603 / 928

26-29 トオル

 俺はとっさにさぶいぼ出たけど、そういえばそうやった。  (きつね)とラジオは、おとんの(だい)からの知り合いやという話やった。  秋尾(あきお)はヘタレの(しげる)(あか)(ぼう)のころから(つか)える式神(しきがみ)で、その(しげる)ちゃんは、嵐山(あらしやま)秋津(あきつ)家で育ったんやで。  だから怜司(れいじ)兄さんが(おぼろ)()ばれ、おとんのご寵愛(ちょうあい)を受けていた(ころ)秋尾(あきお)もそこにいたんや。  せやから、こいつら、少なくとも顔見知りなんや。(あるじ)どうしが(つる)んでたんやから。 「えー。どやったかなあ。血は()うたらあかんのやで。流血(りゅうけつ)したらあかんのやから。チューとハグはええんやないか? 肝心(かんじん)のとこ(さわ)らんかったら」  肝心(かんじん)のとこってどこかしら。(とおる)ちゃん、初心(うぶ)やから、わからないわ。って、トボけても、あかん?  あかんか。(ちょう)ガッカリ。  なんでそんな決まりやねん。  ええやん、ちょっとお(さわ)りするくらい、()るモンやなし。むしろ()えるモンやないか!  しかしや。しょうがない。それも伝統(でんとう)やというんやったら。  ええやんええやん言うて、あれとかこれとかしちゃって、あかん(とおる)肝心(かんじん)なとこ(さわ)ったからドジってもうたなんて事になったら、土下座(どげざ)したかて(ゆる)してもらわれへん。  アキちゃんやのうて、アキちゃんのおかんとか、おとんとかに。きっと絶対(ぜったい)(おこ)られる。  どういうつもりどすか(とおる)ちゃんて、おかんに(こわ)い顔で(おこ)られる。  俺それチビりそうやねん。(こわ)いねんでえ、登与(とよ)ちゃんは。  俺には一応(いちおう)、命の恩人(おんじん)やしな。今やお(しゅうとめ)さんなんやから。 「アキちゃん好きやもあかんの?」  言うだけタダやろ。それも(けが)れるなんて言わんといてくれよ。  下手(へた)すりゃ最後の夜やねん。  ただ(だま)って()()うだけなんて、俺つらいねん。  アキちゃん好きやって、一杯(いっぱい)言いたい。 「あかんことないけどさあ。やめといたら? 変に()()がって、いっとこかみたいになったら、余計(よけい)しんどいよ?」  何をいっとくの? 怜司(れいじ)兄さん……。  経験者(けいけんしゃ)は語るみたいな口調(くちょう)やけど、昔、なんかあったの?  変に()()がって、我慢(がまん)すんのしんどかったことあんのかよ。  不潔(ふけつ)だわ! 「(わか)いって、ええなあ。普通(ふつう)しいひんよ。そんな土壇場(どたんば)の、ギリギリまでは、いちゃつかへんもんやで」  苦笑(くしょう)の声で、秋尾(あきお)茶化(ちゃか)して、水がたっぷり満たされていた(たらい)(ふち)に、そっと指先を()れさせていた。  そしたらそれも、ドロンと(きつね)に化かされたように、うっすら白煙(はくえん)をあげて、()()えた。  おお、と小さく感嘆(かんたん)して、それを(なが)め、怜司(れいじ)兄さんは煙草(たばこ)()かしていた。 「相変わらず手際(てぎわ)がええなあ」 「こんなんが得意(とくい)やから、昔も今も、しょうもない雑用(ざつよう)ばっかりなんやで」 「まあ、その通りやなあ。それはお(たが)(さま)や」  笑い()うてる二人(ふたり)は、親しげやった。  怜司(れいじ)兄さんは秋尾(あきお)が、(なつ)かしいみたいやった。  たぶん思い出すんやろ。おとんと、自分と、ヘタレの(しげる)と、その(きつね)。そんな面子(めんつ)で遊び歩いていた、祇園(ぎおん)の夜が。 「(おぼろ)ちゃん、本間(ほんま)先生の(しき)になったんか? なんで?」 「なんでって……行きがかり(じょう)や」  気まずいんか、怜司(れいじ)兄さんは目をそらし、ものすご(しぶ)い顔してた。 「顔、()てるから? 暁彦(あきひこ)様に?」 「()てるって、全然()てへんやんか。()てるか、あの(ぼん)。おんなじところに目鼻(めはな)はついてるけど……でも、それだけやで?」 「そうやな。(ぼく)もそう思う。暁彦(あきひこ)様には、()うてへんの? 病気でもしたんか。なんや、えらい、(やつ)れてもうて、(ほね)(かわ)みたいやないか?」  秋尾(あきお)はただ、心配やったんやろ。  (きつね)は神やし、慧眼(けいがん)(あるじ)(つか)える(しき)や。目がええんやろ。  怜司(れいじ)兄さんが(かく)している正体(しょうたい)(けん)を、うすらぼんやり見抜(みぬ)いたらしい。  大丈夫(だいじょうぶ)かと、(した)しげに手を()ばしてきた(きつね)の手を、怜司(れいじ)兄さんは()(はら)っていた。(さわ)らんといてくれと、そういう(けわ)しさで。 「なんもない。大したことない。うちの(ぼん)連れて、もう行くし。また宴席(えんせき)でな」  ()(はら)われた手を、(きつね)は意外そうに(きず)ついた顔で見ていたが、その目は心配そうやった。  ほんならこいつら、ほんまに(なか)はよかったんかもしれへん。  それでも(おぼろ)はずっと、(きつね)とは()うたことなかったみたい。  (なつ)かしいは(うそ)ではないけど、会うと思い出すし、つらかったんかな。  すっかり神戸(こうべ)()()もり、怜司(れいじ)兄さんは京都には行ったことがないらしい。 「はよ行こう、先生。ワンワンに仕事(まか)せて、ほったらかしにしてきてるし、心配やわ」  そういえばいない、と、俺が今さら気付いたワンワンのことも、怜司(れいじ)兄さんは心配してやっていた。  もちろん、この場を立ち去るための口実(こうじつ)ではあったんやろけど、怜司(れいじ)兄さんはたぶん、俺よか(やさ)しい性格(せいかく)や。 「瑞希(みずき)に仕事?」

ともだちにシェアしよう!