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25-56 アキヒコ
おとんも俺も、結局 ずっと絵筆 は捨 てられへんかった。結局 、ご神刀 を握 る男になった。
人と違 うふうに生きていくのは、時々つらい。それでも俺もおとんも、結局 選んだ。あの薄暗 く古い、蔵 の中で、秋津 の子として生きていく人生を選択 した。
優 しく守ってくれる、おかんの胎内 のような、古い蔵 からは出て、鬼 の蠢 く修羅場 のような現実 の世界で、戦っていくことにした。
俺も時々聞いたことがある。蔵 の中とか、あるいは古びた母屋 の梁 のどこかから、俺を励 ます声が言うのを。
アキちゃん、泣くことはない。お前は天地(あめつち)に愛された子や。人はみんなそうや。哀 しいんやったら泣いてもええけど、いつかは立ち上がって戦わなあかん。
人のために戦ってこそ、お前は大人になれる。そして人が愛するような、偉大 な者にもなれる。めそめそ泣いてる弱虫 は、誰 にも愛してもらわれへんで。
そう言うお堅 い声に、そうか、俺はやっぱり誰 にも愛してもらわれへんのやと、俺がぽろぽろ涙 をこぼすと、声は慌 てて、そんなことはない、そんなことはない、お前は可愛 い秋津 の坊 で、俺は愛してる。皆 、お前のことを愛してんのやで、めそめそするな。ほんまにもう、しょうがない、と、ビビッたようにぶつぶつ言うてた。
あれは水煙 の声やったんやないか。
うちの実家には、いろんなもんが憑 いてるんや。怪異 が棲 んでる。
そういや水煙 も、俺が子供 のころからずっと、実は嵐山 の家に居 ったんやで。それやしあの声が、実は水煙 やったというのでも、納得 はいく。
だって、考えてみれば、あれは水煙 そっくりやもん。
水煙 も、おとんと同じで、俺の部屋 の天井裏 からずっと、俺が育っていくのを見守ってたんやないか。
俺は困 ると、その声に、べったり頼 って生きてきた。愚痴 愚痴 言うたり、俺は一体どないしたらええんやて、くよくよ相談 したりした。
口には出せへん色んな悩 みとか、成長 過程 の懊悩 とかを、全部洗 いざらいぶちまけていたわ。
だって自問自答 のつもりやったんやもん。
誰 が思う、天井裏 に、おとんとご神刀 が棲 んでいて、それが天の声。時々言い争いながら、片方 はテキトーで、片方 はお堅 い。ボケとツッコミみたいな、そんな話口調で、自分も含 めた三者対談 なんやとは、想像 してへん。
俺の自問自答 、よう喋 るなあとは、思うてたんや。思ってもいないような凄 いことまで言うもんやから、俺って変すぎへんかと、時々怖 くなったくらいやったけど、実は他人やったんや。そら想像 を絶 するような事かて言うわ。
そうやって、俺も最初の当主 と同じ、水煙 様に育ててもらった覡 のひとりや。ただ遠巻 きに見守るだけで、あれせえこれせえと煩 く指導 はされへんかったけど、それは何でやろう。
跡取 りらしい息子 として育つように、なんで厳 しくされへんかったんか。
「アキちゃんは、いろんな理由でお前を覡 にはしとうなかったんや。結局 のところ、蛙 の子は蛙 やし、こういう事になってもうたけど、アキちゃんはお前には、自由に生きていってほしかったらしい。絵描 きになりたいんやったら、絵描 きになればええし、他 の奴 らがするように、勤 め人 になってもええし。なんでもええわと思うてたらしい。とにかく幸せになってくれれば、家や血筋 やと煩 いようなのとは、無縁 のままでええんやと、俺のことは煙 たく思うてたようやで」
「お前を俺にくれてやるのが、嫌 やっただけやないか」
「それもあるやろう」
にやりとして、水煙 は黒い、つるりとしたガラス玉のような目で、俺を眺 めていた。
「あれも秋津 の子やしな。祖先 伝来 のご神刀 には、妄執 があった。覡 としての式神 欲 しさも、身内 が恋 しい劣情 も、血筋 の定 めや。あれにもあったわ。お前より強いくらいやった。しかしアキちゃんは、そういう自分が、好きではなかったようや。いつも苦しんでいた。俺の顔なんぞ見たくもなかったやろう。憎 い憎 いで、捨 ててええもんやったら、どこかへぽいっと捨 てていきたかったんやないか。それでも俺のことは神として、大事に崇 めてくれてたわ。結局 それが、血筋 に宿った妄執 で、あいつもそれからは逃 れられへんかった。呪 いをかけてた男のほうが、通力(つうりき)があったんや」
水煙 が言うているのは、初代 の当主 のことやろう。
あれは半神半人 やった。それより血の薄 まっている、俺のおとんにしたら、通力(つうりき)では敵 わん相手やったということやろう。
「それでも、ええ線 はいってたんやで。なんせ散々 に血を撚 り合 わせた血筋 の裔 や。お前の父もただの男ではない。それでも呪 いを振 り切 ったのは、死後になってからやった」
絡 みつく蛇 のような怨念 が、首根 っこを締 め付 けている。
それが苦しいて息もできひん。そういう感じがする時があった。
おとんもそれを感じていたんか。
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