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26-34 トオル

 水煙(すいえん)も、新開(しんかい)師匠(ししょう)には見えているけど、(よめ)小夜子(さよこ)には見えへん。  (ひげ)はその世界の(ちが)いを、(よめ)(さと)られたくないのか、水煙(すいえん)には、ひっそりと会釈(えしゃく)をしてみせた。  それに水煙(すいえん)兄さんは、いかにも(えら)そうに、儀礼的(ぎれいてき)(うなず)き返してやっていた。  (ひげ)はちょっと、()まないというか、非礼(ひれい)に気が(とが)めてるふうな目をしていた。  水煙(すいえん)に、合わせる顔がないみたいな、手を合わせて(おが)まなあかんような神さんやのに、失礼しちゃってるという、そういう自覚(じかく)がある顔つきやった。 「パーティーあるからって聞いて、頑張(がんば)っておめかしして来たんやけど、()ずかしいわぁ。なんだか、綺麗(きれい)な人ばっかりで、気後(きおく)れしてしまう……」  赤い顔してうつむいて、小夜子(さよこ)さんはほんまに、肩身(かたみ)(せま)いみたいやった。  小夜子(さよこ)さんは可愛(かわい)いけどさ、まあ、一般人(いっぱんじん)やから。  神々(こうごう)しいような、あるいは(あや)しいまでの美貌(びぼう)のやつらに()じったら、まあ、フツーのオバチャンやわ。  年の(わり)には(わか)いしさ、綺麗(きれい)にしてる。  これが高校生の(ころ)、クラスに()ったら、可愛(かわい)い子やなって、()モテするかもしれへんわ。  せやけど、今日(きょう)のヴィラ北野ではな。ちょっぴり気の毒。  でも、そんな人、小夜子(さよこ)さんだけやないから。どうしようオロオロみたいな一般(いっぱん)(けい)の人、今日(きょう)はなんでか、いっぱいいてはる。  それはヴィラ北野(きたの)招待客(しょうたいきゃく)やった。  藤堂(とうどう)さん、やっちゃった。  後で聞いたら、事前(じぜん)大崎(おおさき)先生と交渉(こうしょう)して、了解(りょうかい)はとってたらしい話やったけども、地震(じしん)が来たら被災者(ひさいしゃ)になるはずの、地元在住(ざいじゅう)従業員(じゅうぎょういん)の家族を、全員招待(しょうたい)したんや。  プレ・オープンの特別ご招待(しょうたい)やで。  しかし、勿論(もちろん)それは、家族を守るためや。  ほんま言うたら、(だれ)でも(かれ)でも(まね)いてやりたいような(めん)はあったんやろけど、それは際限(さいげん)がない。  全神戸(こうべ)市民を()まらせるわけにはいかんのや。  せやし、従業(じゅうぎょう)員の家族だけっていう制限(せいげん)つきで、大崎(おおさき)(しげる)が折れたらしい。  どうも、ホテルの客室は、無限(むげん)にあるようでいて、無限(むげん)ではなかったらしい。  それに明日(あした)にはここは、死の舞踏(ぶとう)との戦いの、大本営(だいほんえい)になるわけやから、あんまり一般人(いっぱんじん)がウヨウヨしてると、(こま)るってことやろな。  そこは()()りどころ。  俺はその(けん)も、後になるまでよう知らんかったけど、藤堂(とうどう)さんは昔、長田(ながた)に住んでた自分の実家の親兄弟を、阪神(はんしん)大震災(だいしんさい)で死なせたらしい。  それが(いま)だに悲しいんで、せめてホテルのために働いてくれている従業員(じゅうぎょういん)の家族ぐらいは、セーフティーゾーンに確保(かくほ)したいなと思ったらしい。  びっくりするけど藤堂(とうどう)さん、別れた(よめ)携帯(けいたい)にも電話したらしいで。俺のホテル()まりに来るか、って。  そしたら初回、無言でブチッて切られたらしい。  それは……そうなるで。あんたアホやで。どんだけアホになってんのや藤堂(とうどう)さん。  それでも()りずにもう一回かけて、明日(あした)は日が悪いから、神戸(こうべ)近寄(ちかよ)らんほうがええかもって、元(よめ)に教えてやったら、言われんでも近寄(ちかよ)りません、いま日本にいませんから! って、音量80ホーンくらいで怒鳴(どな)られたんやって。  なんと、元(よめ)は、傷心(しょうしん)旅行で海外脱出(だっしゅつ)してたんやな。  しかも時差で、向こうは真夜中(まよなか)やった。  藤堂(とうどう)さん、怒鳴(どな)られてもしゃあない。()の悪すぎる元夫(もとおっと)やった。  しかも、よう分からんこと言う、ちょっと不気味(ぶきみ)元夫(もとおっと)やった。  さらにしかも、すでに(わか)い男と再婚(さいこん)してる、てめえの神経(しんけい)(うたが)うわな感じの、あかん元夫(もとおっと)やった。  そういや、(よう)ちゃん、どこいったん?  お前の家族といえば、神楽(かぐら)(よう)姿(すがた)が見えへん。  昨日(きのう)(たし)か仕事があって、教会に(もど)ってるとか言うてたけど、そこでうっかり(われ)(かえ)って、血を()悪魔(サタン)結婚(けっこん)なんかやってられっかって、()げていってもうたん?  俺はフロアに()()っていた、黒スーツ姿(すがた)でキメてる藤堂(とうどう)さんに、あんた一人(ひとり)かと、目で()いた。  別にわざわざ、藤堂(とうどう)さんに()()ったわけやないんやで。アキちゃんが、そっちへ行ったんやもん。  小夜子(さよこ)さんと適当(てきとう)世間話(せけんばなし)してから、その(うしろ)アキちゃんは、中庭(なかにわ)が見えるガラス(とびら)開放(かいほう)されて、行け行けなってるロビーを出て、昼下がりの光に()らされている、陽光(ようこう)のもとに出ていった。  そこはそんなに広い庭ではない。はずやった。  でも、なんでか異常(いじょう)に広い。  元はガーデンテラスがあって、朝飯(さめし)食うための席が置かれているだけやった中庭が、見渡(みわた)(かぎ)りの庭園(ていえん)みたいになっていた。  デザイン的には、(きわ)めてヴィラ北野(きたの)なんやけど、ここはヴェルサイユ宮殿(きゅうでん)かみたいな広さになっている。  まるで小夜子(さよこ)ワールドがダダ()れしてもうてるみたいや。  格調(かくちょう)高く、ロマンチックな中庭が、無限大(むげんだい)(ひろ)がってもうてる。  藤堂(とうどう)さんは、それにもびっくりしてたようやったけど、それよりも中庭の、どことも言えん空中(くうちゅう)(えが)かれた、花の()いてる()の絵に、呆然(ぼうぜん)みたいになっていた。  その()はまるで、空中に()られた見えへん透明(とうめい)フィルムに、(えが)かれているみたいやった。

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