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25-25 アキヒコ

 水煙(すいえん)はそうまで言わへんかったけど、苦しげに顔を(ゆが)めて白い(すな)()でる、水煙(すいえん)の指の(あま)さは、そこが逢瀬(おうせ)寝床(ねどこ)やと言うてるみたいに見えた。  おとんは時々、神刀(しんとう)水煙(すいえん)()いて()た。それは何のためやったんや。  言うまでもない。()るためや。  ()いて(ねむ)れば、水煙(すいえん)と同じ(ゆめ)を見られる。  (ゆめ)やと思える、その別の位相(いそう)では、水煙(すいえん)太刀(たち)でなく、人のような姿(すがた)をしていた。  それを、おとんは知っていたんや。なぜなら神剣(しんけん)()ぐ時、当主(とうしゅ)になる男は水煙(すいえん)と、同衾(どうきん)するのが(なら)わしやったから。  初夜(しょや)新床(にいどこ)水煙(すいえん)()き、おとんは味をしめたんやろう。  自分の親やし、悪く言いたくはないけども、神刀(しんとう)()いて()る、そんな夜の(ゆめ)の中でなら、水煙(すいえん)()ける。それを知っているからには、辛抱(しんぼう)(たま)らん夜もあったと、そういうことなんやろう。 「(いや)やったんか、それが」  複雑(ふくざつ)な気分で、俺は(たず)ねた。  (いや)やったと、言うてほしいような気もしたし、水煙(すいえん)の話は、そんなふうな意味にも聞こえた。躊躇(ためら)うような、後ろめたい(ひび)きがあった。  そやけど、それではあまりに、おとんが(あわ)れな気もしたわ。  愛してなかったんか、水煙(すいえん)は、おとんのことを。(ほか)に選べる跡取(あとと)りが一人(ひとり)もおらんということで、仕方(しかた)なく選んだだけやったんか。 「……(いや)ではない」  重し苦しく(しず)()む声で、水煙(すいえん)は答えた。 「(いや)ではないが……あいつは、父殺しや。時局(じきょく)もあって、先代(せんだい)は老いた身を(あせ)り、自決(じけつ)による代替(だいが)わりを申し出たが、あいつは(こば)むべきやった。自分の親やないか。(おに)所行(しょぎょう)や。俺を使って、介錯(かいしゃく)するなど……」 「お前がやらせたんやないか。(いや)なんやったら、なんで()ったんや。祖父(じい)さんを」  お前は()りたいもんしか()れへんはずやろ。そうやないんか。  俺はそういう冷たい目をして、水煙(すいえん)を見つめたかもしれへん。  お前はそういう(やつ)なんや。どんだけ(いと)しく身を(よじ)っても、最後の最後は裏切(うらぎ)って、(わか)い方に気を(うつ)す。どうしようもない神や。  これこそ血筋(ちすじ)(すえ)かと、そのことばかりに熱心で、息子(むすこ)ができたら気もそぞろ。これが俺の暁彦(あきひこ)かと、(むね)(さわ)がせている。  それが分からんアホやと、俺を()めている。  激怒(げきど)したような、低く(うな)怨念(おんねん)の声が、身の内で熱い蜷局(とぐろ)()いて、火を()いていた。  俺はその呪詛(じゅそ)を、(だま)って聞いた。  そうか。水煙(すいえん)はお前らにとって、つれない神さんやったか。  初めは期待をこめて見つめ、やがて落胆(らくたん)する。お前も(ちが)うと、目を()らす。そういう薄情(はくじょう)太刀(たち)や。  復讐(ふくしゅう)してやる。お前が俺に()れたら、その時こそ(そで)にしてやる。血筋(ちすじ)(すえ)(あらわ)れるという、初代(しょだい)の男の、思うつぼにはさせへんで。  水煙(すいえん)は俺のものや。(とお)の昔に死んだ男に、()られてなるものか。  自分も(とお)に死んだ者たちが、冥界(めいかい)(さわ)ぐようやった。  その中に、おとんの(れい)もいるのか、俺は心配になった。  おとんもこんな、血筋(ちすじ)怨念(おんねん)()まれたのか。この暗い大蛇(おろち)の一部になって、水煙(すいえん)(のろ)い、血筋(ちすじ)(のろ)ってるんか。  いや。それはない。  俺のおとんは英霊(えいれい)や。  今もどこかで、おかんと()るわ。  (おど)巫女(みこ)さんに言祝(ことほ)いでもろて、おもしろおかしく世界旅行やで。  俺のおとんは、怨霊(おんりょう)なんかになったりしいひん。あの人、ああ見えて、英雄(えいゆう)なんやから。  俺もならへん。怨霊(おんりょう)手先(てさき)なんかには。  鬼退治(おにたいじ)する(げき)血筋(ちすじ)やねん。ええモンやねんで。  どうしてそんな血筋(ちすじ)の男どもが、自分も(おに)になったりするんや。ミイラ取りがミイラになったってやつか。  たとえそれが偉大(いだい)祖霊(それい)でも、泣いて()る。それしかないやん。(おに)になってる。  水煙(すいえん)は俺のものやと願う、俺のその気持ちは、怨念(おんねん)やない。ただの恋愛(れんあい)感情(かんじょう)や。  俺の気持ちであって、血筋(ちすじ)(のろ)いではない。そんなもんでは(いや)なんや。  もしもこの怨念(おんねん)(へび)(おに)として、心の中で()()ててもうたら、俺はもう、水煙(すいえん)のことを愛してへんようになるのか。  どうでもええガラクタとして、ご神刀(しんとう)にはなんの興味(きょうみ)もなくなるか。  そうやって()()てていくには、水煙(すいえん)はまるで、俺を愛してるような目をしてた。  身代わりとしてではない。俺を見ている。  おとんの複製品(ふくせいひん)やない。初代の男とも(ちが)う。今この平成(へいせい)御代(みよ)に生きている、この俺のことを、水煙(すいえん)は愛してる。  そして、それは(つみ)やと思うてた。  かつて(おも)いを()わしたことのある相手に、すまないと。  先代を()てて、その実の子と(ちぎ)るのは、ひどい(つみ)やと思うてた。  いつの代でもそうやった。

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