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25-55 アキヒコ

「アキちゃん、あいつは、性悪(しょうわる)(へび)や。油断(ゆだん)していたら、(いた)()()う。そういうこともあるやろう」  聞こうと思えば、(とおる)には聞こえているんかもしれへん。それでも水煙(すいえん)は声をひそめる気配(けはい)はなく、音を()らさぬ結界(けっかい)を、()(めぐ)らせもしいひんかった。  それは気まずい話やないのかと、俺だけが、ぼんやりどこかで(あせ)ってた。 「かつて(おぼろ)もそうやった。お前の父はあれに(うつつ)()かし、肝心(かんじん)な時に祇園(ぎおん)の家へ()()んで、ふらふら遊んでみせたりしていたんで、俺もどうにも(はら)が立ってな、(おぼろ)()てろと文句(もんく)を言うたが、もっともらしい理由(りゆう)をつけて、お前の父は知らん顔をしてばかりいた」  思い出すのか、水煙(すいえん)は、(にが)(ばし)ったような()みやった。  おとんも悪い子やったらしいわ。言うこときかへん。水煙(すいえん)様が(おこ)っても、知らん顔してどこ()(かぜ)や。 「()てたら(おに)になってしまうとか何とか、そんなことを()かしてな。そうなったらそうなったで、()って()てりゃええんや。そういうものや、(おに)()りをする(げき)というのは。可哀想(かわいそう)やで躊躇(ためら)っていては、その(おに)に、食われて泣いてる人間どもが(あわ)れやろ。それを(すく)うてやるのが、(げき)(つと)めや。(おに)(たわむ)れるのが仕事ではない」  とりつく(しま)もない硬質(こうしつ)さで、水煙(すいえん)は俺にそう(さと)し、それから(あわ)いため息をついていた。 「俺はそう思うていたんやけどな、でも、それも少々、頭が(かた)かったんかもしれへんな。アキちゃんは……お前の父や、あいつは変な男やったわ。悪さすんのやけども、なぜか(にく)めへん。俺の話も、ちっとも聞いてへんのやで。こっちが本気で(おこ)っていても、まあまあ水煙(すいえん)、そんな(こわ)い声出さんといてくれ。(おに)かと思うわと言うて、へらへら笑うばかりやねん。そのくせ俺が気弱(きよわ)になっていると、夜中に(くら)まで出張(でば)ってきて、朝まで一緒(いっしょ)にいたりする。餓鬼(がき)(ころ)からそうやった。(さび)しがりやで、めちゃくちゃで、言うこときかへん、悪い子ぉやし、これが末代(まつだい)(はじ)めの暁彦(あきひこ)の生まれ変わりではないかと、思うていた時もあったんや」  水煙(すいえん)の話す声を聞き、俺は自分も子供(こども)(ころ)に、何かあったら(くら)にしけ()餓鬼(がき)やったことを思い出していた。  あそこは何か特別な部屋(へや)なんや。現実(げんじつ)から(はな)れ、祖先(そせん)伝来(でんらい)(おも)いが()()いた古道具類(ふるどうぐるい)(かこ)まれていると、なぜかホッとする。(こわ)現実(げんじつ)から(はな)れ、自分が守られているような気がして(なご)む。  学校とかで、それとなく、ひとりぽつんと()いている自分を実感(じっかん)すると、俺は走って家まで帰り、そのまま(くら)()もっていたりした。  古びた(くら)(かぎ)がかかっている高さに、自分の手が(とど)くようになってからのことや。  その(かぎ)は、ずうっと昔からそこにあり、俺が勝手に使うても、おかんは文句(もんく)言わへんかった。  (かぎ)を引っつかんで()げていく俺を、ただ(あき)れ、(なつ)かしそうに見るだけで、いつも大目(おおめ)に見てくれていた。  たぶん、おとんのことを思い出していたんやろう。  (くら)には水煙(すいえん)様が()てるんやし、昔は今よりさらに特別の場所やったやろう。  小学生やった俺が、ひとり生きてる(さび)しさに負けて、(かく)れて泣きべそかいてると、何や知らん、古い声が(くら)のそこかしこから、俺を(なぐさ)めていた。  しょうがない、アキちゃん。お前はそういう家の子や。ひとりやないで。俺が()いている。みんなも()てる。(さみ)しかったら、ここに()ればええよと、古い木魂(こだま)声真似(こえまね)してるような口振(くちぶ)りで、いつも決まったお(さだ)まり、しょうがないよと俺を(さと)した。  俺はそんな古道具類(ふるどうぐ)()けた、九十九神(つくもがみ)やら、(くら)仕舞(しま)われている怪異(かいい)の類(たぐい)と(たわむ)れて、(ほか)とは(ちが)う変な自分を、しばし(なぐさ)めていたんやと思う。  (みな)(うそ)やと、ありえへんと思っているものが、(くら)の中では現実(げんじつ)やった。  (まぎ)れもない現実(げんじつ)(まぎ)れもない異界(いかい)がそこにあり、それが(うそ)ではないことに、俺は深く安堵(あんど)していた。  おとんの(ころ)には、木魂(こだま)声真似(こえまね)ではない、ほんまもんの神さんが、そこにいたんやろう。  ほんまもんの、(しゃべ)太刀(たち)隕鉄(いんてつ)から打ち出されたというご神刀(しんとう)が、ひっそり片付(かたづ)けられていて、()えば(かた)る。家に伝わる古い古い物語。  (さび)しい(さび)しい、(みな)(ちが)うのがつらいんや、なんで俺は普通(ふつう)の子のように生きていかれへんのやと、俺やおとんがだだ()ねて()えば、その神はこう答えたやろう。  しょうがないアキちゃん、それが血筋(ちすじ)(さだ)めやと。  (いや)なら普通(ふつう)の子になるか。神通力(じんつうりき)など持ってへん。  風の(ささや)く声も、物陰(ものかげ)怪異(かいい)が語る、不思議(ふしぎ)な声も、月読(つくよみ)の笑う、(あや)しくも神々(こうごう)しい声も、なにも聞こえへん耳をした、なんでもない普通(ふつう)の子になって、絵を()(うで)()られてもうて、将来(しょうらい)(おに)()(げき)として、ご神刀(しんとう)()るい、人々を(すく)うこともない。  そんなふうに生きていくのかと、その神は()い返してきたやろう。

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