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26-29 トオル
俺はとっさにさぶいぼ出たけど、そういえばそうやった。
狐 とラジオは、おとんの代 からの知り合いやという話やった。
秋尾 はヘタレの茂 が赤 ん坊 のころから仕 える式神 で、その茂 ちゃんは、嵐山 の秋津 家で育ったんやで。
だから怜司 兄さんが朧 と呼 ばれ、おとんのご寵愛 を受けていた頃 、秋尾 もそこにいたんや。
せやから、こいつら、少なくとも顔見知りなんや。主 どうしが連 んでたんやから。
「えー。どやったかなあ。血は吸 うたらあかんのやで。流血 したらあかんのやから。チューとハグはええんやないか? 肝心 のとこ触 らんかったら」
肝心 のとこってどこかしら。亨 ちゃん、初心(うぶ)やから、わからないわ。って、トボけても、あかん?
あかんか。超 ガッカリ。
なんでそんな決まりやねん。
ええやん、ちょっとお触 りするくらい、減 るモンやなし。むしろ増 えるモンやないか!
しかしや。しょうがない。それも伝統 やというんやったら。
ええやんええやん言うて、あれとかこれとかしちゃって、あかん亨 が肝心 なとこ触 ったからドジってもうたなんて事になったら、土下座 したかて許 してもらわれへん。
アキちゃんやのうて、アキちゃんのおかんとか、おとんとかに。きっと絶対 、怒 られる。
どういうつもりどすか亨 ちゃんて、おかんに怖 い顔で怒 られる。
俺それチビりそうやねん。怖 いねんでえ、登与 ちゃんは。
俺には一応 、命の恩人 やしな。今やお姑 さんなんやから。
「アキちゃん好きやもあかんの?」
言うだけタダやろ。それも穢 れるなんて言わんといてくれよ。
下手 すりゃ最後の夜やねん。
ただ黙 って抱 き合 うだけなんて、俺つらいねん。
アキちゃん好きやって、一杯 言いたい。
「あかんことないけどさあ。やめといたら? 変に盛 り上 がって、いっとこかみたいになったら、余計 しんどいよ?」
何をいっとくの? 怜司 兄さん……。
経験者 は語るみたいな口調 やけど、昔、なんかあったの?
変に盛 り上 がって、我慢 すんのしんどかったことあんのかよ。
不潔 だわ!
「若 いって、ええなあ。普通 しいひんよ。そんな土壇場 の、ギリギリまでは、いちゃつかへんもんやで」
苦笑 の声で、秋尾 は茶化 して、水がたっぷり満たされていた盥 の縁 に、そっと指先を触 れさせていた。
そしたらそれも、ドロンと狐 に化かされたように、うっすら白煙 をあげて、掻 き消 えた。
おお、と小さく感嘆 して、それを眺 め、怜司 兄さんは煙草 を吹 かしていた。
「相変わらず手際 がええなあ」
「こんなんが得意 やから、昔も今も、しょうもない雑用 ばっかりなんやで」
「まあ、その通りやなあ。それはお互 い様 や」
笑い合 うてる二人 は、親しげやった。
怜司 兄さんは秋尾 が、懐 かしいみたいやった。
たぶん思い出すんやろ。おとんと、自分と、ヘタレの茂 と、その狐 。そんな面子 で遊び歩いていた、祇園 の夜が。
「朧 ちゃん、本間 先生の式 になったんか? なんで?」
「なんでって……行きがかり上 や」
気まずいんか、怜司 兄さんは目をそらし、ものすご渋 い顔してた。
「顔、似 てるから? 暁彦 様に?」
「似 てるって、全然似 てへんやんか。似 てるか、あの坊 。おんなじところに目鼻 はついてるけど……でも、それだけやで?」
「そうやな。僕 もそう思う。暁彦 様には、会 うてへんの? 病気でもしたんか。なんや、えらい、窶 れてもうて、骨 と皮 みたいやないか?」
秋尾 はただ、心配やったんやろ。
狐 は神やし、慧眼 の主 に仕 える式 や。目がええんやろ。
怜司 兄さんが隠 している正体 の件 を、うすらぼんやり見抜 いたらしい。
大丈夫 かと、親 しげに手を伸 ばしてきた狐 の手を、怜司 兄さんは振 り払 っていた。触 らんといてくれと、そういう険 しさで。
「なんもない。大したことない。うちの坊 連れて、もう行くし。また宴席 でな」
振 り払 われた手を、狐 は意外そうに傷 ついた顔で見ていたが、その目は心配そうやった。
ほんならこいつら、ほんまに仲 はよかったんかもしれへん。
それでも朧 はずっと、狐 とは会 うたことなかったみたい。
懐 かしいは嘘 ではないけど、会うと思い出すし、つらかったんかな。
すっかり神戸 に引 き籠 もり、怜司 兄さんは京都には行ったことがないらしい。
「はよ行こう、先生。ワンワンに仕事任 せて、ほったらかしにしてきてるし、心配やわ」
そういえばいない、と、俺が今さら気付いたワンワンのことも、怜司 兄さんは心配してやっていた。
もちろん、この場を立ち去るための口実 ではあったんやろけど、怜司 兄さんはたぶん、俺よか優 しい性格 や。
「瑞希 に仕事?」
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