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25-73 アキヒコ

 そして万が一、俺が死んでもうたら、(たの)むし『ガラスの仮面(かめん)』は俺の蔵書(ぞうしょ)ではないと、おかんに証言(しょうげん)してくれ。  エロログも()()てて、トイレに流しておいてくれ。  トラッキーの()いぐるみも連れていってくれ。落語(らくご)とかダウンタウンのブルーレイも俺のやないから。  そしてパソコンのハードディスクに残ってる、他人が見てはいけないような、以前遊んだデジカメの、()ずかしい写真も消しておいてくれ。  お前がプリントアウトして(かべ)()ってたほうも、絶対(ぜったい)()()ててくれ。  せめて守ってくれ、俺の死後(しご)名誉(めいよ)を。  うちの息子(むすこ)、なんてアホやったんやろて、おかんに思われたら、俺は死んでも死にきれへんのや。(たの)むし、おかんだけには、最後までええ格好(かっこう)させてくれ。  そう言うたら、(とおる)納得(なっとく)してくれるかな。  アキちゃんそう言うてるし、目がマジやし、京都帰って身辺整理(しんぺんせいり)をしといてやろかなって、思わへんかな。無理(むり)やろか。  でも俺けっこう、それについてはマジなんやけど。本気で身辺整理(しんぺんせいり)しといてもらいたい。  エロログだけでもいい。今日(きょう)中に処分(しょぶん)してくれ。  (たの)む。水地(みずち)(とおる)大明神。(おが)みます。いや、ほんまに……。  しかしな、今はこれ以上、()()られへんわ。水煙(すいえん)ちょっと、本気でイライラしている。早うせえというオーラ出してる。  しょうがないから、俺はその説得(せっとく)は、後回(あとまわ)しにすることにした。  それどころではない。籤取(くじと)りや。  (だれ)(なまず)()(にえ)いくか、(くじ)で決めるんや。  水占(みずうら)というのは、神聖(しんせい)なもんである。  そもそも(うらな)いというのは神聖(しんせい)なものなんや。  そこには神が(あらわ)れる。姿形(すがたかたち)を持たない天地(あめつち)が、そのご意志(いし)(しめ)す場や。  名前のついてない神さんが、いちばん原始的で、そして(えら)いのや。  名付けられ、具体化され、擬人化(ぎじんか)された時点(じてん)で、神々は何らかの制約(せいやく)を受ける。  個性(こせい)というのは、(わく)でもあるしな、それが神の限界(げんかい)にもなる。  (ほとけ)やいうだけで、キリスト教徒(きょうと)の人らには、信仰(しんこう)してもらわれへんようになるやんか。  しかし名前がなく、神格(しんかく)を持った神でさえない、山やら川やら、宇宙(うちゅう)やら、そんなもんの背景(はいけい)にある、この世を生み出し動かしている、無限(むげん)の力にやったら、人は()(へだ)てなく畏敬(いけい)(ねん)(いだ)けるやろう。  俺をほんまに守護(しゅご)しているのは、その神さんや。  神でさえない。天地(あめつち)や。  それは人格(じんかく)も、意志(いし)も持ってない。  ただ運命の流れがどちらへ向かおうとしているか、それを()し示して教えることはする。  川は東に流れるか、南に下るか、意志(いし)を持っては決めへんやろけど、自分がどちらへ流れようとしているか、それを(しめ)すことはできる。  見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)や。川がどちらへ行こうとしているのかは。  水は高きから低きへ。天地(あめつち)の理(ことわり)に(したが)って流れる。運命もそうや。(さだ)めがある。  死ぬと(さだ)められた(もん)のほうへと、死は(まよ)うことなく()()りてくる。  前(さき)の震災(しんさい)から二十余年(よねん)。  ひょっとすると、もっと前から。  ずっと自分の死に場所を(さが)していた、死を思う(とら)のほうへ、告死天使(こくしてんし)()()りてくる。  神戸(こうべ)を救うための()(にえ)や。  それは(とら)にとっては前進やった。決して無駄(むだ)な死ではない。  かつての自分を消滅(しょうめつ)から救ってくれた、この港町、(かみ)()の、恩義(おんぎ)(むく)いるための死や。  それで本望(ほんもう)。それでこそ自分は、神として、霊獣(れいじゅう)としての神格(しんかく)を、回復(かいふく)することができる。  そしてさらに、もしかしたら、神戸(こうべ)にもうひとつの大きな(めぐ)みを、もたらすことができるかもしれへんと、(とら)算段(さんだん)していた。  あんなアホみたいな男でも、考えてることは、考えてんのやな。さすがは神というべきか。  信太(しんた)はいかにしてアホの鳥さんを、ほんまもんの不死鳥(ふしちょう)へと仕上(しが)げるか、十年かけて考えていたらしい。  不死鳥(ふしちょう)とは、いかなる霊獣(れいじゅう)やろか。  ひとつには、()えている鳥である。火の鳥や。  火の中から生まれ、死ぬ時には()()(みずか)らの火で()()くし、その(はい)の中から再生(さいせい)する。(ほのお)によって生まれ変わる鳥なんや。  それによって、永遠(えいえん)の命を生きている。  そして、もうひとつには、生命(せいめい)(あた)える力を持った鳥である。  不死鳥(ふしちょう)(なみだ)には、死者を(よみがえ)らせる効用(こうよう)がある。  冥界(めいかい)の神のもとへ行くべき(たましい)を、(ふたた)現世(げんせ)の肉体へと、()(もど)すことができるんや。  黄泉(よみ)がえり。復活(ふっかつ)()()てたものを、(ふたた)繁茂(はんも)させる力。  これが不死鳥(ふしちょう)が神と(あが)められる最大のポイントやろう。  それがないなら不死鳥(ふしちょう)は、ただの()える鳥。  何の役にも立たへん、意味なく無限(むげん)に生きているだけの、ただの(あつ)い鳥さんや。  これまで寛太(かんた)には、死んだものを(よみがえ)らせたという実績(じっせき)はなかった。  震災(しんさい)(きず)(あえ)神戸(こうべ)の、再生(さいせい)のシンボル、フェニックスとして()ばれたはずが、言うほど街は再生(さいせい)してへん。  一時の隆盛(りゅうせい)を知る者から見たら、うらぶれた(さび)しさのある、まだ(きず)ついた街のままや。

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