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25-26 アキヒコ
いつの世でも激情 をこらえ、胸 に秘 めてるだけで、水煙 は、愛 しい愛 しいと、睦 み合 うたりはしいひんのや。
ただ太刀 とその使い手として、剣士 が研 ぎ澄 まされた技 を震 う一瞬 にだけ、震 い付 くような愉悦 があるだけで、水煙 はこの千年、二千年という間、誰 ひとりとも、愛を交 わしたことはない。
一心同体に抱 き合 うて、身も心も蕩 けるような熱を感じたことがない。
熱い炉 の中で煮溶 かされ、新しい形に生まれ変わる、そんな鍛冶場 の時以外には。
そして、血筋 の裔 に現 れた、不死人の剣士 を除 いては。
水煙 が、神業 の刀師 の手によって鍛 え上 げられた神剣 やとして、その使い手である俺も、ある意味、幾世代 をかけて打ち上げ、練 り上げ鍛 え上 げられてきた完成品や。
通力(つうりき)の点において、神剣 ・水煙 の力を引き出すのに、俺ほどふさわしい使い手はいない。
おとんも鬼気 迫 るような、手練 れやったやろう。
しかし俺は、それを凌 げる。
「斬 りたくて斬 ったんやない、アキちゃん。俺はただの、刃物 やで。自分を支配 した使い手が斬 ろうとしたもんは、嫌 が応 にも斬 ってしまう。お前の父は、手練 れやった。覡 としても、俺を支配 するに足る通力(つうりき)を持っていた。その手に俺は、逆 らいようがなかっただけなんや。惚 れてた、あいつに……好きやったんや」
それが手痛 い敗北と、嘆 くみたいに水煙 は、俺に告白していた。おとんのことを愛してたと。
俺はその話に、たぶん内心深くで、激怒 していた。
許 せへん、水煙 が、俺やない別の男を愛してたなんて。たとえ俺が生まれる前の、過去 でもつらい。
「嫌 やと言うたんか」
責 めてるみたいな口調やった。そんなふうに責 める権利 は、あるわけないのに。
それでも水煙 は、怯 えたような顔やった。
たぶん俺が自分の祖父 を斬 られた恨 みで怒 ってると、水煙 は思うたんやろう。そんな祖父 さん孝行 な孫 やと。
答える水煙 の声は、微 かに震 えて聞こえたわ。
「嫌 やと叫 んだ。それでもあいつは、斬 ったんや。父親を憎 んでた。鬼 のようやった」
打ちひしがれた様子で、水煙 はその話をしたが、おとんを罵 っている訳 やない。
そんな修羅場 になだれこんでもうたのは、自分のせいやと、水煙 は思うてるらしかった。
「そんなことをせんでも、俺はお前の父を愛してた。その時はそうやったんや。ただそれが、先代も存命 のうちでは、あんまり不実 に思えて、隠 していただけなんや。それがまさか……あんな結果になるとは、思うてへんかったんや」
水煙 がその忌 まわしい出来事を、嘆 いているようやったんで、俺は頷 きつつ、その話を聞いた。
握 り合 わせた水煙 の指が、小さく震 えていた。その震 えは、俺には愛 おしく思えた。
守ってやりたい神のようやった。もう大丈夫 やと抱 いて、お慰 めしたいような。
しかしそれを、俺はやってもええんやろうか。
俺にはもう、そういう神がすでにいる。亨 が居 るやろ。
俺は水煙 に、お前とはもう無理やと、伝えるために来たんやなかったか。
「アキちゃん。お前の言うとおりやで。俺はお前の血筋 を呪 うている鬼 や。もう、終わりにせなあかん。でもお前にはまだ、太刀 が必要やろう。足もと見るようやけど、まだ鯰 も龍 も片付 いていない。お前は死の舞踏 と、戦わなあかんのや。太刀 が要 る。せめてそれくらいは、俺に手伝 わせてくれ。捨 てるのは、その後にして……」
水煙 は俺をじっと見上げて、そう頼 んできた。
必死のような顔やった。
その頬 に、黒く烙印 を押 されたような網目 の傷 があるのが、痛々 しく思えて、俺は我慢 ができひんかった。
やんわり弱々しく、それでもたぶん、強く握 ってるつもりなんやろう。水煙 のそんな柔 な手を逃 れ、俺は自由になった指で、血に濡 れた、青白い神の頬 を撫 でた。
痛 いという表情 を、水煙 は微 かに、青い美貌 に過 ぎらせた。
咄嗟 に逃 れようとする仕草 を、華奢 な顎 を捕 まえて防 ぎ、俺は水煙 の頬 にキスをした。
舐 めたんやけど。傷 を治そうと思って。でも、キスしたんかもしれへん。わからへん。
夢 やしな。そのへん、大目 に見といてくれへんか。
我慢 ならへん。水煙 、可愛 い。それに愛 しい、美しい神や。
もう、痛 い思いさせときたくない。治してやりたい。俺がかけた呪 いなんやしな、俺が解 いてやりたい。
「何するんや……アキちゃん」
頬 から首筋 に続く網目 の模様 を、ぺろぺろ舐 めてる俺に戸惑 ったんか、水煙 は慌 てたような小声やった。
慣 れてない。そんなん、されたことないらしかった。
優 しく抱 いて、愛撫 されたり、キスしたり、そういうのは。誰 ともしてない。俺の他 には。
なんでやろう。数知れず、代々の当主 と契 ったんやろう。誰 もお前にこんなんしいひんかったんか。
誰 にとってもお前が、畏 れ多 い、有 り難 い神さんやったからか。
俺にもそうやけど。でも、しょうがない。怪我 してんのやから。
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