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26-15 トオル

 そんなん、(とおる)ちゃんかて一応(いちおう)知ってるよ。神様が身内とくっつきがちなことくらい。  古代ギリシアの神さん(たち)かてそうやった。地母神(ちぼしん)ガイアなんて、自分が産んだ息子(むすこ)(まご)を、バリバリ食うてた。  日本神話の国生みの神、イザナギ・イザナミかて、兄と妹や。  せやし、そこがあかんて言うてへん。たとえお前がアキちゃんのご先祖(せんぞ)さまでも、それやしあかんなんて、言うてへんやん。  そういう問題やないねん、水煙(すいえん)。  アキちゃんは俺の男やねん。  それを食うても別にかまへんやろ的な質問(しつもん)されてもな、(こま)るねん。  あかんとしか、言い(よう)がないやろ? 「しかし世間(せけん)は気にするやろう」  ほとほと(まい)ったみたいな(あわ)れっぽい面(つら)で、水煙(すいえん)様は(かた)を落とし、しょんぼりしていた。  俺はちょっと、目のやり場に(こま)った。  お前ちょっと、可愛(かわい)くないですか? 「俺は身を引く。後は(まか)せた。お前が秋津(あきつ)()()ててくれ。それが無理でも、アキちゃんを幸せにしてやってくれ。それが俺の一生の(ねが)いや」  こいつも目のやり場に(こま)るんか、水煙(すいえん)は俺にそう(たの)みつつ、俺の顔は見ようとしなかった。  ()れるというより、つらいみたいやった。  それは当然(とうぜん)、つらいやろ。(かり)にも恋敵(こいがたき)に、そんなことを(たの)むのは。 「身を引くって、どないすんの……具体的(ぐたいてき)には」  ほどよく()まった湯の中にいる水煙(すいえん)を見下ろし、俺は()いた。  そろそろ湯を止めてやらなあかん。 「どっか行くんか、水煙(すいえん)」  どこか(うわ)(そら)で、蛇口(じゃぐち)()めつつ、俺がさらに()くと、水煙(すいえん)はやっと俺の顔を見て、(こま)ったなあみたいな、(あわ)微笑(びしょう)やった。  それも随分(ずいぶん)、つらいみたいな顔で、まるでどこか、(いた)いみたいやった。 「約束(やくそく)してくれ。お前は性悪(しょうわる)(へび)や。それでもアキちゃんを()てんと、ずうっと(そば)にいてくれると、俺に約束(やくそく)してくれ。あの子は(さび)しがりやねん。ひとりでは生きていかれへん。その一生が永遠(えいえん)やというんや。ともに永遠(えいえん)に生きる、()()いが()る。お前があの子をそんな体にしたんや。ちゃんと最後まで、責任(せきにん)をとってくれ。永遠(えいえん)にずっと……(そば)にいて、守っていてやってくれ。たとえ何があろうと、どんな()になろうと、それだけは(まも)()くと、(ちか)ってくれ。神と神との約束(やくそく)や。それにお前の名をかけてくれ」  ひやりと()れた、冷たい手で、水煙(すいえん)はバスタブにかけた俺の手を、やんわり(にぎ)ってきた。  冷たいのに、熱いような、不思議(ふしぎ)な熱のある指やった。  その手に()れられていると、もうどこにも()げられへんような気がした。  威力(いりょく)のある神の手で、ひっつかまれている。その手を()(はら)うことなんて、(だれ)にも絶対(ぜったい)にできへん。  たとえ神の手でなくても、それは無理。  なりふり(かま)わず好きで、(くる)って(おに)になるほど好きな相手を、こいつは(あきら)めようというんや。  俺に(ゆず)ると水煙(すいえん)は言うている。もう争わへん。  アキちゃんは、徹頭徹尾(てっとうてつび)、俺のもの。  それでええから、俺の(たの)みを聞いてくれと、水煙(すいえん)は俺に、(たの)んでいた。  いつもの(えら)そうなような、お高い神さんの顔ではない。見てるこっちが(つら)いみたいな、ものすご真面目(まじめ)無表情(むひょうじょう)で。  その黒い目の(おく)に、食い入るような必死の視線(しせん)宿(やど)して。 「……そんなん、約束(やくそく)でけへん。お前が見張(みは)れ。どうせ俺は性悪(しょうわる)(へび)や。いつ裏切(うらぎ)るともしれへん。すでに裏切(うらぎ)ってるしな。藤堂(とうどう)さん食うてもうたし。それにもまた次回が、あるかもしれへんで。アキちゃんよりオッサンのがええわって、トンズラこくかもしれへんで!」  心にもないような、話のつもり。  それでも、そう言うといたら、水煙(すいえん)()()められるかなって、とっさにそんな野生の(かん)で、俺はわざと(あら)っぽく、そう答えといた。  そして、あと一捻(ひとひね)り、()められてなかった風呂(ふろ)蛇口(じゃぐち)を、えいと気合いを()(しぼ)って()めた。  その時やった。アキちゃんが風呂場(ふろば)突入(とつにゅう)してきたのは。  その瞬間(しゅんかん)、まさかこいつ立ち聞きしてなかったよなと、俺はぞっとした。  アキちゃん、(うそ)やで、今の話はな、俺の機転(きてん)やねん。  (とおる)ちゃん本気やないから。  堂々・浮気(うわき)宣言(せんげん)とかやないから。  いきなりマジギレせんといて!  それで、ひいいっ、て青い顔なって、思わず身構(みがま)えたけど、アキちゃん、アレやん。トイレでゲロやん。  なんや知らん、めっちゃ気色(きしょく)悪い、キィィ、カシャカシャー! みたいな、耳障(みみざわ)りな音で()く、腹蔵虫(ふくぞうむし)とかいう、モヤモヤ黒い(かげ)のような、でかい百足(むかで)みたいな虫をざくざく、トイレでゲロっておられましたやんか。  大丈夫(だいじょうぶ)か、俺のツレ。  どないしたんや、それ。  そんなん、体のどこに仕舞(しま)ってあったんや。  まともやないで、アキちゃん。もはや人間やめてるで。  気がついてへんかったんか、そんなもんが(はら)にいて!  丈夫(じょうぶ)にも(ほど)がある。  というか、自傷(じしょう)にもほどがある。  何をそんなに気が(とが)めてたんや。  そんな暗いモヤモヤを(はら)()うほど、何を(なや)んでたん。

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