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26-25 トオル

「先生、俺はな、皇帝(こうてい)()われていた(とら)や。元は後宮(こうきゅう)屏風(びょうぶ)の、絵の中にいた。ほんまに絵やったんです。それがあんまり上手(じょうず)()けてて、天帝(てんてい)(いのち)(あた)えられた。絵の(とら)が夜中にあんまり()えるんで、皇帝(こうてい)がわざわざお見えになってな、(はら)()って(せつ)ないんか、そんなら絵から出てきて宴席(えんせき)(はべ)れと(おお)せで、それからずっと、代々の皇帝(こうてい)(つか)えた。由緒(ゆいしょ)正しき(とら)なんです。一応(いちおう)な」  アキちゃんを値踏(ねぶ)みするように、ゆっくりとした足取(あしど)りで、(まわ)りをうろつく信太(しんた)仕草(しぐさ)は、まさにさっきの(とら)のようやった。 「先生は、三都(さんと)巫覡(ふげき)の王ですか。俺は、そこらへんのペーペーには、(つか)えたくないんや。落ちぶれても、(ほこ)りがあります。宮廷(きゅうてい)では、皇帝(こうてい)にしか(ゆる)されへん黄色をまとって、(りゅう)鳳凰(ほうおう)()かれた(ゆか)()んで、うろつくことを(ゆる)されていた(とら)や。俺はね、ぶっちゃけ皇帝(こうてい)のペットやけどな、先生。皇帝(こうてい)は神やねん。生きている神で、地上にいる星や。それに匹敵(ひってき)するような人間にしか、(つか)えたくない。先生は一体、どういう人ですか」  信太(しんた)はアキちゃんに近寄(ちかよ)っていって、鼻を()せ、くんくんと(にお)いを()いだ。(けもの)(くさ)仕草(しぐさ)やった。  アキちゃんはもちろん、(あま)(にお)いがするやろう。  その(にお)いを(おぼ)えようとしてるみたいに、信太(しんた)はいつまでも、うっとりと甘露(かんろ)()いでいた。 「どういう人って……俺は絵描(えか)きで、ただの学生や。皇帝(こうてい)とか、王とか、生き神様とか、そんな大層(たいそう)なもんとは(ちが)う。それやったら、あかんのか」  居心地(いごこち)悪そうに、アキちゃんは答えた。()(まわ)信太(しんた)横目(よこめ)で追いながら。 「絵師(えし)か……」  にんまりとして、信太(しんた)はその事実を反芻(はんすう)したらしい。  人間の姿(すがた)のままでも、ごろごろ(のど)が鳴りそうな顔をしていた。  そして信太(しんた)唐突(とうとつ)に、ベロンとアキちゃんのほっぺたを()めた。  アキちゃん、ギャーッてなっていた。  そらなるわ。だってもう(とら)やないんやもん。信太(しんた)やもん。  歴史コスプレの信太(しんた)やもん。(とら)のほうがマシらしいで。ベロンされるんやったら、信太(しんた)より(とら)のほうがマシなんやって。どこまで信太(しんた)(いや)なんや。 「うわあ、なんやこれ。気色悪(きしょくわる)いいっ。お前の(した)、ざらざらしてる。ざらざらしてんで!」  そんなどうでもええような事を、アキちゃんは恐慌(きょうこう)して信太(しんた)文句(もんく)言っていた。  ()められたことのほうを文句(もんく)言え。そっちのほうが普通(ふつう)でないやろ。  いくら美味(うま)そうでも、()めたらあかんやろ。(みな)さん見てはるんやからな。  ()めてええんやって、(みな)さん思わはったら、あかんやろ。  ()めたらあかん。()めたらあかんねんから、俺のツレ!  ()めてええのは、俺だけなんやから。(みな)さん、その点、しっかり理解(りかい)しといてや! 「そらそうや、(とら)やもん。(ねこ)科ですんで」  くすくす笑って、信太(しんた)上機嫌(じょうきげん)やった。 「美味(うま)いなあ、先生。気に入りました。それに俺、絵師(えし)は大好き。元が絵やしな。絵が上手(じょうず)い人は、今も大好きやねん」 「ほんなら、本家の(ぼん)にお(つか)えできるのやな、信太(しんた)」  今まで石のように(だま)っていた蔦子(つたこ)さんが、どことなく(あま)(ねこ)なで(ごえ)で、信太(しんた)(たず)ねた。  信太(しんた)はそれに、アキちゃんを見たまま、うんうんと、(うなず)いて答えていた。  蔦子(つたこ)さんに(なつ)いてる、でっかい虎猫(とらねこ)みたいやった。 「できます、蔦子(つたこ)さん」 「そしたら本家(ほんけ)でおきばりやす。(ぼん)はあんたも知ってのとおり、まだまだ修行中(しゅぎょうちゅう)の身や。知らへんことも沢山(たくさん)あります。あんたが教えてやりなはれ」 「蔦子(つたこ)さんの警護(けいご)は、(だれ)がやんの」  名残惜(なごりお)しげに前の主人を見て、信太(しんた)はちょっと、ごねてるみたいに(たず)ねた。 「啓太(けいた)がしますやろ」 「それはそれは、(かえ)()きやな(けい)ちゃん……」  もともと読んではいたけどもという顔でいながら、信太(しんた)はさも(おどろ)いたふうに言うてた。それにメガネはムカッと来たらしい。 「お前がおらんようになって、俺もせいせいするわっ」  小声でメガネに怒鳴(どな)られて、信太(しんた)はくすくす笑った。  啓太(けいた)はもともと、蔦子(つたこ)さんに(つか)える、筆頭(ひっとう)(しき)やった。それが信太(しんた)の登場で、()しのけられて、ランクダウンやったわけ。  ご主人様に、ごろごろ(あま)える、(ねこ)科アタックに、勝たれへんかったわけやな。  信太(しんた)はあくまで、ペット体質(たいしつ)。ご主人様にお(つか)えして、それに(あま)えて、それのために働いて、ええ(とら)やなあと可愛(かわい)がってもらうことに、疑問(ぎもん)がないらしい。大好き、ご主人様。  それが、かつては代々の皇帝(こうてい)で、ちょっと前までは蔦子(つたこ)さんやった。  そして今、その矛先(ほこさき)は、アキちゃんに向いている。  だってアキちゃんが、信太(しんた)のご主人様になったんや。  そういう儀式(ぎしき)をやったやろ。お水ぐびって飲んで、それで終了(しゅうりょう)やけど、(ちか)いの水杯(みずさかずき)神事(しんじ)やで。神聖(しんせい)(ちか)いやねん。  アキちゃんは信太(しんた)に約束してもうた。俺がお前のご主人様になってやるからって。

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