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25-16 アキヒコ

 結局、どっちが幸せなコースやったやろ。湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)にとって。人界(じんかい)にとって。  俺がもし死んだら、(とおる)はどんな神になるんやろ。  水煙(すいえん)は。瑞希(みずき)は。俺を(わす)れた後、どうやって生きていくんやろ。  まるでそんな男なんか、はじめから、()いひんかったみたいに?  それなら、それでもいい。俺はつらいけど。お前がつらくないんやったら、そのほうがええやん。  俺は(おに)やし、瑞希(みずき)には、つらい思いばかりさせてきた。そんなんは、もう、終わりにせなあかん。  でも、お前はまた、血に()えた外道(げどう)(もど)るのか。人を()らって、生きていくのか。  それはまさに、(おに)やないのか。  俺はまた、お前を(おに)(もど)しただけか。  もう()えるのがつらいという顔で、瑞希(みずき)はゆっくりと俺のほうに、(うで)()ばしてきた。たぶん、血を()いたいんやろ。  ()うてええよと(ゆる)すように、俺は自分の首筋(くびすじ)を見せてやった。(とおる)()うた傷痕(きずあと)は、もうとっくに(ふさ)がっていて、(いた)みもしいひん。  瑞希(みずき)躊躇(ためら)(みだ)れた息で、(きば)のある(くちびる)を開くのが分かった。  (とおる)は俺の(かた)に自分の(ひたい)()()せて、じっと静かに()きついていた。  たぶんそうして、(こた)えてんのやろ。何かを。  (とおる)は俺が、自分の(むね)の上で、ほとんど重さのないような太刀(たち)()いている手に、自分の手を重ねてきた。  手を(つな)ぎたかったんやろう。いつもやったら俺が(つつ)んでやっている手を、この夜ばかりは(とおる)のほうが、やんわりと(つつ)んでくれた。  ずきっとするような、身の引きつる(いた)みが、首筋(くびすじ)()いた。瑞希(みずき)()んだらしい。俺は(うめ)くのを(こら)え、目を()じていた。  (いた)いと言うたら、瑞希(みずき)はびっくりして、やめようと思うやろ。  (きば)やいうても、こいつは犬神(いぬがみ)なんやしな。犬は本来、血なんか()わへん。肉は食うかもしれへんけどな。  そやから犬歯(けんし)は、肉を()()くための(きば)やで。(へび)眷属(けんぞく)が持っているような、細く(するど)(きば)やない。  水煙(すいえん)(おぼろ)()われても、大して(いた)いと思わへんかった。むしろ心地(ここち)よいような。  それはあいつらが、みんな(へび)眷属(けんぞく)やからやねん。  ここまでの話を聞いてきてたら、分かるやろ。みんな(へび)やで、水と(かか)わりのある神や。それが秋津(あきつ)家風(かふう)やねん。水ものと相性(あいしょう)がいい。  そやのに瑞希(みずき)()えるような犬で、ほんまに(むさぼ)るようやった。  血の味が(した)()れると、ほんまに辛抱(しんぼう)たまらんかったらしい。  俺を食ってた。肉こそ(どん)らんかったけど、傷口(きずぐち)()れる(した)には容赦(ようしゃ)がなかった。  こいつに(むさぼ)()われた人たちは、きっと(いた)かったやろう。生きるためやし、仕方がない。そうしないと死んでまうから、瑞希(みずき)は人を食うてたらしい。  人間にはもう、天敵(てんてき)と言えるような捕食者(ほしょくしゃ)はいてへん。  それでも(くま)とか、(とら)とか(ひょう)とか、(おおかみ)とか、山犬(やまいぬ)とかな、人食うモンはちょっと前まで、いくらでもいた。  それを神と(おそ)れつつ、人は生きてきたんや。  時には()(にえ)(ささ)げ、時にはそれを(おに)として、戦いを(いど)んだ。  その歴史が今も、様々(さまざま)な神の姿(すがた)(のこ)されている。  (とら)信太(しのだ)霊獣(れいじゅう)やというのも、その一種やろう。(おそ)ろしく強い、人でも()うような(けだもの)やから、(とら)は神なんや。  人間もちょっと前までは、自然の一部やった。食うたり食われたりしていた。  それがこんな時代になってもうて、人食うやつらは(おに)やと、(かえ)()ちにあう。神やと(あが)めてもらうこともない。ただの(おに)畜生(ちくしょう)。  ぶっ殺されて終わり。そんなふうになってもうて、神さんたちも弱ったやろ。  俺はそういう時代の神官(しんかん)や。弱りゆく神々を、お(まも)りせなあかん。  それが全部()()えてもうたら、人の世も終わりやないかという気がするんや。  不思議(ふしぎ)なことが何もなくなってもうたら、つまらへんやろ、世の中は。  信じようが信じまいが、人界(じんかい)に神はいる。  (みな)(となり)にいつもいる、ぱっとしいひんオッサンも、実は神かもしれへんで。  動物園にいるライオンやキリンが、実は獅子(しし)とか麒麟(きりん)のような、霊獣(れいじゅう)なんかもしれへん。  (かく)してるだけや。神として、(おに)としての正体(しょうたい)を。  現代人(げんだいじん)の受け入れやすい形に、変転(へんてん)しているだけやねん。  形を変えても神は神、(おに)(おに)やで。昔と変わらず、すぐそこにいる。  そやけど俺は生憎(あいにく)耽美派(たんびは)でなあ。美形(びけい)専門(せんもん)なのや。お前は美しい神やと、うっとり来るようなのしか、愛されへんのや。  虫とかは勘弁(かんべん)。ヴィラ北野の廊下(ろうか)で、蟷螂(かまきり)()れてる巫女(みこ)さんは見たけど、ああいうのは俺にはついていかれへん世界すぎ。  虫はあかんねん昔から。キッチンの(すみ)(あらわ)れるG(ジー)とかな。黒とか茶羽根(ちゃばね)のあいつ。見かけたら本気の殺意で戦いを(いど)んでしまう。  名前を言うのも(けが)らわしいわ。あかんあかん、()んだら出てくるやないか。言霊(ことだま)や。  そやけど心配いらへんで。霊振会(れいしんかい)には、いっぱい巫覡(ふげき)()るんやから。どんな神さんでも、(だれ)かがちゃんとお(まつ)りできる。  (みな)(みな)面食(めんく)いというわけやないんやで。  俺が特に、ひどいだけ。それが秋津(あきつ)家風(かふう)なのや。

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