503 / 928
25-3 アキヒコ
俺は水煙 を、愛してやるべきやった。
亨 やのうて、水煙 を、自分の唯一無二 の相手として、選んでやるべきやった。
それが俺の勤 めやった。そういう気がして胸苦 しい。自分がまるで、逃 げてるようで。
逃 げている。血筋 の勤 めから。自分の中にいる何者かが、俺をそう詰 るんや。お前は勤 めを放 り出 していると、俺を責 めてる。
水煙 を、袖 にするなんて。鬼 やと罵 るなんて。そういうお前が鬼 や。
気位 のある神が、恥 も忘 れ、お前が好きやと身を投げ出してるのに、お前はそれを拒 むんか。たかが人の子の、小僧 の分際 で。
何という不遜 やと、激 しく責 める声がして、胸 が苦しく、猛烈 に頭が痛 む。
俺はつらい。引 き裂 かれそうや。引 き裂 かれそう。
分かってくれ、水煙 。分かってくれるやろ。お前は俺のつらい気持ちを、ちゃんと分かってくれてるんやろう。俺の心が見えてるんやったら、お前はそれを、分かってくれるはず。
そうでないなら俺は、一体どうしたらええんや。どうやってお前の愛に、応 えてやればええんや。
ただの太刀 と、その使い手という間柄 を越 えて、俺はお前に惚 れてるんやないか。そんなことが、あってええのか。
ふたりの神を、人の身で、上手 く騙 して手玉にとるようなこと。お前に心底 惚 れてると、ふたりを相手に囁 くような、そんなのが誠実 やとは、俺には思えへん。どっちかが嘘 になってしまう。
おとんが結局、朧 を捨 てたように、俺も水煙 か亨 を、捨 てることになるんやないか。泥沼 の果てに。
突 き詰 めてもうたら、そこへ行き着くに決まってる。
俺は亨 を捨 てる気はないで。それは毛頭 ない。想像 するだけでも怖 い。水地亨 のいない世界で、生きていく自分のことが、怖 ろしくてたまらへん。
そやから、きっと、選べと求められたら、俺は選ぶんやろう。水煙 を捨 てるほうを。
その後、水煙 はどうなるんや。
誰 か新しい使い手に、巡 り会 えるのか。
でも、それはただ、問題を先送りして、誰 か別の奴 に、押 しつけようというだけやないんか。
水煙 は、永遠 に生きる。神やしな、太刀 やから。そう簡単 に滅 びるもんやない。
誰 と愛し合おうと、その相手はいずれ死ぬ。不死 でなければ、人はいつか必ず死ぬようにできているんや。
水煙 は、秋津 の家で繰 り返 したのと同じように、また誰 か、次へ次へと手渡 されていく相手と愛し合うより他はない。
水煙 は何よりそれに、疲 れてるように見える。
俺は死なへん。不死人 になった。そやから俺と愛し合えば、水煙 はもう、永遠 に俺のもの。死に別れて手渡 されるようなことはない。
ずうっと俺だけを、愛してればええねん。
それは水煙 にとって、深い安らぎのあることらしい。
なぜなら水煙 は、そういう相手と巡 り会 うのを、ずっと待っていた。そのために秋津 の家に、取 り憑 いていた神や。
俺はそのことを、まだ知らなかった。考えてみたことがなかった。
なんで水煙 がうちの血筋 に取 り憑 いているのかなんて。
「怒 ってんのか、アキちゃん。暗い顔して……」
困 ったような笑 みで、亨 が俺に訊 いてきた。
「そんなに速 う、歩かんといてくれ。ついていくのも大変なんやで」
苦笑 する亨 を見つめ、俺はふと、立ち止まっていた。
そして俺はまた内心、鋭 い痛 みを覚えた。
俺は今、亨 のことを想 っていない。お前のことだけ想 っていたいのに、別の相手に気をとられてる。苦悩 している。
そんな俺に、ついてくるのは、確 かに大変なことに違 いない。
「亨 ……俺はいったい、どないしたらええんやろ」
それはこいつに、訊 くようなことか。俺かて自分でも、そう思ったよ。
せやけどいったい、他 の誰 に相談すんねん。
自分ひとりで考えろか。確 かにそうや。それが常識 。
分かってるけど、それでも俺は弱い男で、誰 かにお縋 りしたい気持ちやった。
他 にいったい、誰 が居 るやろ、水地 亨 大明神 のほかに、俺が心底 甘 えてもいいような、そんな有 り難 い神さんが。
「どないしたらって、何のことやねん」
ますます苦 い笑 みになり、亨 は何となく察 しはついてるという顔やった。
「何のことって……またやってもうた。水煙 に、言うたらあかんことを、言うた気がする。まさか、また、前の時みたいになってるんやないか」
「前の時って、お黙 り言うてやったときに、首絞 まってもうてたみたいな?」
痛 いなあという苦笑 いで、亨 は自分の細首 に触 れ、締 め上 げているような仕草 をした。
「……そうや。また、そないな事になってるんやないか。どう思う。お前は。俺はまた、水煙 に、呪 いをかけたんやと思うか」
「かけまくりやろ」
あっさり断言 してくる亨 の答えには、ぐっと来た。
元々わかってるけど、人の口から言われてみて、やっと本格的 に慌 ててくることってあるな。
「もう許 してくれへんのやないやろか」
毒 を飲 み干 すような気持ちで、俺はその懸念 を話した。
ともだちにシェアしよう!