525 / 928

25-25 アキヒコ

 水煙(すいえん)はそうまで言わへんかったけど、苦しげに顔を歪(ゆが)めて白い砂(すな)を撫(な)でる、水煙(すいえん)の指の甘(あま)さは、そこが逢瀬(おうせ)の寝床(ねどこ)やと言うてるみたいに見えた。  おとんは時々、神刀(しんとう)・水煙(すいえん)を抱(だ)いて寝(ね)た。それは何のためやったんや。  言うまでもない。犯(や)るためや。  抱(だ)いて眠(ねむ)れば、水煙(すいえん)と同じ夢(ゆめ)を見られる。  夢(ゆめ)やと思える、その別の位相(いそう)では、水煙(すいえん)は太刀(たち)でなく、人のような姿(すがた)をしていた。  それを、おとんは知っていたんや。なぜなら神剣(しんけん)を継(つ)ぐ時、当主(とうしゅ)になる男は水煙(すいえん)と、同衾(どうきん)するのが習(なら)わしやったから。  初夜(しょや)の新床(にいどこ)で水煙(すいえん)を抱(だ)き、おとんは味をしめたんやろう。  自分の親やし、悪く言いたくはないけども、神刀(しんとう)を抱(だ)いて寝(ね)る、そんな夜の夢(ゆめ)の中でなら、水煙(すいえん)を抱(だ)ける。それを知っているからには、辛抱(しんぼう)堪(たま)らん夜もあったと、そういうことなんやろう。 「嫌(いや)やったんか、それが」  複雑(ふくざつ)な気分で、俺は訊(たず)ねた。  嫌(いや)やったと、言うてほしいような気もしたし、水煙(すいえん)の話は、そんなふうな意味にも聞こえた。躊躇(ためら)うような、後ろめたい響(ひび)きがあった。  そやけど、それではあまりに、おとんが哀(あわ)れな気もしたわ。  愛してなかったんか、水煙(すいえん)は、おとんのことを。他(ほか)に選べる跡取(あとと)りが一人(ひとり)もおらんということで、仕方(しかた)なく選んだだけやったんか。 「……嫌(いや)ではない」  重し苦しく沈(しず)み込(こ)む声で、水煙(すいえん)は答えた。 「嫌(いや)ではないが……あいつは、父殺しや。時局(じきょく)もあって、先代(せんだい)は老いた身を焦(あせ)り、自決(じけつ)による代替(だいが)わりを申し出たが、あいつは拒(こば)むべきやった。自分の親やないか。鬼(おに)の所行(しょぎょう)や。俺を使って、介錯(かいしゃく)するなど……」 「お前がやらせたんやないか。嫌(いや)なんやったら、なんで斬(き)ったんや。祖父(じい)さんを」  お前は斬(き)りたいもんしか斬(き)れへんはずやろ。そうやないんか。  俺はそういう冷たい目をして、水煙(すいえん)を見つめたかもしれへん。  お前はそういう奴(やつ)なんや。どんだけ愛(いと)しく身を捩(よじ)っても、最後の最後は裏切(うらぎ)って、若(わか)い方に気を移(うつ)す。どうしようもない神や。  これこそ血筋(ちすじ)の裔(すえ)かと、そのことばかりに熱心で、息子(むすこ)ができたら気もそぞろ。これが俺の暁彦(あきひこ)かと、胸(むね)を騒(さわ)がせている。  それが分からんアホやと、俺を舐(な)めている。  激怒(げきど)したような、低く唸(うな)る怨念(おんねん)の声が、身の内で熱い蜷局(とぐろ)を巻(ま)いて、火を吹(ふ)いていた。  俺はその呪詛(じゅそ)を、黙(だま)って聞いた。  そうか。水煙(すいえん)はお前らにとって、つれない神さんやったか。  初めは期待をこめて見つめ、やがて落胆(らくたん)する。お前も違(ちが)うと、目を逸(そ)らす。そういう薄情(はくじょう)な太刀(たち)や。  復讐(ふくしゅう)してやる。お前が俺に惚(ほ)れたら、その時こそ袖(そで)にしてやる。血筋(ちすじ)の裔(すえ)に現(あらわ)れるという、初代(しょだい)の男の、思うつぼにはさせへんで。  水煙(すいえん)は俺のものや。遠(とお)の昔に死んだ男に、盗(と)られてなるものか。  自分も遠(とお)に死んだ者たちが、冥界(めいかい)で騒(さわ)ぐようやった。  その中に、おとんの霊(れい)もいるのか、俺は心配になった。  おとんもこんな、血筋(ちすじ)の怨念(おんねん)に呑(の)まれたのか。この暗い大蛇(おろち)の一部になって、水煙(すいえん)を呪(のろ)い、血筋(ちすじ)を呪(のろ)ってるんか。  いや。それはない。  俺のおとんは英霊(えいれい)や。  今もどこかで、おかんと居(お)るわ。  踊(おど)る巫女(みこ)さんに言祝(ことほ)いでもろて、おもしろおかしく世界旅行やで。  俺のおとんは、怨霊(おんりょう)なんかになったりしいひん。あの人、ああ見えて、英雄(えいゆう)なんやから。  俺もならへん。怨霊(おんりょう)の手先(てさき)なんかには。  鬼退治(おにたいじ)する覡(げき)の血筋(ちすじ)やねん。ええモンやねんで。  どうしてそんな血筋(ちすじ)の男どもが、自分も鬼(おに)になったりするんや。ミイラ取りがミイラになったってやつか。  たとえそれが偉大(いだい)な祖霊(それい)でも、泣いて斬(き)る。それしかないやん。鬼(おに)になってる。  水煙(すいえん)は俺のものやと願う、俺のその気持ちは、怨念(おんねん)やない。ただの恋愛(れんあい)感情(かんじょう)や。  俺の気持ちであって、血筋(ちすじ)の呪(のろ)いではない。そんなもんでは嫌(いや)なんや。  もしもこの怨念(おんねん)の蛇(へび)を鬼(おに)として、心の中で斬(き)り捨(す)ててもうたら、俺はもう、水煙(すいえん)のことを愛してへんようになるのか。  どうでもええガラクタとして、ご神刀(しんとう)にはなんの興味(きょうみ)もなくなるか。  そうやって打(う)ち捨(す)てていくには、水煙(すいえん)はまるで、俺を愛してるような目をしてた。  身代わりとしてではない。俺を見ている。  おとんの複製品(ふくせいひん)やない。初代の男とも違(ちが)う。今この平成(へいせい)の御代(みよ)に生きている、この俺のことを、水煙(すいえん)は愛してる。  そして、それは罪(つみ)やと思うてた。  かつて想(おも)いを交(か)わしたことのある相手に、すまないと。  先代を捨(す)てて、その実の子と契(ちぎ)るのは、ひどい罪(つみ)やと思うてた。  いつの代でもそうやった。

ともだちにシェアしよう!