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25-12 アキヒコ

 脳裏(のうり)暗闇(くらやみ)を、もこもこした白い、顔は黒い羊さんたちが、めええ、と鳴きながら、ぴょんぴょん放物線(ほうぶつせん)(えが)いて()んでは消えた。  (おど)んでも()んでも、一向(いっこう)(ねむ)くなる気配(けはい)はなかった。  それどころか、めええ、言うてる声が、ものすごリアルに耳につく。  なんでや。俺ちょっと、想像(そうぞう)しすぎやないか。 「うるさいで……アキちゃん。羊(かぞ)えんの、やめといてくれへんか」  うんざりしたような、笑いを(こら)えた声で言い、(とおる)は俺から(はな)れた(うつぶ)せのまま、(まくら)()きしめていた。 「口に出して数えてたか?」  そんなつもりはなくて、俺はびっくりした。 「いや。(まど)の外を、羊が()んでるのが見えてる」  さらにびっくりして、俺が身を起こすと、寝室(しんしつ)(まど)から見える神戸(こうべ)の夜に、(たし)かに俺が(おも)(えが)いたとおりの、もこもこで白い、顔は黒い羊が、めええと鳴きながら、ぴょんぴょん()んでは消えていた。  ……やばい。俺は。前にも()して注意が必要になった。  あかんあかん、消えてくれと、羊さんたちに(いの)ると、それはふっと終わった。(まど)の外にはもう、羊は()んでない。  三階やのに。どんな(すご)跳躍(ちょうやく)やったのか。  もし(だれ)か見てたら、きっと大騒(おおさわ)ぎになっている。  もう、なってるのかもしれへんし、それとも今ここに()まっている客は、みんな普通(ふつう)ではないんやから、(だれ)(ねむ)れへんのやなと、ただそう思っただけやろか。  ぼふっと(まくら)(もど)った俺に、(とおる)はくすくす笑っていた。 「()んどこか、アキちゃん。緊張(きんちょう)して()られへんのやろ」  ちくっとするけど、すぐ(ねむ)れるでと、(とおる)(すす)める口調やった。  俺はそれに、(うなず)いた。  もう、それしかないわ。そうやって(ねむ)ろう。  明日(あした)可哀想(かわいそう)やけど、瑞希(みずき)には別の部屋(へや)をとってやろう。こいつもそのほうが、きっとくつろげるやろう。  こんなふうに(ねむ)らされるよりは、いっそそのほうがええわ。 「堪忍(かんにん)してくれ、瑞希(みずき)。いろいろ想像力(そうぞうりょく)が足らんかった。明日(あした)はお前の部屋(へや)を別にとるしな。今夜だけ、辛抱(しんぼう)してくれ」  (へび)(するど)毒牙(どくが)を受ける、その前に、俺は瑞希(みずき)にそう()びた。  瑞希(みずき)はすぐには、何も答えへんかった。  まさかもう、()てもうたんかな。しんどいみたいやったし、やっと()えも満たされて、案外(あんがい)ほっとして、もう(ねむ)りに落ちたんやろか。  そんなわけはない。俺と(ちご)うて、瑞希(みずき)はそんな(にぶ)(やつ)やない。こいつはこいつで、繊細(せんさい)なところもある犬や。  しばしの沈黙(ちんもく)(のち)(こら)えられんかったように、瑞希(みずき)はこちらに()を向けたまま、ぽつりと(つぶや)いていた。 「辛抱(しんぼう)できへん、先輩(せんぱい)」  それが痛恨(つうこん)(きわ)みというように、(しぼ)()された小声(こごえ)やった。  俺の首筋(くびすじ)(きば)()()てようとしていた(とおる)が、ふとそれを()めるのが感じられた。  代わりに温かい息遣(いきづか)いが、首筋(くびすじ)()れて、俺はそこはかとなく、(もだ)えたいような心地(ここち)がした。 「血が()しいんです、先輩(せんぱい)の。大阪で、ひとくちだけ、()めたやろう。あれの味が(わす)れられへん。三万年()っても。俺は結局……外道(げどう)やねん」  こっちに向けられた()が、苦しそうに丸くなっていた。  俺は横目(よこめ)に、それを(なが)めた。  小さい背中(せなか)に見えた。まだうっすら()れたままの(かみ)が、ちょっと()いてて、ふにゃっとしてて、(あら)ったばかりの、可愛(かわい)い小さい犬みたい。 「我慢(がまん)できると思ったんやけど……我慢(がまん)でけへん」  (ふる)える声でそう言って、瑞希(みずき)はほんまに(ふる)えているようやった。 「出ていっていいですか、今すぐに。部屋(へや)なんか()らんしな。明日(あした)にはまた(もど)ります。(もど)ってきても、いいんですよね?」  出ていったらもう、自分の居場所(いばしょ)なんか無くなるんやないかと、(ふる)えてるような声で、瑞希(みずき)はぼそぼそ(たず)ね、こっちを見ようとはしいひんかった。  見たくなかっただけかもしれへん。(とおる)と俺が、()()っている気配(けはい)が、背中(せなか)()しにも分かるんやろう。 「血、()えば、ワンワン。それは我慢(がまん)はでけへんで。お前、天使やめようと思って、アキちゃんに血を()わせたんやろ。せやし、感染(かんせん)してもうてんのや。吸血(きゅうけつ)したい、(へび)の血に」  苦笑(くしょう)して、(とおる)は俺の(かた)()()い、瑞希(みずき)背中(せなか)に話しかけていた。 「大したもんやないで。アキちゃんかて()うんやで。ラジオも()うしな。水煙(すいえん)()うの?」  確信(かくしん)はなかったけど、(うたが)ってはいたという顔で、(とおる)は俺に意地悪(いじわる)(たず)ねた。  そうかと()かれれば、(うそ)をつく(わけ)にもいかへん。しょうがなくて、俺は小さく(うなず)いた。  俺は水煙(すいえん)に血を()われた。みんな()うらしいで、大概(たいがい)外道(げどう)()うんかもしれへん。  人の血は美味(うま)いらしい。まして巫覡(ふげき)の血となると、それは契約(けいやく)代償(だいしょう)でもある。  給料みたいなもん。みんなそれが楽しみで、(つか)えてるんやって。ご主人様の血を(もら)うのが。  大食らいなのと、小食なのと、そんな(ちが)いはあるやろうけど、とにかく人の血肉(ちにく)は、外道(げどう)好物(こうぶつ)や。 「やっぱそうか。俺に(かく)れて()うてやがったな。この野郎(やろう)

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