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25-65 アキヒコ
アキちゃん、幸せになってくれ。
せめて血筋 の裔 の一人 くらいは、幸せに生きてほしい。
最初からずっと、それが俺の悲願 やった。暁彦 、お前に幸せになってほしくて、俺は頑張 ってきたんやで。
でもその単純 なことが、俺にはなんでか難 しいんや。
不甲斐 ない神や。
俺のお陰 やのうて、面目次第 もないけども、それでもお前が幸せになれば、俺の悲願 も果 たされる。これでやっと、肩 の荷がおりたわ。
ほんまに、ほっとしたように、水煙 はそう話し、幸せそうに俺を見た。
ほんまに幸せそうな、微笑 みやった。
それも悲願 や。俺がずっと見たいと願 っていた顔を、水煙 はしていた。
俺だけやない。たぶん代々の当主 も、最初に秋津 の当主 やった男も、それを願ってた。
哀 しいような微笑 みはやめてくれ。幸せそうな微笑 みで、俺を見つめて。
でも、それは、こういうふうな形やったやろうか。
俺は哀 しい。ほんま言うたら、泣きたいくらいや。
ほんま言うたら、ちょっと泣いてたかもしれへんで。
いいや泣いてた。ボカしたらあかんな、そういうのはな、見栄 を張 ってもしょうがない。
鬼 の目にも涙 やで。俺かて泣くことはあるねん。格好悪 いけど、うるうる来てたな。
それでも我慢 してた。男の子が泣くもんやおへんて、おかんが言うてたしな。
それに水煙 が、可笑 しいなあという笑 みで、俺を見ていたんやもん。ばつが悪うて、泣くに泣かれへん。
「どないしたんや、ジュニア。蔵 で泣いてた、チビのアキちゃんやあるまいし、もう大人 なんやろ。やっと幸せになれるのに、何を泣くことがあるんや」
「わからへん、哀 しいんや」
格好悪 いなあと思って、俺は持ってたタオルで目を拭 っていた。我慢 しいひんかったら、ほんまにわんわん泣きそうやった。
水煙 がいってしまう。どこか俺の手の届 かへんところへ、去ってしまう。
そう思うと寂 しくて、哀 しいんや。
「寂 しいことない。お前には亨 が居 るやろ。泣いたらあかん。雨が降 ってくるから。せっかくの宴 やのに、雨降 りやったら、皆 も楽しまれへん。何か察 して、心配する者もおるやろうし、にこにこしていろ。笑 う門 には福来 たると、昔から言うやろ。それも呪法 や、嘘 ではない」
そう諭 してくる水煙 は、まるで俺のおかんみたいや。厳 しく優 しい。
アキちゃん、泣いたらあかんえ。昔の人も、そない言うてはりますえ。笑 う門 には福来 たると、諺 にも言いますやろう。あれは、ほんまのことどすえと、俺を優 しく叱 る。
あれって実は、水煙 みたいやったんか。おかんもそうや、水煙 に育てられた子で、それを神と崇 めてきた一族のひとりやったんや。
血族 を求めるのは、血筋 の業 か。
俺はおかんが好きで、たまらへん。水煙 が好きで、たまらへんのや。
それでもいつかは、離 れなあかんのか。乳離 れせなあかん。腹 減 った、寂 しい、ミルクちょうだいって、いつまでも強請 る、そんな餓鬼 やと大人 になられへん。
それでも水煙 は二千年もの長きに渡 り、秋津 に仕 えた。我 が儘 で、甘 えたなボンボンたちを、可愛 い可愛 いしてくれた。
それももう、引退 するわということやったら、今までおおきに、ありがとうと感謝 して、俺は素直 に手放すべきなんか。この太刀 を。
「アキちゃん、俺も宴 には行こうかなあ。行ってもええやろか。どんな姿 で行くべきか、今さら迷 うわ。せっかくやし、お前が創 った、あれで行こうか。それを見て、皆 がさすがは麗 しい、秋津 の主神 やと感心すれば、お前はそれで幸せで、俺もいくらか気が晴 れるやろうか」
そうせえ言うなら、そうしようかという顔で、水煙 は俺の意向を尋 ねた。
どんな姿 でもいい、俺の望む形やったら、それが自分の本性 と、水煙 はそう言うていた。
宴 の支度 か。そんなんやったら、水煙 様にも、一番美しい姿 で、お出ましいただかなあかんやろ。
うちの守り神や。ありがたいご神刀 の精 なのや。
その鋭 く麗 しい霊威 のほどを、皆 にも知らしめておかなあかん。
俺はバスタブで待っている顔の水煙 の傍 に、なんとなく恐 る恐 る近づいた。畏 れ多 いような神さんやった。
湯縁 にある青い手に、そっと触 れると、水煙 は俺に、自分に触 れることを許 した。
水の中にある、傷 一つない柔 い体を、ゆっくり抱 き上 げると、滴 る水の音がして、水煙 はやんわりした腕 で、俺の首に抱 きついてきた。
それはただ単に、体を支 えるための抱擁 やった。
ぐんにゃり凭 れてくる、その仕草も、いつもと何も変わらへん。
ぬるま湯の温度になった柔肌 が触 れるのが、心地 よかった。
それが夢 の中では、熱く燃 えてた。好きや好きやで焼け付くような、熱い指で俺の背 を掻 きむしってた。
それと同じ指で、水煙 はやんわりと、灼 けた痕 の残る俺の肩 を、そっと撫 でていた。
「これはもう、消したほうがええよ。亨 がびっくりするやろう」
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