560 / 928

25-60 アキヒコ

「ええ夢見(ゆめみ)たよ。幸せやった。でも夢(ゆめ)は夢(ゆめ)。それが現実(げんじつ)になることはない。それでも良かったんや、お前の父の代までは。俺もそれで満足していた。でももう無理や、アキちゃん。俺もつらい。堪(こら)えきれへん。お前が好きで、たまらんようになって、堪(こら)えきれへんようになる。お前のために、亨(とおる)と醜(みにく)く争うようになるかもしれへん。そんなことはしたくないんや。あいつと居(お)る時、お前はほんまに幸せそうに見える。それを壊(こわ)したくない。お前の父から、朧(おぼろ)を取り上げたように、お前から亨(とおる)を取り上げたくはないんや」  醜(みにく)いと、水煙(すいえん)は自分を恥(は)じていたようやった。  だけどそれは、誰(だれ)でもそうや。恋(こい)してんのやから。  誰(だれ)でも醜(みにく)い。好きや好きやで必死になったら、誰(だれ)でも醜(みにく)い鬼(おに)みたいになる。  それは恥(はじ)か。  確(たし)かに格好良(かっこよ)くはないやろう。  誰(だれ)もが目を覆(おお)うような修羅場(しゅらば)やろう。  まして、ほんまもんの神、ほんまもんの鬼(おに)やねんからな。怖(こわ)さ爆発(ばくはつ)。ただの修羅場(しゅらば)じゃ済(す)まへんで。  水蛇(みずへび)VS海蛇(うみへび)や。怪獣(かいじゅう)やで、怪獣(かいじゅう)。  しかし、それは何という醜(みにく)い、そして哀(かな)しい戦いやろか。  確(たし)かに醜(みにく)い。俺は愛(いと)しい二柱(ふたはしら)の神さんを、そんな憂(う)き目に遭(あ)わせるべきやない。  黙(だま)って身を引く他はない。撤退(てったい)しろと、水煙(すいえん)様が言うてんのやから、おとなしくそれに従(したが)うて、無駄(むだ)な足掻(あが)きをするべきやない。  でも、つらい。無理やて分かっていても、駄々(だだ)こねたい。それが我(わ)が儘(まま)坊主(ぼうず)ってもんやんか。 「お前はいつも、正しいんやな。そうやって逃(に)げていく。堪(こら)えきれへんようには、なってくれへんのやな。他のアホとは違(ちが)うんや。有(あ)り難(がた)い、お高い水煙(すいえん)様なんやもんな」 「おかしいか。それくらいの気位(きぐらい)は、最後に保(たも)ちたいって、思うたらあかんか」  哀(かな)しい顔して、水煙(すいえん)は微笑(ほほえ)んでいた。  それは美しい表情(ひょうじょう)やった。哀(かな)しいまでに、美しい。  そして独特(どくとく)の皮肉めいた、ほろ苦い毒(どく)がある。それがあんまり板(いた)についてて、それ以外の顔をしている水煙(すいえん)なんて、想像(そうぞう)つかへん。 「あかんことない。ただ……俺は」  美しいなあって、俺は思わずひれ伏(ふ)したいような、有(あ)り難(がた)いうちの神さんを、ぼんやり無心に眺(なが)めていた。  そうして、ぼんやりと浮(う)き上(あ)がってきた、己(おのれ)の心の本音(ほんね)のところと、向き合うていた。 「俺は、お前が狂(くる)うような相手でいたかったんや。でも、そんなん、俺の愚(おろ)かな自惚(うぬぼ)れで、餓鬼臭(がきくさ)い我(わ)が儘(まま)やったな」  俺がそう、自嘲(じちょう)して結論(けつろん)すると、水煙(すいえん)は切(せつ)なそうな、愛(いと)しいという笑(え)みをして、俺を見つめた。 「そうやろか。俺は充分(じゅうぶん)、お前に狂(くる)っていたよ。アキちゃん、お前は俺の、最後の主(あるじ)で、俺の使い手、俺を祀(まつ)る最後の覡(げき)や。お前のことを、ずっと想(おも)うてる。それだけは、許(ゆる)してくれ」  海に消え入る泡(あわ)になる。人魚(にんぎょ)は恋(こい)に敗(やぶ)れると、海の泡(あわ)になって、消えてしまうんや。そんな哀(かな)しい昔話を、俺はまた、ふと脳裏(のうり)に思い出していた。  それは呪(のろ)いのようや。まるで。  それがお決まりのコース。そうなっても、しょうがない。哀(かな)しくも、美しい、海から来た者たちの、お定(さだ)まりの末路(まつろ)やねん。  そんなん嫌(いや)やと、駄々(だだ)こねたところで、俺も結局(けっきょく)そうやったやないか。  水煙(すいえん)を抱(だ)いてやられへん。夢(ゆめ)ではない現世(うつしよ)では、結ばれることはない。  水煙(すいえん)を捨(す)てようとしてたやないか。今もしている。  生(い)け贄(にえ)になる覡(げき)の身代わりに、自分を海に捨(す)ててしまえと、水煙(すいえん)は俺に言うている。そうしようかと、俺が決めれば、そうなってしまうんや。  そうやって我(わ)が身(み)を救(すく)い、水煙(すいえん)は哀(あわ)れ海の藻屑(もくず)に。そして俺は亨(とおる)と、ずっと幸せに生きていこうかな。それでハッピーエンドやって、そんなオチやで。  そうして、俺はいつまでもいつまでも幸せに暮(く)らせるのか。ほんまにそうか。  水煙(すいえん)を手放(てばな)す、こいつを海に投(な)げ捨(す)てる、その瞬間(しゅんかん)を、いつまでも永遠(えいえん)に憶(おぼ)えていて、激痛(げきつう)とともに思い出してるんやないか。  勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)を斬(き)ってもうた、その瞬間(しゅんかん)を、いつまでも白昼(はくちゅう)の悪夢(あくむ)として、繰(く)り返(かえ)し思い返していたように。  そしてそれが、亨(とおる)と過(す)ごす幸せすぎる毎日の中で、深く刺(さ)さった鋭(するど)い棘(とげ)のように、俺の心のどこかを腐(くさ)らせていた。  それと同じ呪(のろ)われた傷(きず)を、俺はまた、自分に与(あた)えようというのか。  二度目のそれは、耐(た)えられるやろか。  瑞希(みずき)は戻(もど)ってきてくれたけど、水煙(すいえん)はもう二度と、戻(もど)って来ないんやろ。 「どうしたらええか、わからへん」  途方(とほう)に暮(く)れて、俺は水煙(すいえん)にそう、泣きついた。  ぼんやりしたような、ゆらめく声やった。今にも気絶(きぜつ)しそうな、ぼけっとした声や。 「悩(なや)む必要はない。他(ほか)に手はないんや。龍(りゅう)に祈(いの)れ。太刀(たち)をやるから、神戸(こうべ)は諦(あきら)め、引き返してくれと」 「嫌(いや)や……俺はそんなん、したない」

ともだちにシェアしよう!