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25-24 アキヒコ

 水煙(すいえん)、お前を俺のものにしたい。  おとんではない、(ほか)(だれ)でもない、俺のものにして、俺を愛してる目で、お前に見つめられたい。  俺が(むね)()かれるように、お前の(むね)が熱い火で、()かれるのを見たい。  そしてお前が苦しむのを。(いだ)いて()しいと、お前のほうから、俺にひれ()すのを見たい。  そしたらどんなに心地(ここち)よいやろう。  俺を愛していながら、(かたく)なに(こば)(つづ)けた、冷たく(かた)(はがね)でできたお前の体を、とうとう俺にも熱く(とろ)かすことができる。  あの刀師(とじ)が、お前にしてやったように。熱く()やして、俺の(のぞ)む形に打ち直す。  それができたら、その時こそ本当に、お前は俺の太刀(たち)になるやろう。  そうしてやりたい。そうしてやりたい。  それも怨念(おんねん)やったやろう。水煙(すいえん)()がれたけども、心のどこかではずっと(かたく)なに(こば)まれ続けた男たちの、暗く(せつ)ない妄執(もうしゅう)や。  それが俺の身の内に宿(やど)り、怨霊(おんりょう)のように(うごめ)いていた。  それは蜷局(とぐろ)()(へび)のようでもあった。  とうとう、その(のろ)いの、成就(じょうじゅ)する時は来た。積年(せきねん)待ち(のぞ)んだ瞬間(しゅんかん)や。  水煙(すいえん)(せつ)なく()えている目で、俺を見つめ、やっと()(けっ)したような声で、俺を口説(くど)いた。 「暁彦(あきひこ)……俺もほんまは、お前に()かれたかった。それを(のぞ)んでいた。ただそれが、(つみ)に思えて、つらかっただけで。でも、本心では、俺が()しいというお前の気持ちに、(よろこ)んでいた。躊躇(ためら)わず、(こた)えてやればよかった。いつか死ぬ身なんやったら、お前が生きているうちに。俺も好きやと言うてやればよかった。()いてもらえて、(うれ)しかったと」  水煙(すいえん)は俺を見つめて、その(つみ)()(ふる)えながら、百年、千年の時を()えて、ずうっと()(だま)っていたそのことを、俺に話した。  俺の血の中でも、何かが()(ふる)えていた。  それは俺ではない、最初の早暁(そうぎょう)に、この(はま)水煙(すいえん)(ひろ)われた、(だれ)かの血であり、(たましい)やったかもしれへん。  水煙(すいえん)、と、その声が、自分の身の内で()ぶのが聞こえた。  それも俺の声か。  水煙(すいえん)水煙(すいえん)。俺はお前を愛してた。愛してたんやと、ただそれだけの話を、その声は()(かえ)していた。  関係ない。俺が何者で、お前が何者でも。ただ愛していただけや。それに(こた)えてほしかっただけ。  たぶん、それは、それを伝えるために、秋津(あきつ)血筋(ちすじ)()()いていた(れい)やったろう。  冥界(めいかい)の神に(あらご)うて、時の流れに(あら)われた、砂浜(すなはま)の古びた貝殻(かいがら)か、ガラスの破片(はへん)のような、小さく(くだ)けた欠片(かけら)になって、血筋(ちすじ)の者たちの(たましい)に、いつまでもしがみついていた、ひとりの半神半人(はんしんはんじん)の男の怨霊(おんりょう)やった。  俺もきっと、こいつに()かれているんやろう。  おとんもそうやった。  俺が見たことのない、祖父(じい)さんもそうやった。  血筋(ちすじ)の者たちを苦しめてきたのは、水煙(すいえん)ではない。この男のほうやねん。  可哀想(かわいそう)になあと、俺はそいつを(あわ)れんだ。  可哀想(かわいそう)に。お前はもう、(おに)になっている。血筋(ちすじ)()()悪鬼(あっき)でしかない。  お前のことを、水煙(すいえん)はもう、愛してはいない。愛しているわけがない。  だってもう、死んだ男なんやしな。愛してるわけがない。  (おに)なんやから。愛しているわけがない。  (おに)()太刀(たち)が、悪(おに)と化した昔の男を、愛しているわけがない。  だって水煙(すいえん)は今では、俺のことを愛してんのやからな。お前ではない。この俺を。俺を愛してるんや。  そうやろう、水煙(すいえん)。お前は俺の太刀(たち)で、俺を選んだ。  たまたま同じ名前やっただけで、俺はその、古代に生きていた男とは(ちが)う。全然別の人間で、その身代わりやない。  そうやろう、水煙(すいえん)。そうやと言え。  お前が俺の太刀(たち)で、俺の式(しき)やというんやったら、お前はそう言うべきや。  俺への愛だけに熱く()え、その(ほか)(やつ)への(おも)いなど、()ちた炉辺(ろべ)の古びた()えくずの中へ、とっとと()てて(わす)れるべきや。  (わす)れてしまえ。俺だけを見て。  そう()びかける目で見てる、水煙(すいえん)の黒い(ひとみ)(うつ)った俺は、まるで別人みたいやった。  俺の知ってる俺ではない。  俺はこんな、(みにく)い男やったか。俺を選べと、力づくでも求めるような、そんな男やったんか。  水煙(すいえん)はどことなく、(おび)えたような顔をして、俺を見ていた。  ()うべきではないと、躊躇(ためら)うような顔をして、それでも水煙(すいえん)は結局俺に、それを(たず)ねた。  (おそ)(おそ)る、俺に()()いたいような、(やさ)しい声で。 「アキちゃん……お前はその、最初の暁彦(あきひこ)の、生まれ変わりではないのか。お前が本気で自分の(だい)で、家を(ほろ)ぼすというのなら、お前こそが、血筋(ちすじ)(すえ)や。予言(よげん)されていた子のはずや。お前の中には、あいつはもう、()らんのやろか。そんなもん()らんと、お前の父は言うていた。でも、ほんまにそうやろか。ほんまにそうなら、なんであいつは、暁彦(あきひこ)にそっくりなんや。泣くな、(わす)れてしまえと俺に命じて、お前の父親は何遍(なんべん)も、俺と(ちぎ)った。最初に一度きりやと、そういう決まりやったのに……()しいと言うて、何度も俺を()いた」  この砂浜(すなはま)で。

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