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26-11 トオル

「知ったことか、そんなん! いつぞやは、お前んとこに(しき)()()けて、折檻(せっかん)させたりして、えろう()まんかったな。(みんな)、お前にはムカムカしていたらしいんでな、それもしょうがない。ルール無視(むし)して、アキちゃんを幾夜(いくよ)(ひと)()めしたお前があかんのや。自業自得(じごうじとく)やったと思って、(ゆる)してくれ。お前のせいやった」 「(あやま)ってるつもりか、それ」  怜司(れいじ)兄さん、混乱(こんらん)しちゃったみたい。俺もしちゃった。  ていうか折檻(せっかん)て。リンチか水煙(すいえん)(ちょう)(こわ)い。  (おに)みたいというか、とっくに(おに)やんか。  (おに)そのものやで、これ。この青い人。アキちゃん気付いてないだけで。(おに)ですって。 「何で俺がお前に()びなあかんのや。そんな()われはないわ。(けが)らわしい(もの)()め。それでもアキちゃんが、お前のようなのがいいと言うんなら、好きにすりゃええ。俺はもう、ジュニアに()()えたから」  俺に()ってる状態(じょうたい)で、そんな堂々(どうどう)と、ジュニア()()えた宣言(せんげん)すな。  (ひめ)()っこされてんねんぞ。そのジュニアのご正室(せいしつ)様に。  ご正室(せいしつ)様っていうな。まるでご側室(そくしつ)様がいてるみたいやないか。  いるけどやな。現実(げんじつ)問題として。  水煙(すいえん)とも(ちぎ)ってもうたんやしな。正室(せいしつ)側室(そくしつ)と犬と、それに怜司(れいじ)兄さんという(めかけ)まで()るんやないか。  どないなっとんねんアキちゃん。いっぺん死んでこい。 「そんなこと……ありえんの? 俺、もういっぺん暁彦(あきひこ)様と、()(もど)せんの?」  ドキドキ不安そうに、(むね)()()けられてるような顔して、怜司(れいじ)兄さんは()いていた。  水煙(すいえん)はそれを、しばし、じいっと(なが)め、それから断言(だんげん)した。 「ありえへんな」  きっぱり言われて、怜司(れいじ)兄さんの繊細(せんさい)な心が、がらがらガシャンて(くだ)()る音がしたような気がした。  俺は(あわ)てた。猛烈(もうれつ)に。 「あかんやろ水煙(すいえん)。お前はなにを言いたいんや。なんのための話題(わだい)やねん」 「いや、つい本音(ほんね)が出てもうてな。(きら)いやねん、こいつが」  ぷんぷん()いてる声でゲロって、水煙(すいえん)はずり落ちそうなんか、よいしょと俺の首に(うで)かけて、(すわ)(なお)していた。 「でもな、そんな私情(しじょう)()きで言えば、あいつはお前に未練(みれん)があるやろ。ダメ(もと)で、当たって(くだ)けてみたらどうや。案外(あんがい)、失われた時間の()()わせが、できるかもしれへん」 「そうやろか……」  (おぼろ)様、むっちゃオドオドしてる。アホみたいになってきてる。 「さあな。そうでなくても、しっかり(はたら)いておけば、声のひとつもかけるやろ。息子(むすこ)世話(せわ)になったんや。あいつも隠居(いんきょ)の身とはいえ、秋津(あきつ)前当主(ぜんとうしゅ)やで。礼儀(れいぎ)()くすわ」 「そうやな。俺ともまた、口利(くちき)いてくれるやろ。挨拶(あいさつ)くらいは」  不安げに、でもうっすら(うれ)しそうに言う、その話のみみっちさに、俺は唖然(あぜん)とした。  話すだけでええのん?  挨拶(あいさつ)って。そ、そんなんで、ええのん?  そら、それくらいしてくれるやろ。  それもしてもらわれへんと思ってたんか、怜司(れいじ)兄さん。(あわ)れっぽすぎる。 「あいつはお前が、(にく)くて()てたわけやない。俺に言われて、しょうがなくや。それは分かってんのやろな?」  水煙(すいえん)も、若干(じゃっかん)引いたんか、こわごわ(たし)かめるような口ぶりやった。 「そうやろか。ほんまは俺に、()きてたんやないか。遊びやったんやしな、俺とのことは」  本気で言うてるらしい怜司(れいじ)兄さんの姿(すがた)を、水煙(すいえん)真顔(まがお)でじっと見つめていた。  黒い目が、つるりとした無表情(むひょうじょう)で、なにを思うてんのやら、分からん感じ。 「遊びか。そうかもしれへんな。お前がそうやって、最初から(ぶん)(わきま)えてたら、追放(つうほう)などせんで()んだんや。(おろ)かやったな、(おぼろ)」  冷たく言うてる水煙(すいえん)様の、(はがね)でできてるはずの心が、なんでか(ふる)えているような気がして、俺はすぐ(そば)にある青白い顔を見つめた。 「分かってるよ。お前が主神(しゅしん)で、あとは雑魚(ざこ)やろ。俺かてそれはもう、身に()みて分かったよ。遊びでええんや。それで別にかまへん」 「そうか。それならお前にも、希望はあるかもしれへんな。精々(せいぜい)気張(きば)れ。ええ仕事して、アキちゃんに、秋津(あきつ)世話(せわ)になったと思わせろ」 「そうするわ」  こそばゆそうに、怜司(れいじ)兄さんは()れながら、そう言うていた。  それを見つめる水煙(すいえん)の目は、冷たかった。  ()っこしている青い体が、冷たいのと同じで。 「ワンワン()りていくしな」  にっこりとして、怜司(れいじ)兄さんは俺と水煙(すいえん)に、そう(ことわ)った。  そして、すたすたとベッドのあるほうへ消えて、またすたすたと、半分()ぼけているパジャマ姿(すがた)の犬の手を引いて、連れて(もど)ってきた。  瑞希(みずき)ちゃんは、頭寝癖(ねぐせ)でぐちゃぐちゃで、着物みたいな打ち合わせになっているパジャマも半分はだけて、(かた)が見えてた。  ヨレヨレやった。本気で()ていたらしい。  その、(すき)だらけみたいな姿(すがた)を見てると、可愛(かわい)かったけども、犬は半分血まみれやった。  (かみ)にも顔にも、もとは白かったパジャマにも、アキちゃんの血が、べっとり()みついていた。

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