 を、愛 しく思う気持ちはあったんやけど、それと向き合 うていくのが、嫌 やった。
水煙 との恋愛 に溺 れるための、深い水底 に引 き込 まれていく、その一歩手前で抵抗 していた。
青く光る海の底へ、今にも落ちようとする自分の心を、必死で引 き留 めていた。
これは打算 や。真 の愛ではない。水煙 のも違 う。あいつは俺の血に惚 れてるだけで、俺が好きなんやない。
俺も水煙 が、家督 の象徴 やから欲 しいだけ。家を継 ぎたい一心 や。
そやからこれは、愛とは違 う。これは嘘 や。偽物 の愛や。行ったらあかん道なんやと、それが俺の言 い訳 で、奔流 に呑 まれようとする自分の心を、ギリギリつなぎ留 めておくための、命綱 みたいなもん。
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