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25-54 アキヒコ
でももう、無理やしな。言わなあかん、水煙 に。俺もお前を忘 れることにする。
お前への愛は、もう捨 てる。水に流して、無かったことにする。忘 れなあかん。亨 のために。
水煙 。お前を幸せにしてやられへん、俺を許 してくれ。許 せへんなら、呪 ってくれてもいい。
それで俺が鬼 みたいな化けモンになってもうても、自業自得 や。多情 な俺が悪いんや。
俺が好きやという神の気持ちに、中途半端 に応 えたりする、そういう優柔 不断 が悪いんや。俺が悪い。
ほんまはお前が俺の主神 で、お前を崇 めて生きていくのが、秋津 の当主 としての俺の勤 めやったのに、よそで別の神さんなんか拾 ってきてもうて、それが好きやて我 が儘 言うて、堪忍 してくれ。
亨 を恨 まんといてくれ。祟 るんやったら俺だけにして。亨 には、頼 むから、何もせんといてくれ。
ご先祖 様も、お願いします。もしも俺をほんまに乗っ取ろうというんやったら、俺は自分を守って戦うけども、それでも負けてもうて、体盗 られてしまった時には、どうか亨 は見逃 してやってください。
また自由にしてやって。きっと俺の他 にも、こいつを幸せにしてくれる運命の恋人 はいてる。そこで幸せになってもらいたいんや。
秋津 の式 として、ずっと飼 われていくのやのうて、どこか遠くで幸せになって、自由に生きててもらいたいんや。
もともと秋津 とは、何の関 わり合 いもない神や。メソポタミア産 らしいですよ。えらい遠いとこから来てる。
アホやし。大した役 に立ちませんし。可愛 いけども、それだけやから、見逃 してやって。
まさか俺の体を乗っ取って、水煙 様と永遠 にラブラブ、それを永遠 に亨 に、見せつけたりはしいひんやろな。
もしもそうでも、何が起きてんのかの事情 説明 くらいは、亨 にしてくれるんですよね。
まさかアキちゃんは亨 をポイして、水煙 様に乗 り換 えたって、そういう誤解 は生 じませんよね。
ご先祖 様、ほんまに頼 む。頼 むしな。いくら鬼 でも、それくらいの情 けは、可愛 い子孫 にかけてくれ。
俺はこれでも亨 のことは、ほんまに愛してる。ほんまに好きやねん。そんな、しんどい思い、させたくないんやで。
水煙 にはさせた。そやから、その報 いやなんて、思わんといてくれ。
それは俺が悪かったんや。俺のせいやで水煙 。お前はそれを、分かってくれてんのやろ。俺のことはお前はなんでも、分かってくれてんのやしな。
そんな俺の気持ちも、分かってくれ。亨 につらい目見 せんといて。自由にさせてやってくれ。
捕 まえた蝶 を、ふたたび空に放 つみたいに。傷 つけたり、閉 じこめたりはせず、また放してやってくれ。
「アキちゃん……お前はほんまに、あの父の息子 やなあ」
俺の内心 の声を聞いていたらしい、水煙 は、バスタブにくつろいで、くすくすと笑っていた。
困 ったような笑い方やった。亨 はその横で、ぽかんと俺を眺 めて、まだ突 っ立 っていた。
「なあ、水煙 。俺は全然 入っていかれへん、この話の展開 は、今どないなってんのや? 声に出して話してくれへんか。お前らが目と目でツーカーなんは、わかるけどやな、俺かて一応 いてんのやから……」
「なんでもない。お前ちょっと、向こう行っとけ。俺はアキちゃんに話があるから」
目が泳 いでる亨 は、水煙 にきっぱりそう命令されて、微 かにムカッと来てる顔をした。怒 っているというよりも、俺だけ仲間 はずれにしやがってみたいな、複雑 そうな顔やった。
「なんやねん。新婚 さんの内緒 話か。蛇 は邪魔 やし向こう行っとけか?」
「僻 むな。神事 の話や。お家 の秘密 やし、お前は遠慮 しろ。今はもう、秋津 の式(しき)やないやろ、よそモンなんやから、教えてやられへん事もあるんや」
くどくど説教 するような口調 になって、水煙 は亨 を諭 した。
それにぶうぶう言いつつも、亨 は納得 したらしい。
素足 のままで、ぺたぺたバスルームを横切 っていき、ばたんと腹 いせみたいに乱暴 に、白い扉 を閉 じていった。
家のためやと言われれば、亨 は遠慮 するらしい。あいつはあいつなりに、気を遣 っている。俺んちの家業のことを、蔑 ろにはしていない。
神事 やら何やらについては、自分よりも水煙 のほうが詳 しいと、そう認 めていて、道を譲 る。
あれで案外 、亨 は控 え目 な性格 なんやで。
口は悪うて、えげつないけど、でも健気 。
いつも待ってる、俺がひと仕事終えて、秋津 の暁彦 様から、ただの絵描 きのアキちゃんに戻 る時まで、いつもおとなしく俺の家業 に付き合 うてくれている。そんな優 しい蛇 さんや。
そんな遠い異国 の蛇 が、出ていった扉 を横目 に見つめ、水煙 はしばらく待っていた。
亨 が聞こえへんようになるまで、話すのは待とうと思ったんやろう。
ひたひた静かに絨毯 を踏 む、人の耳では聞こえへんような音が、そっと遠ざかっていき、亨 はまたフテ寝 したようやった。
ごそごそベッドに潜 る音がしていた。
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