539 / 928

25-39 アキヒコ

 その顔には表情(ひょうじょう)があったんや。  いつもと違(ちが)う。水煙(すいえん)は俺の知らん顔つきをしていた。  いつの間に、そうなってたんやろ。いつの間に、呪(のろ)いが解(と)けたんやろう。  だんだん明るくなっていく、朝日の照(て)らす砂浜(すなはま)で、俺はじっと水煙(すいえん)を見つめた。  それは相変(あいか)わらず異形(いぎょう)の神ではあった。  青白い肌(はだ)はそのまま。ほっそりした体つきも、華奢(きゃしゃ)な手足もそのままで、黒目(くろめ)がちな大きな目も、そのままやった。  でも、その目は、煌(きら)めく銀河(ぎんが)の星が映(うつ)りこんでいるようやった。  そんな、キラキラ潤(うる)んで、憂(うれ)いを帯(お)びた目やったし、名人の筆(ふで)で描(えが)いたような、優美(ゆうび)な新月(しんげつ)の形の眉(まゆ)があり、華奢(きゃしゃ)な顎(あご)した顔立ちは、人間味(にんげんみ)を帯(お)びていた。  それに長い黒髪(くろかみ)が、腰(こし)まで届(とど)くような豊(ゆた)かさで、水煙(すいえん)の痩(や)せた背(せ)を覆(おお)っていた。  濡(ぬ)れて砂(すな)まみれで、寝乱(ねみだ)れてはいたけども、それは美しい髪(かみ)やった。  その中に、研(と)ぎ出(だ)されたばかりの白刃(はくじん)のような色合いの、白とも銀ともつかへん一房(ひとふさ)、二房(ふさ)が、闇(やみ)のような色の黒髪(くろかみ)と絡(から)み、入り交じっていた。  それもまるで、夜の空にある天(あま)の川(がわ)のようや。  月から来たんやと、水煙(すいえん)は言うていた。きっとそれは本当やろう。  こいつは天人(てんじん)なんや。とてもこの世のものとは思えへん。  ちょっと物見遊山(ものみゆさん)のつもりで地上に降(お)りてきて、そこで出会った男に羽衣(はごろも)とられて、天に帰られへんようになってもうた、気の毒な天女(てんにょ)の話みたい。  きっとそれも、どこかにあった、ほんまの話に違(ちが)いない。こんな美しい天人(てんじん)が、うようよいてるような世界が、宇宙(うちゅう)のどこかにあるんやったら。  俺がそう思って、うっとり眺(なが)めていると、水煙(すいえん)は恥(は)ずかしそうな、妙(みょう)な顔をした。その顔も、めちゃくちゃ可愛(かわい)かった。 「なんやねん、じっと見たりして」 「可愛(かわい)い顔になってる」  俺が言うと、水煙(すいえん)はぎょっとして、自分の顔に触(ふ)れてみていた。触(さわ)ったぐらいで、どんな顔なのかは、分からんかったやろけど、とにかく長い髪(かみ)が触(ふ)れ、水煙(すいえん)はまたぎょっとしていた。 「呪(まじな)いが、解(と)けている」  水煙(すいえん)は相当に、びっくりしたらしい。鏡(かがみ)見たいって、おろおろしていた。でも生憎(あいにく)と、鏡(かがみ)なんてどこにもあらへん。 「どんな顔や」 「どんなって……だから、可愛(かわい)い顔になってる」  水煙(すいえん)はめちゃめちゃ若(わか)いように見えた。  そうやなあ。人間やったら、十五、六歳(さい)くらいか。  男でも女でもない、ほんまに中性的(ちゅうせいてき)な美貌(びぼう)やった。  ますますわからん、水煙(すいえん)が男なのか女なのか。  あかんで、なんか、あかん感じやで。  俺はずっと、水煙(すいえん)のこと、誰(だれ)が見ても美しいとひれ伏(ふ)すような、オーソドックスな美貌(びぼう)になればええなあと、そんな甘(あま)いこと考えてたんやけども。  これが、そうや。今、まさにそう。俺の妄想絵(もうそうえ)を、はるかに凌駕(りょうが)している。  なんかな……お人形さんみたいやねん。薄青(うすあお)いねんけど、お肌(はだ)ぽやぽややしな、髪(かみ)の毛(け)さらさらやしな、睫毛(まつげ)びっしりやし、お目々キラキラなのや。  なんかヤバイ、女装(じょそう)させたい、というか女の子なのか、これは。レースとかフリルとかの世界やで。  そんなんに目覚めてもうたら俺どうしよう。今までにないツボを突(つ)かれている気がする。  しかもそれが猛烈(もうれつ)に効(き)いている。  行ったらあかん世界に入(はい)り込(こ)んでしまいそう。お人形さん遊びの世界やで。  そんなニュアンスを元々水煙(すいえん)から感じ取ってはいたけど、はじめ分厚(ぶあつ)くオブラートに包(つつ)まれていたそれが、今はもう全開(ぜんかい)なってる。  こんな天人(てんじん)が浜(はま)で水遊びしてたら、ひっつかまえて閉(と)じこめとこうなんて血迷(ちまよ)う地球人が居(お)っても無理はない。  支配欲(しはいよく)を刺激(しげき)しまくる危険(きけん)な魅力(みりょく)があるから!! 「な……なに? 変か? 変な顔なんか?」  恥(は)ずかしいのか、ぼうっと白(しら)んだ顔になり、水煙(すいえん)はおろおろしていた。  そして自分の長い髪(かみ)に混(ま)じる、白い一房(ひとふさ)に気付き、また、猛烈(もうれつ)にぎょっとしていた。 「あっ……白髪(しらが)が」  水煙(すいえん)はそれに傷(きず)ついたらしかった。見られてもうたと俺を見上げ、じわっと恥(は)じ入(い)るような涙目(なみだめ)になった。 「昔はこんなん、なかったんやけど。俺も気苦労(きぐろう)したからやろか」 「気にするな! それも含(ふく)めて綺麗(きれい)やから」  俺は慌(あわ)てて、おたおた止めた。  水煙(すいえん)が何か、別の姿(すがた)に変転(へんてん)しようとしている気がして。  たぶん太刀(たち)やろう。それが水煙(すいえん)の本性(ほんしょう)で、長らくその姿(すがた)で過(す)ごしてきた。  美醜(びしゅう)を云々(うんぬん)しいひんでもいい、無難(ぶなん)な格好(かっこう)やったんやろう。  あれも美しい姿(すがた)とは思うけど、でも今は、この姿(すがた)のままでいてほしい。もっと眺(なが)めていたい。  手を握(にぎ)って見つめ合える、そんな姿(すがた)でいてほしいんや。  そんな欲求(よっきゅう)に逆(さか)らわず、俺はほとんど無意識(むいしき)に、水煙(すいえん)の小さい青い手を、ぎゅっと握(にぎ)りしめていた。  それを拒(こば)まず、恥(は)ずかしそうな顔のまま、水煙(すいえん)は俺から目を背(そむ)けていた。 「嫌(いや)や、銀髪(ぎんぱつ)なんて。俺は鉄(くろがね)やのに。黒い髪(かみ)がいい」 「いやいや、大丈夫(だいじょうぶ)や。かなりイケてる。全部、銀(ぎん)でも平気なくらいやから」

ともだちにシェアしよう!