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25-21 アキヒコ

 水煙(すいえん)が、そう言うんやったら、そうなんやろう。  俺はいつでも、この神さんの言うことは、鵜呑(うの)みやからな。  そんなアホなと思うようなことでも、水煙(すいえん)やったら、ああそうなんやで()んでしまう。 「その子、どうしたんや」 「どうしたって……しょうがないから、俺が育てた。血をやって。そのうち、ひとかどの(げき)にはなったが、死んでしもたわ。人の子やから」  水煙(すいえん)は、表情(ひょうじょう)(とぼ)しい顔でそう言うて、じっと俺の顔を見た。その目が(なつ)かしそうで、俺はちょっと、(いや)な予感はしていたんや。 「なんて名前やったんや、その子」 「暁彦(あきひこ)や。明け方、海から流れてきたんで、それでよかろうということで」  さらりと答える水煙(すいえん)言葉尻(ことばじり)から、俺はその名をつけたのが、水煙(すいえん)ではないらしいことは()()っていた。  (あかつき)の子やから、暁彦(あきひこ)で、それでええやろと名付けた、その人物は、たぶん伊勢(いせ)刀鍛冶(かたなかじ)やった男で、難儀(なんぎ)な話や、まさか子供(こども)ができるとは、思うてなかったんやって。  それで、しょうがないから水煙(すいえん)は、ひとりで育てた。  刀師(とじ)の家でではなく、どこか他所(よそ)で、新たに別の家系(かけい)()として。それが秋津(あきつ)の最初の当主(とうしゅ)になったんや。  そういう話やで、たぶんやけどな。  悪い男やで、その刀師(とじ)もやけど、人魚姫(にんぎょひめ)に出てくる人間の王子も。  結局、海から来た恋人(こいびと)は、ふられるようにできている。  人魚姫(にんぎょひめ)は泣いて海の(あわ)になったけど、水煙(すいえん)はそこまで弱くはなかったんやろう。(てつ)やしな。(しん)が強いんや。  この子どないすんねんと、(あか)(ぼう)やった暁彦(あきひこ)のために、陸(おか)に(とど)まることにした。  そして、それから千年、二千年。いろいろあって、年号も次々に改まり、とうとう平成の御代(みよ)になっていたんや。  水煙(すいえん)はすっかり、秋津(あきつ)家のご神刀(しんとう)になっていて、海の底から上がって来た(ころ)のことは、はるか過去(かこ)の時代になっていた。  今さらどこへ、帰れるというんや。秋津(あきつ)の家が、水煙(すいえん)の家(いえ)で、(ほか)に帰れるところなんか、あるわけがない。 「そうか……暁彦(あきひこ)か。それで系図(けいず)の中に、ときどきその名前の男がおるんや」  俺は皮肉(ひにく)納得(なっとく)をして、水煙(すいえん)の手を()でた。  その手はほとんど、元通りやった。(いま)だかつて、ここまで水煙(すいえん)の手を()でさすったことがあるやろか。  もちろん手を元に(もど)すためやし、他意(たい)はないはずなんやけど、変なもんやった。二人(ふたり)して向き()うて、手をにぎにぎしてんのは。 「(だれ)にでも(ゆる)したわけではないで。見込(みこ)みのありそうな子にだけや」 「おとんは見込(みこ)みのある子やったんや」  俺が()くと、水煙(すいえん)は、(あわ)くにっこりとして(うなず)いた。  その(ほほ)に黒く()()いた、網目(あみめ)(きず)がなければ、水煙(すいえん)は幸せそうにも見えた。  不思議(ふしぎ)や、水煙(すいえん)は、俺のおとんが産声(うぶごえ)を上げた日にも、今と変わらん姿(すがた)でうちにいた。  それどころか、血筋(ちすじ)の始めにいてる男が、海から流れ着いた時にさえ、今、俺とこうして波打ち()せる浜辺(はまべ)にいるように、砂浜(すなはま)(たたず)み、岸辺(きしべ)に流れ着いたその子を、助け上げていた。  それからずっと、その子の子孫に()()いている。  守っているのか、守られているのか、よう分からんような形で。 「そんな(いわ)くのある大事な名前やのに、俺はお前がおらん()に生まれてて、勝手にその名を名乗ってたやなんて、えらい図々(ずうずう)しい話やったなあ」  俺は苦笑(くしょう)して、水煙(すいえん)()びた。  いくぶん自嘲(じちょう)(かたむ)いている。  もしも俺が産まれたときに、水煙(すいえん)もうちにいて、名前を(さず)けていたとしたら、いったい何と名付けたんやろう。  暁彦(あきひこ)やったか。それとも、全然別の名前やったんか。 「気にすることはない。今にして思えば、お前ほど、その名に相応(ふさわ)しい者も()らんやろう」  元通りになった手を()がしてやると、水煙(すいえん)はためつすがめつ、少しも(のぼ)ってこない(あかつき)()()かして、自分の手を見た。  満足そうな顔をしていた。自分の手が元に(もど)ったことにではなく、俺がそれをやってのけられるだけの通力を(そな)えたことが、(うれ)しいみたいやった。  (たの)もしそうに、また俺を見つめ、水煙(すいえん)微笑(ほほえ)んでるようやったけど、なんでか少し、(さび)しそうに見えた。  すぐ目の前にいてるのに、遠い気がした。(ゆめ)の中やからやろか。  もう一度水煙(すいえん)の手を(にぎ)りたい気がして、俺は(こら)えた。  そんなことする理由がなかった。 「アキちゃん、最初の暁彦(あきひこ)は、三百年ほど生きた。俺の血を受けたせいかもしれへんし、実はなんの血縁(けつえん)もなく、海神(わだつみ)の生み出した子やったからかもしれへん。俺はその子が自分の子なんやと思うていたけど、向こうはそうは思うてへんかった。刀(とじ)には()ていなかったし、俺にも()ていなかった。親のない異形(いぎょう)の子を、俺が(ひろ)って育てただけやと思うていたらしい」  水煙(すいえん)回想(かいそう)している、遠い昔の男は、俺の空想(くうそう)する脳裏(のうり)では、なぜか俺とそっくりな姿(すがた)をしていた。  あるいは俺のおとんに()ている。ほとんど同一人物のように。それは考えすぎやろか。

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