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25-71 アキヒコ

「そんなん無いわ。俺の(やく)やのに……アキちゃん守るの、俺のやるとこちゃうの? お前が持っていくんか、水煙(すいえん)」 「しょうもないとこで意地張(いじは)るな。(だれ)がやっても結果は同じやろ。お前は次回以降がんばれ。もう俺は()らんようになるんやしな?」 「(うそ)や、そんなん……アキちゃんが承知(しょうち)するわけない。お前に()れてんのやで。俺かてそれくらい分かってる。そのお前を(りゅう)にくれてやって、平気で生きていけるような、そんなえげつない男やないで、このボンボンは」  めそめそ言うてる(とおる)の話に、水煙(すいえん)(こま)ったような苦笑(くしょう)やった。 「ほんなら、なおさら、俺を始末(しまつ)できて、お前には好都合(こうつごう)やないか? (だま)って見とけば、邪魔(じゃま)包丁(ほうちょう)()らんようになる。アキちゃんはお前だけのもんになるんやで?」 「そうやけど……」  駄々(だだ)をこねてる子のように、(とおる)の声は(あま)えて(ひび)いた。  水煙(すいえん)はそれに、ますます(こま)った顔をした。  どうも水煙(すいえん)は、(とおる)のことが好きらしい。  面倒見(めんどうみ)たらなあかんと思うらしい。  この時も、めそめそ泣いてる(あわ)れっぽい姿(すがた)(なが)め、よしよして頭のひとつも()でてやりたいという雰囲気(ふんいき)やった。  でも、それは、変やろ。おかしいやろ。その(とおる)と俺を取り合ってんのやしな。よしよし言うてる場合やないよな。そう思って(こま)ったらしい。 「うだうだ言うな。絶対(ぜったい)帰れっていう話やないんや。()りたいんやったら、()ればええよ。ただしお前は部外者(ぶがいしゃ)やで。無難(ぶなん)(すみ)っこのほうに()り。俺が必死でアキちゃんを守ったところで、お前がうっかりドジ()んで、くたばってもうてたら意味ないやんか?」 「なんで意味ないのや?」 「お前が()らんと、アキちゃん幸せになられへんやないか?」  ぐすんぐすん言いながら、(とおる)水煙(すいえん)真顔(まがお)を見上げた。 「そうなん?」 「そうやろ。アキちゃんはお前を愛してんのやから。俺よりお前がええらしいで。せやし、しょうもない()(もち)焼くな。それこそ藪蛇(やぶへび)や。別れる切れるの話になりかけている。そんなことになってもうたら、俺は一体なんのために身を引くんや。別れてええようなもんなんやったら、今すぐ別れて、お前が(りゅう)()(にえ)になればええよ。俺がアキちゃんと幸せになるから」  本気か冗談(じょうだん)かわからん口調(くちょう)水煙(すいえん)の話が終わる前から、(とおる)はぶるぶる首を横に()って、青ざめた顔で、それは(いや)やと言うてた。  水煙(すいえん)はそれを、(さげす)みきった目で見てた。 「まったく、そんな覚悟(かくご)もないなら、(だま)っとけ。(なさ)けない(やつ)や、外来(がいらい)(へび)は。あの(おぼろ)でさえ、アキちゃんのために、(なまず)(えさ)になろうかという覚悟(かくご)やったのに」 「さすが切腹(ハラキリ)の国の(へび)や……」  外国人観光客のような感嘆(かんたん)をして、(とおる)はがっくり敗北(はいぼく)していた。  死ぬのがな、(こわ)いんやって。  そら(こわ)いよな。俺かて(こわ)いもん。  (みな)(こわ)いやろ? ハラキリできる? できひんよな……。  刀を自分の(はら)()すねんで? こう、ぐっさりと……って、無理やわ。想像(そうぞう)の時点でも、(いた)そうすぎて無理やわ。気分悪くなってくる。  それが普通(ふつう)やで。日本人やから全員平気で切腹(せっぷく)するかていうたら、そんなわけあらへんわ。  武士(ぶし)だけやないか? 俺、武士(ぶし)やないから。美大生(びだいせい)やからな、そんなん(こわ)あて、ようやらへん。  (とおる)も無理やったかて、別に(はじ)でやないで。水煙(すいえん)やら(おぼろ)やらが異常(いじょう)なんや。異常(いじょう)覚悟(かくご)ができすぎている。  普通(ふつう)は自分の命なんて、そう簡単(かんたん)には()()たれへんのやで。  それでも、自惚(うぬぼ)れの(そし)りを(おそ)れず言うのなら、それは(むく)われなかった愛情(あいじょう)ゆえや。  水煙(すいえん)は、アキちゃんのためなら死んでもええわと思うてくれたんやろう。  (おぼろ)もそうやろ。あっちは俺のためやのうて、おとんのほうやろけどな。  (とおる)ももし、そんな立場に立たされたら、俺のために死のうというぐらい、愛してくれてたか。  それは(なぞ)や。  とにかく(とおる)は、往生際(おうじょうぎわ)の悪い(へび)やねん。  そこがこいつの特性(とくせい)で、そこに起死回生(きしかいせい)(かぎ)があったんや。  覚悟(かくご)というのは、(とうと)いけども、見方を変えれば一種の(あきら)めや。  (とおる)は決して、(あきら)めへんタイプ。どんなに(みにく)かろうが、(いさぎよ)(あきら)めたりはせず、なんとか生きようと足掻(あが)くタイプやねん。  (あきら)めずに頑張(がんば)れば、どこかに奇跡(きせき)のコースがある。(みな)も、そう思うか?  全員でハッピーエンド? そんなもんが、どこかにあるやなんて、俺は全然思えてなかったけど、(ねが)ってはいた。どんな神様でもええから、そんな奇跡(きせき)を起こしてくれへんか。  それは(ねが)うにしては、あまりに見込(みこ)みがなさすぎる希望(きぼう)で、自分でも自覚(じかく)はしてへん、(あわ)(いの)りのようなもんやった。  しかし水煙(すいえん)様に(いの)っても無駄(むだ)や。こいつは(いさぎよ)すぎる。  無様(ぶざま)足掻(あが)いたりしいひんのや。  ()()(ほろ)ぼしてでも、(いと)しいモンを(すく)う。そういう発想(はっそう)をする神や。

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