609 / 928

26-35 トオル

 たぶんやけど、(うめ)? なんで、(うめ)? 今、夏やのに、なんで、(うめ)?  なんで(うめ)なんや、ワンワン!  そうやねん、それは勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)()いた絵やったんや。  怜司(れいじ)兄さんが犬に、なんか物足(ものた)りへんなあ。お前、もと美大生(びだいせい)やろ。ここに花でも()いといてくれって、(たの)んでいったんやって。  それで瑞希(みずき)ちゃん、しょうがないから、(うめ)()()いといたんやって。  絵()くのに使ったんやろう。高い脚立(きゃたつ)の上で、油絵用のパレット持って、犬はがっくり項垂(うなだ)れていた。  もう、あかん、みたいな、そんな悲しい姿(すがた)やった。  それを見上げて、まるで()から()りられへんようになったアホな犬でも(なが)めるように、怜司(れいじ)兄さんと、藤堂(とうどう)さんがいた。  二人(ふたり)とも、おんなじくらいの角度で、うっすら(かたむ)いて立っていた。  まるで、目の前にある絵に、脱力(だつりょく)してもうたみたいに。 「ワンワン……お前……絵が下手(へた)やなあ……」  (あき)れたというより、可哀想(かわいそう)みたいに、怜司(れいじ)兄さんが絵の批評(ひひょう)をしていた。  下手(へた)っていうかな。竜太郎(りゅうたろう)(なみ)やないで。言うてもこいつも美大生(びだいせい)やったんやから、一般(いっぱん)水準(すいじゅん)からしたら、上手(うま)いほうやで。  上手(うま)いんやけどなぁ……。 「なんやこれえ……(その)先生の絵みたいやないか、瑞希(みずき)ちゃん」  俺が思わず的確(てきかく)批評(ひひょう)を付け加えると、俺らが来たのに気付いてなかったらしいワンワンは、可哀想(かわいそう)なぐらいビクッとしていた。  もちろんアキちゃんに、ビクッとしたんやで。 「先輩(せんぱい)」  あわあわして、犬はアキちゃんを見た。 「お、俺、……めっちゃ絵が下手(へた)になっている!!」  それが物凄(ものすご)悲劇(ひげき)みたいに、犬はアキちゃんに(すが)()くみたいな声で言うてた。  アキちゃんそれに、そうやなあって言うたもんか、そうでもないでと(うそ)ついたもんか、決めかねてるような、()え切らん顔をした。 「ほんまやで。(たましい)入ってない絵やわ。まるで(その)先生が()いたみたいな……」 「うるさい(へび)! そんな失礼なこと何回も言わんでええねん!!」  俺がもう一遍(いっぺん)言うてやると、瑞希(みずき)ちゃん、顔()()になって(さけ)んでた。  なんやねんそのリアクション。(その)先生が聞いてたら泣くで。 「花とか苦手なんです! 綺麗(きれい)(けい)のもんて、俺は()かへんのです! 無理やってその人にも言うたのに、ええからええから、さっさと()いといてって、頭ごなしなんやもん!」  怜司(れいじ)兄さんを(ゆび)さして、あいつのせいですって、犬が言うてた。  指さしたらあかんのやで、失礼やないか。怜司(れいじ)兄さん、お前より目上の式(しき)やのに。  その目上の式(しき)から命令されて、(さか)らわれへんかったんやな、瑞希(みずき)ちゃん。  そんな不思議(ふしぎ)不思議(ふしぎ)を体験しちゃったんやな。式神(しきがみ)ワールドの悲しい(おきて)を。  お前まだまだ自分の霊力(れいりょく)をうまいこと使いこなせてないのよ。 「なんで(うめ)なんか()いちゃったのかな」  (かたむ)いたまま、藤堂(とうどう)さんがさらに批判(ひはん)した。  瑞希(みずき)ちゃん、それにもビクッとしていた。なんかオッサンのこと、(こわ)いみたい。 「えっ……なにか変ですか」 「だって今、夏やろう? (うめ)は春に()く花やろう? それに……この中庭に(うめ)って。変やろう?」  変やろう、って言われても、ワンワンの目は泳いでいた。  知らんの? 瑞希(みずき)ちゃん。(うめ)が春()く花やってこと。  それくらいは知ってんのやろけど、それを夏場(なつば)のこの庭に()くのが変やってことが、ワンワンにはわからんらしかった。  季節感のない犬や。センスがないというかやな。  それでよう絵描(えか)きになろうとしたよ。  お前、実は美大なんて興味(きょうみ)なかったんとちゃうか。アキちゃん(ねら)いだっただけなんやろ? 「な……夏に()く花のほうがええな、瑞希(みずき)」  可哀想(かわいそう)になったんか、アキちゃんが(かす)れ声で、犬にアドバイスしてやっていた。  瑞希(みずき)ちゃん、それに、ううっ、てなっちゃったみたい。 「すみません。俺そういうの、全然わからへんねん。花なんか、しげしげ見たことないもん」  脚立(きゃたつ)の上で、ほんまに丸くなって、犬はくよくよしていた。 「そ、そうやな……お前そういうの興味(きょうみ)ないねんもんな。建造物(けんぞうぶつ)とか、人物とか動物とか、怪物(かいぶつ)とかしか()かへんのやもんな……」  なんでかアキちゃんまで、犬といっしょにオタオタしていた。  俺は(あき)れて、それを(なが)めた。  そうなんか。この犬って。  そういや、どんな絵を()く犬か、俺は知らんかったわ。  CG科の犬やったんやで。それが日本画科のアキちゃんとコラボで祇園祭(ぎおんまつり)ムービー作ろうとしてたんやからさ。 「代わりに、俺が()こか?」  アキちゃんが(たず)ねると、犬は丸くなったまま、うんうんと(うなず)いていた。 「えっ。先生が()くんですか? それはいいけど、これ、どうやって何に()いてんの?」  すっかりタメ口みたいになっている藤堂(とうどう)さんが、アキちゃんに(たず)ねていた。  そやけどアキちゃんも、何に()いてんのかわからんらしくて、(うめ)の木見上げて首をひねっていた。

ともだちにシェアしよう!