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25-20 アキヒコ
俺はちょっと、言いすぎた。
あの時言うたことは、嘘 やない。ほんまにそう思うしな、このままでは水煙 は、ほんまに鬼 になってしまう。俺はそれが怖 い。
お前はそんな、忌 まわしい神やない。誰 の目で見ても、有 り難 いような、神々 しい神さんでいてほしい。
俺がお前を愛するように、皆 もお前を愛して崇 めるような、そんな神でいてほしいんやと、俺は言いたかったんやけど。
それなら、そう言えばよかった。なにも他 にも大勢 見ている前で、お前は鬼 やと罵 るようなこと、する必要はなかった。
水煙 は誇 り高 い神で、つらかったやろう。つらいという顔をしていた。
俺にもそれは、見えていた。分かっていたんやけど、水煙 が竜太郎 を見殺しにしたなんて、俺には受け入れがたかった。
水煙 は心優 しい神さんやと、俺は思いたかったんやろう。
腹 が立っていた。いろいろと、ままならない現状 に。
水煙 を、そこまで思 い詰 めさせる自分のことや、そういう想 いに応 えてやられへん不甲斐 なさで、また人が死ぬ。それがしんどい。
こんなのはもう、終わりにしたいって、ほとほと疲 れて、悲しくなってた。
俺のために、誰 か死ぬのはもう沢山 や。俺はほんまは、人を救うために生まれてきたんやで。
我 が身 を犠牲 にしてでも、人々の幸福のために尽 くす、そういう血筋 の者として、生まれてきたんや。
それが俺の本性 で、血筋 の定め。
確 かに秋津 は、呪 われた血筋 なんや。それでも俺は、自分がこの血を受けて生まれたことを、悔 やんではいない。
むしろ誇 りに思ってる。俺はせめて、それだけは水煙 に、はっきりと伝えておかんとあかんのやないかと思うてた。
俺は自分の血筋 から、逃 れはしいひん。たとえ俺がほんまに、秋津 の最後のひとりやったとしても、誇 りある巫 の王の裔 として生きて、死ななあかんような時が来たとしたら、それらしく死ぬ覚悟 やで。
最後の当主 として。そして神剣 ・水煙 の、最後の使い手として、ふさわしい男でいたい。
俺はそれを水煙 に、ちゃんと言うたことがあるやろか。俺はお前を、拒 んではいない。ただそれに、迷 いがあるだけで、お前の主になることに、異存 はないんや。
水煙 は、俺の太刀 。ずうっとそう思うてきたけど、実はまだ、そうやなかったなんて。
確 かに俺は、水煙 には、まだ言うてなかった。
言霊 に乗せて、お前を愛しているとは。
「ここは、どこなんや」
まだ手を握 っているままで、俺が訊 ねると、水煙 は自分の手を包 んでいる俺の手を、じっと見下ろしてきた。
表情 のない、黒く澄 んでる大きな目やった。
「ここは伊勢 や。もう、随分 昔のな。俺が初めて海から上がってきた時の、昔の砂浜 や」
「ここで最初の男と会 うたわけ?」
そう話してた。刀鍛冶 やった。水煙 を伊勢 の海から拾 い上げた男は、伊勢 の刀師 で、それが秋津 家の血筋 の始めにいる男やと。
そして水煙 の最初の覡 は、その男やったんや。
つっけんどんに訊 いている俺の声を聞いて、水煙 は少し、困 ったような淡 い笑 みになっていた。
「そうや」
「好きやったんか」
訊 いてどうすんのやろ。自分でも、そう思えたけども、俺はほとんど発作的 に、水煙 にそう訊 ねてた。
それにも水煙 は、さらに困 ってもうたような、淡 い苦笑 を見せた。
「好きやった」
「俺より好きやったか。そいつの子を産んでやろうというぐらい、好きやったんやろ」
なんや切なくなって、思わず強く、ぎゅうっと握 ると、水煙 の手を覆 っていた錆 びたような肌 が、殻 でも剥 けるように、ぱらりと砕 け、その中には元の通りの、青い小さな手が仕舞 い込 まれていた。
それを見て、俺はほっとした。ほんまに化けてもうたわけやない。俺に押 しつけられた、ただの呪 いで、それを解 けばきっと元通りになる。
元の通りの美しい、穢 れていない姿 に戻 る。
「別に俺が産んだわけではないんやで。月読(つくよみ)に祈 り、あいつと俺との血を混 ぜて、伊勢 の海原 に捧 げただけで。偉大 にして寛大 なる自然神の、格別 のお計 らいや。あいつはそんなことで、子供 なんかできるわけがないと思うていたようやけど」
「そら、まあ、そうやろなあ……」
そんなことで子供 できてたら、うっかり血も流されへんやんか。普通 やないよ。
水煙 は、俺が包 んだ手を元に戻 していくのを、青白い唇 で、淡 く笑って眺 めていた。
頼 もしいなという目で見られ、俺はちょっと、気まずく、気恥 ずかしいような気がした。
「そうやろか。お前たち人間は皆 、海から生まれたんやないか? 憶 えていないというのが不思議やわ。人間の女が子供 を産めるのも、胎 の中に海を持っているからやろう?」
水煙 は首を傾 げて、それが普通 やというふうに、不思議 そうに言うていた。
俺はそれには、敢 えて反論 しいひんかった。そういうものかなあという気もして。
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