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25-23 アキヒコ
「最初の男は、俺を選ばへんかった。あの刀師 は、人間の女と添 うて、人界 で生きることを選んだんや。その血筋 の者は今でも伊勢 に居 て、神刀 を打っている。でも不思議 や。俺はあの血筋 の者にはなんの執着 も覚 えへん。自分をこの世に生み出した手を持つ一族のはずやのに、忘 れてしまった。あの男が、どんな名前やったかも、どんな声やったかも」
そうして話しながら、水煙 は初 め、じっと砂 の上にある俺の手を見つめていた。
やがて言葉 が途切 れてもうて、水煙 は少し、躊躇 ったようやった。
それでも、ふと、意 を決 したふうに、青い手をのばしてきて、水煙 はやんわりと俺の手に触 れた。
柔 らかな、温かい手やった。
「暁彦 は……秋津 の初代 は、俺に懸想 していた。今ではなんと言うんやろ。惚 れていたんや、俺に。それで頑 として、俺が親とは認 めへんかった。何ら血縁 はない、赤の他人やし、交わったとしても何の障 りがあろうかと、いつも言うていたけども、俺には確信 がなかった。お前が我 が子 ではないかと思う。……いや、そうではない、お前ではなく、最初の子のほうや。暁彦 は……結局、何者 やったんやろう」
俺でもない、おとんでもない誰 か、もっとずっと昔にいた男を見つめて、水煙 は俺に訊 ねた。
そんなこと訊 かれても、俺は知らん。答えようがない。
最初の男もそうやったやろう。
育ての親には間違 いがない、そんな相手に惚 れていて、三百年も生きていたという、海から来た男。
うちの血筋 の開祖 であり、いずれはその末裔 の肉体に宿 り、必ず黄泉 がえると言い残して死んだ、その執念深 い奴 も。
「俺はずっと、拒 んだつもりや。もしも我 が子 やったら、それはお前を穢 すことになりはしないか、心配で。愛しているかどうか、そういう問題やない。でも、もしお前がほんまに、なんの関係もない、赤の他人なんやったら」
声を盗 られたように、水煙 は急に、押 し黙 った。
潮騒 が聞こえていた。無限 に寄 せては繰 り返 す波の音。海のざわめき。
水煙 がじいっと俺を見つめ、俺はそれを見つめた。黒く澄 んだ目の中に俺が映 っていて、食い入るような、魅入 られた顔をしていた。
いつもは表情 の無い顔に、水煙 は深い憂 いのある表情 を浮 かべ、切 なそうに俺を見た。
俺はやっぱり、似 てるのか。その男に。
神刀 ・水煙 を、刀師 である父親から受 け継 いで、秋津 の家を興 した、海から来た男とも。
そやからお前は俺が好きなのか。
おとんの身代 わりとしてではなく。
おとんもその誰かの身代 わりやった。俺もそう。
水煙 は、とっくの昔に死んで骨 になった、俺と同じ名を名乗っていた奴 の代わりに、俺のことが好きなんか。
それを思うと、俺の胸 は灼 けていた。心臓 が燃 えおちそうな、熱い火やった。
俺を見てくれ、水煙 。誰 かの身代 わりにではなく、俺を見てくれ。
比 べんといてくれ、お前の前の相手やった男と。
俺を見てくれ。今、お前の目の前で生きている、この俺を。
それは俺の心の火やろうけど、血の中に流れている火やった。
俺がその、最初の暁彦 の血を引いていることは、間違 いがない。何十、何百という世代 を遡 った、遠い祖先 ではあるけども、そいつは俺の祖父 さんの祖父 さんの祖父 さんの……とにかく、血筋 の祖 なんや。
それに間違 いないということを、水煙 はこの黒い目で、ずっと見守ってきた。
子が生まれ、それがまた子を成して、神刀 である自分を受 け継 がせ、あえなく老いて死んでゆくのを、こいつは見てきた。
皆 、同じ嫉妬 に灼 かれてきたんや。父は息子 に、息子 は父に、嫉妬 してきた。
それも秋津 の血の呪 いやで。
おとんは祖父 さんに嫉妬 していた。そしてきっと、俺にも嫉妬 していたやろう。俺がおとんに妬 いてるように。
俺はお前より相応 しい、水煙 の使い手なんやと、皆 、その火を燃 やして、剣術 に打 ち込 んだ。
皆 、そうしてご神刀 を握 り、代々の当主 もその跡取 りも、人並 み外れた剣豪 やったんや。
水煙 は太刀 やから、研 ぎ澄 まされた剣士 の技 に、身を任 せて悦 ぶ。そういう神や。
水煙 を愛してやるには、そして、こいつの愛を得 るには、剣豪 になるしかなかったんや。
刀師 が水煙 を、そんな業 のある神にした。
ただの隕 鉄、星の欠片 やった水煙 を、神聖 な火の燃 える炉 で、熱く燃 やして煮溶 かして、お前は武器 やと叩 き上 げ、切れ味鋭 い白刃 へと、作り上げたんやから。
そんなご神刀 を巡 り、父と息子 が斬 り結 ぶ、そういう呪 いがかかってる。
そんなことを続けるうちに、秋津 の血筋 の中には、この熱い嫉妬 の火が、すっかり染 み付 いてもうたんやろなあ。
燃 えている。めらめらと。熱くて、時には焼け死にそうになる。
愛 おしく、熱い執念 をもって、俺は水煙 を見つめていた。
お前が欲 しい。お前が欲 しい。
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