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25-64 アキヒコ

「でも(とおる)は、俺が(おに)みたいやと言うていた」  けっこう(きず)ついたんやで。(とおる)に言われたその悪口を、水煙(すいえん)様にチクると、()(がた)い青い守護神(しゅごしん)は、くつくつと面白(おもしろ)そうに(のど)()らして、静かに笑った。 「そうやろうかなあ。今まで数知(かずし)れぬ(おに)を見てきた俺の見解(けんかい)では、お前はそれとはほど遠い。お前は(おに)なんやない。(やさ)しいだけや。ただその(やさ)しいのんが、人の心を(きず)つける、(つみ)な時があるだけや」 「(きず)つけてるか」  俺はまだ、お前のことを(きず)つけてるのか。  そういうつもりで()いたんやけど、水煙(すいえん)曖昧(あいまい)微笑(ほほえ)んでいた。 「(きず)ついてるやろう、水地(みずち)(とおる)は。お前を俺に()られたと思っている。行って(なぐさ)めてやれ。今日(きょう)は一日、(しげる)宴席(えんせき)()るらしい。(だれ)かにとっては今生(こんじょう)の、最後の一日になるかもしれへんのや。せいぜい飲んで(さわ)いで、美味(うま)いもんでも()ろうて、楽しく神遊(かみあそ)びする、そんな良き日にするらしい。お前も(とおる)と、楽しく()ごしておやり。(ほか)のに気を(つか)う必要はない」  水煙(すいえん)が言うているのは、自分のことでもあったやろうけど、(あん)瑞希(みずき)のことやった。  犬はほっとけ、(とおる)(かま)えと、水煙(すいえん)は俺に(すす)めた。  きっと水煙(すいえん)はずっとそうして、秋津(あきつ)当主(とうしゅ)に、あいつと遊べ、あいつを(かも)うてやれと、采配(さいはい)してきたんやろう。  すでに()れてる者の余裕(よゆう)が、微笑(ほほえ)む顔の口元に、(あらわ)れていた。  水煙(すいえん)様のお()げなんやし、気が(らく)や。それに(したが)うのが当主(とうしゅ)(つと)め。そういうことやろう。免罪符(めんざいふ)なのや。  その都合(つごう)のええ(まじな)いは、俺の身にも効果(こうか)があった。  もう(なや)まんでええんやと思うと、(なさ)けないほどほっとした。  今日(きょう)は一日、(とおる)とだけべったり()っても、(ゆる)してくれるか。  ほんまに明日(あした)には、死ぬかもしれへん。どないなるか、わからへんのやったら、俺はずっと(とおる)()りたい。  最後の日にもアキちゃんは、俺を散々(さんざん)我慢(がまん)させたと、後で(とおる)に思われたくないんや。  もうええやん。充分(じゅうぶん)我慢(がまん)させたやろ。  俺もしんどい。もう何も考えんと、ぼけっとしたい。  (おに)とか怨霊(おんりょう)とか、血筋(ちすじ)(さだ)めとか、(りゅう)とか(なまず)とか、そんなもん、考えたくない。  もう死ぬという、最後の日には、俺はぼけっと絵を()いていたい。明日(あした)世界が終わるんやったら、そうしたい。(とおる)の絵を()いていたいんや。  いまだに納得(なっとく)のいく一枚(いちまい)を、()けた(ため)しがない。  何度()いても(とおる)姿(すがた)を、()()めたような気がしいひん。()いても()いても、まだ()きたい。ずっと()いていたい。  太刀(たち)()るって、その(わざ)()える、そんな瞬間(しゅんかん)にだけある和合(わごう)が、水煙(すいえん)とはあるやろう。  でも(とおる)ともある。  じっと向き()うて、静かに絵を()いている。その俺を、ただ微笑(ほほえ)んで見てる、その(とおる)の顔と見つめ合う、そんな瞬間(しゅんかん)にだけある至福(しふく)の時が、俺にはあるんや。  (もう)(わけ)ない。俺は剣士(けんし)にではない、絵師(えし)になりたいんや。  絵を()くことが、俺の本性(ほんしょう)。俺の個性(こせい)で、太刀(たち)だけ(にぎ)って、(ふで)()ってもうたら、俺は幸せにはなられへん。  (ゆる)してくれ水煙(すいえん)(ゆる)してくれって、ぐらぐら()れてる俺の心を見ても、水煙(すいえん)は変わらず、微笑(ほほえ)んでいた。 「ええんや、そんなん、気にするな。それがお前という子や。しょうがない……」  口癖(くちぐせ)みたいになっている、それをまた言うてもうて、水煙(すいえん)はほとほと(まい)ったように、苦笑(くしょう)していた。  白い歯の見える口元が笑い、そして(くちびる)()みしめるのを、俺は見た。 「水地(みずち)(とおる)はなあ、()いた相手に、幸運を(さず)ける神らしい。幸運やで。なんやねん、それは。そんな正体のないようなもんを(さず)けてどうする。それは力か。何かの役に立つのか。俺にはよう、分からへん」  (あま)(ののし)るような口調で言うて、水煙(すいえん)(かべ)の向こうの、ふて()している白蛇(しろへび)を、じっと(にら)むような目をしていた。 「しかしなあ、ジュニア。もはや(けん)太刀(たち)の時代ではない。世の中、平和や。お前は正しい選択(せんたく)をしたんや。きっと、(とおる)神威(しんい)によって、家は(さか)えるやろう。どんな逆境(ぎゃっきょう)に立っても、幸運さえあれば、なんとかなるよ。最後は結局(けっきょく)運任(うんまか)せやしな。お前にずっと幸運があるように、俺もあの(へび)に、(いの)るしかない。あいつをずっと、(はな)さんようにしろ。そしてその幸運を、(みな)にも分けてやれ。それによってお前も、人に愛されるやろう」  幸せになれるよと、水煙(すいえん)は俺を見つめて、声ではない声で、そう教えた。  心配せんでも、お前は天地(あめつち)に愛されている子や。  そんなお前をなんで人間たちが、愛してくれへん(わけ)があるやろか。  人に()くせ。そして愛してもらえ。それでええねん。なにも(なや)む必要はない。  お前が幸せやったら、俺も幸せや。  ほんまにそうやで。神の言葉を、ゆめゆめ(うたが)うなかれやで。

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