605 / 928
26-31 トオル
それが言 い訳 みたいに言う水煙 の、お澄 まし顔を見下ろして、朧 様は、にやあっと笑った。
それは少々、邪悪 な笑 みやった。
「登与 様? ああ……そやな。ふうん。ほんなら、知らんのや、水煙 様は」
くすくす気味 が良さそうに、朧 様は笑っていた。
その顔がちょっと正気 やないようで、俺は遠目 に眺 め、何とはなしに寒かった。
「有 り難 い水煙 様でも、知らんことはあるんやなあ。登与 様か。そうやなあ。確 かにあの兄妹 は、仲 はええよ。でも、妹は妹なんやで。あの二人 は、相手が自分の兄弟やから、好きなんやで?」
「それがどうした。好き合 うてしまえば、血筋 の者かどうかなんて、もう関係ないやろ」
水煙 は話が見えへんかったようで、身構 えて反論 していた。
朧 が何を笑ってんのか、誰 にもわからへん。
この時、その理由が分かってたんは、怜司 兄さんだけやったんやから。
「そら、そうや。関係あらへん。親でも兄弟でも。それが秋津 の因業 らしいけどな。それは血筋 の呪 いやと、暁彦 様は言うていた。呪 われた血筋 なんや。より血の近い者を求める。暁彦 様にとっても登与 様にとっても、お互 い以上に血が近い相手はおらへんかった。それであの兄妹 は、えらい仲 がよかったんや」
「何が言いたいんや、お前は」
さすがに訊 くしかなかった。水煙 も、気味 悪そうに、朧 に訊 ねた。
秋津 の子らのことで、自分にも知らんことがあるとは、悔 しいというような顔やった。
「子供 が欲 しかっただけなんや。登与 様に、自分の子を産んで欲 しいてたまらんのやって。それは変やと思うけど、それを思うと、時々苦しいて、息もできんくらいなんやって。欲 しい欲 しいで、気が狂 いそう。妹がやないで。息子 が欲 しいんやって。跡取 り息子 が、欲 しいてたまらんのやって」
堪 えられへんかったんか、朧 は、あははと、声をあげて笑っていた。
「変やろ? 暁彦 様って。時々変やねん。息子 欲 しいてたまらんのやけど、でも、死んでも作るもんかとも思うんやって。そしたら自分が末代 で……妖刀 ・水煙 を、墓 まで持って行ける」
もう吸 い尽 くしそうな煙草 を眺 めて、朧 はまだ伏 し目 に笑う顔やった。
「でも結局 、あいつは呪 いに負けたんやなあ。だって先生が産まれたんやから。それとも、登与 様に負けたんかなあ。あの人、子供 のころから、お兄 ちゃんの赤ちゃん欲 しい欲 しい言うてたらしいやん。お兄 ちゃんのお嫁 さんになって、赤ちゃん欲 しい欲 しい。でも、それは無理やで、お登与 。普通 やない、普通 やないから、普通 やないよって……言うても結局、あいつも普通 やなかったやんか?」
吸 い尽 くした煙草 を、朧 はぽいっと、そこらに投 げ捨 てた。それは、ぼうっと青白い鬼火 をあげて、宙 にあるうちに燃 え尽 きていた。
「よかったなあ、本間 先生。お前は両親に望 まれた子や。俺も子供 が産めたらなあ。それともあれは、秋津 の女でないと、あかんのか?」
アキちゃん、ぽかんとしていたわ。そして、目が泳いでいた。
アキちゃんは自分の両親が、愛し合って結 ばれたんやと思うていたんやろ。
そらそうや。兄妹 でありながら結 ばれて、子供 まで作ってんのやで。あきらめきれへん強い愛情 が、あったんやと思いたいのが人情 や。
それが呪 いのせいやと言われてもなあ。
今さら言われても。アキちゃんかて目が泳ぐ。
「朧 。この子は父親のことは、ほとんどなんも知らんのや」
せやし、なんも言わんといてくれと、そういう視線 で、水煙 は怜司 兄さんを見ていた。
新しい煙草 を取り出しながら、怜司 兄 さんは、それを意図的 に無視 してるような、余裕 の笑 みやった。
「ああ、そうか……それは、あんまり知らんほうが、ええのやない? なに考えてんのかわからんような、妙 なボンボンやったで。優 しいねんけど、時々鬼 みたい。ちょうど今の、先生みたいに」
「俺のどこが鬼 なんや」
「あの子に帰れて言うてたやん。土壇場 で捨 てんのは親譲 りやで。あいつも言うてた。お前はどこか、地の果 てまで逃 げろ。戦 のないような、遠いどこかに逃 げて、そこで待ってろって」
思い出すとムカムカするらしく、怜司 兄さんは苦 い顔やった。
「帰ってこれるアテもなかったくせに、えらい調子 のええ話やで。先生そっくり!」
それがまるで捨 て台詞 みたいに、朧 様はイライラ言うて、ひらりと身を翻 し、背 で押 さえていた扉 をほったらかして、行ってしまった。
閉 じかけた扉 を、淡 い苦笑 の信太 が、代わって押 さえてやっていた。
「気にすることないですよ、先生。八 つ当 たりやから。怜司 は未 だに腹立 つらしいです。先生のお父 さんから、戦 には連 れていかへん、お前が居 っても役立たずやし、どっか行けて言われたことが」
ともだちにシェアしよう!