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25-13 アキヒコ

 こんこんと水煙(すいえん)()のある刀身(とうしん)(こぶし)(たた)いて、(とおる)(おこ)ってんのか、冷やかしてんのか、よう分からんような言葉を()びせた。  それでも水煙(すいえん)は、しいんと静まりかえってた。 「みんなそうや、瑞希(みずき)ちゃん。お高いような水煙(すいえん)様でも、アキちゃんの血は()うんや。それは雇用(こよう)条件(じょうけん)(ふく)まれてる。福利厚生(ふくりこうせい)やで。出ていきたいんやったら、出ていけばええけど、()いたいんやったら、()うていけば?」  (とおる)はもう、(どく)食えば(さら)までみたいな気分やったんかな。ヤケクソみたいな大盤振(おうばんぶ)()いやった。  それでも(しぶ)ってる、ちっさい犬の背中(せなか)を見て、(とおる)はふふんと、小さく嘲笑(あざわら)っていた。 「あかんの。ほんで、どないすんのや。よそ行って、(だれ)(ほか)のを(さが)すんか。()さそうな男見つけて、一(ばん)(いだ)いてもろて、血もくれって強請(ねだ)るんか。やめろ。お前にやらせたら、あっというまに吸血鬼(ヴァンパイア)だらけなってまうから。また狂犬病(きょうけんびょう)んときみたいな社会問題になるで」 「そんなんせえへんわ!」  血相(けっそう)変えて、瑞希(みずき)寝返(ねがえ)りを打った。 「そんなんしません。ほんまです。……俺をなんやと思うとんのや!」  悲壮(ひそう)なふうに俺に()(わけ)をしてから、瑞希(みずき)(とおる)怒鳴(どな)ってた。  それでも(とおる)は、犬が()えかかったくらいでは、(こわ)くもなんともないらしい。にやにや笑ったままやった。 「なんやって、ケツに()まりのない牝犬(ビッチ)かと。だってこいつな、やらせろいう男なら、(だれ)でも()()ませてやってたらしいで、アキちゃん」 「アホ! そんな話すんな!」  ()(さお)になって、瑞希(みずき)(とおる)(だま)らせようと、さらに怒鳴(どな)ったけど、(へび)は知らん顔してた。 「可愛(かわい)いふりすんな、牝犬(ビッチ)め」 「うるさい、俺は(おす)や!」  (くや)しいみたいに瑞希(みずき)反論(はんろん)してたけど、それは全然(ぜんぜん)反論(はんろん)になってない。  俺は頭上を()()う話に、ますます胃が(いた)くなってきていた。やめてくれ、寝入(ねい)りばなにケンカすんのは。()られへん。 「(めす)でも(おす)でも同じようなもんや、瑞希(みずき)ちゃん。この犬畜生(いぬちくしょう)が。お前の素行(そこう)の悪さは、もうバレとんねん。大阪(おおさか)事件(じけん)のときに調べはついてる。アキちゃんも俺も、水煙(すいえん)も、どうせ(みな)もう知ってんねんで? 今さら何を、可愛(かわい)い子のふりしようというんや」  ねっとり(いや)みったらしい口調で言うて、(とおる)はにやにやしていた。  お前もな……何も今、言わんでええやん。瑞希(みずき)、泣きそうなってるやんか。可哀想(かわいそう)やと思わへんのか。 「そんなんしません。ほんまにもう俺は、()(あらた)めた。(つみ)(むく)いも受けました。前とおんなじやと思わんといてください」  俺に(すが)ってええんやったら、(すが)()きたいみたいな顔をして、瑞希(みずき)は身を()せ、そう(うった)えかけてきてから、ふと、ものすご遠い目をした。  暗い目やった。俺を見つめる大きな目が、(とも)りを消した部屋(へや)の中でも、爛々(らんらん)と光って見えた。金色がかって。  白い(のど)が、ごくりと留飲(りゅういん)するのが見えた。  瑞希(みずき)の目は、(とおる)がすでに(すが)るように、()()っている俺の、首筋(くびすじ)のあたりを見ていた。  そこに脈打(みゃくう)つ血の流れが、耳のいい犬には聞こえたやろか。それとも、(とおる)が赤い(くちびる)で、俺の首筋(くびすじ)をなぞり、ちろりと()れた(した)を出して、そこを()めるのが、辛抱(しんぼう)たまらん光景(こうけい)やったんか。  瑞希(みずき)はきつく目を()じて、顔を(そむ)けた。 「どこか変わったんか、瑞希(みずき)ちゃん。相変わらず()しそうな目えして。前にも()して(よだれ)出そうな顔してるで。()しいんやろう、分かるよ。俺もしばらくは我慢(がまん)したんやけどな、アキちゃん、ええ(にお)いがしすぎやねん。血が(にお)う。美味(うま)そうやねんなあ……」  くんくんするように、俺の首筋(くびすじ)に鼻先を()()せて、(とおる)は首を(めぐ)らした俺と、上目遣(うわめづか)いに見つめ合った。 「アキちゃん……俺も()しい」 「またか……? 昼間も()うてたやろ。どんだけ()うねん」  ()れて、俺は小声(こごえ)(ささや)いてきた(とおる)に、(あわ)てたような小声(こごえ)(ささや)き返した。  それでも無意味や、しっかり聞こえてる。瑞希(みずき)も耳はいいほうや。 「(さび)しいねん。ちょっとだけやし、()うてもええか。寝酒(ねざけ)代わりに、()いたいねん。我慢(がまん)するしな、今夜は、アレのほうは。せやし代わりに、血()わせてえな」  血の道をなぞる、(とおる)の指先の、いかにも(さそ)うような感触(かんしょく)に、俺は全身粟立(あわだ)っていた。  誘惑(ゆうわく)せんといてくれ。どっちが我慢(がまん)させられてんのか分からへん。  基本(きほん)、エロやねんから、水地(みずち)(とおる)は。むらむら来るんやから。そういう妖怪(ようかい)なんやから。  ほんまは(となり)()てるだけでも、大我慢(がまん)大会なんやからな。  つらいつらい。何も無しじゃつらい。 「()いたきゃ()え!」  ()(かく)しに怒鳴(どな)り、俺はやんわりと()()ってくる(とおる)に、(あご)()らして自分の頸動脈(けいどうみゃく)を見せた。  本日二回目やで。(みなぎ)ってるからええようなもんの。  俺はお前らの血液(けつえき)バンクか。血を作るために()われてんのか。  どっちがご主人様かわからへん。ほとんど家畜(かちく)みたいなもんなんやないんか。

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