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26-39 トオル
「そうやろか……」
ぷんぷん言うてる朧 様から、水煙 はますます、肘掛 けにぐにゃっとして、逃 げていた。
そう言われると、気が咎 めるらしかった。
「そうやろか、って……そうや! お前だけが分かってへんかったんや!」
怜司 兄さん、若干 マジギレやった。
車椅子 の人相手に、むっちゃ怒鳴 ってた。
髪 の毛 ちょっぴり、ぐちゃぐちゃなってた。
兄さん兄さん、落ち着いて。御髪 が乱 れてますよ。必死なってますよ。お見苦しいですよ。
「まあまあ怜司 。そんな昔の話、今してもしゃあないやろ……」
まあまあて、いかにも、どうどう、みたいな宥 める口調で、信太 が割 って入っていた。
「なにが、まあまあや。なんでまだ居 るねん信太 ! さっさと鳥んとこ行け! ウザい! お前がいると俺はウザいんや!」
めっちゃ信太 にめくじら立ててる朧 様は、どう見ても八つ当たりやった。
それでも信太 は、困 ったなあていう顔のまま、にこにこしていた。
慣 れてんのか、この程度 。
「今、俺にひどいこと言うとうでお前。自覚 あるか」
「あるある自覚 ある。それでもウザいんやお前が! あっちいっといてくれ!」
ギャーッて言うてる、そのお姿 を見ていると、怜司 兄さんちょっと、虎 に甘 えすぎちゃうかと、そういう気がした。
俺が面倒 見てやった虎 やみたいな話しとったくせに、兄さんめっちゃ、虎 のお世話 になってるやんか。
傍目 に見て、精神的 にはガッツンガッツン足蹴 にされてるっぽかったけど、信太 はまだまだ平気そうやった。
「あの人そう言うとうけど、俺もう消えてもいいです? 本間 先生。寛太 も待っとうやろし」
アキちゃんを見上げて、律儀 に聞いてる信太 に、アキちゃんはぎょっとしていた。
「えっ。お前、俺がもう行ってええでって言うのを、待ってたんか?」
「そうやで先生。だって先生の式(しき)やもん。忘 れんといてくださいよ」
トホホみたいに、信太 は言うてた。
アキちゃんもそれに、トホホってなってた。
「すまん。そんなん気にしてもろてると思てなかったんや」
「先生んとこの式(しき)、なってない奴 ばっかりなんやで。もっと締 めてかからなあかんと思いますけどね」
苦笑 している信太 を見ていて、俺ははっとした。
アキちゃんも、はっとしていた。
信太 はそれに、えっ、何? という顔をした。
その時、俺とアキちゃんが信太 の背後 に見ていたものは。めちゃめちゃ全速力で、情 け容赦 なく走ってきてる、赤い鳥さんやった。
寛太 はめちゃくちゃ足が速かった。その気配に信太 が気がついて、振 り向 こうとしたのと、鳥が信太 に飛びついたのが、ほとんど同時やった。
信太 は敢 えて避 けへんかったんやろうけど、普通 の人間やったら、そのまま吹 っ飛 ばされそうな、ものすごいタックルやった。
がしいっ、と信太 の背中 に、鳥さんは抱 きついていた。
まるで何百年も会 うてなかったみたいな、熱い再会 やった。
「どこ行ってたんや兄貴 。探 したんやで!」
「痛 いい。手加減 してくれ寛太 。お前ももう大きいなったんやから」
ほんまに痛 いみたいに、信太 はひいひい言うていた。
鳥さんの力が怪力 なってきているらしい。
それでも寛太 は全く気にせず、嬉 しさ一杯 で、信太 をぎゅうぎゅう締 めていた。
「あかんあかん。ここではあかん。本間 先生ご不快 やから」
抱 き留 めてやりたいけど、そういうわけにはいかんという態度 で、信太 は鳥をたしなめていた。自分から離 れろというふうに。
それを聞いて、寛太 がアキちゃんを、じろりと睨 んだ。
怖 い目やった。目からビーム出そう。鳥さんビィーム。
それはどう見ても、アキちゃんを恨 んでる熱視線 やった。
「なんで? なんであかんの? 別にええやん。本間 先生、関係ないやろ?」
反抗的 に、ますます強く虎 に抱 きついている寛太 の指は、白く関節 が浮 くくらいやった。
ほんまに、我 が物 としてせしめるように、寛太 は虎 を抱 いていた。
それがちょっと、傍目 に見てても痛 そうやった。
お前ちょっと、変やない? 必死すぎへんか。
俺も必死なときって、こんなもん? こんなふうに、見えてんのか?
「関係ないことないよ。今は俺のご主人様やで。言うこときかなあかんのや」
諭 す口調 で鳥に教えて、信太 は自分に縋 り付 いているような寛太 の手を、よいしょと剥 がしていた。
それに寛太 は、ものすご哀 れな顔をした。
「嫌 や、なんで? 兄貴 は蔦子 さんの虎 やろ。本間 先生、関係ないやろ」
「聞いてへんのか、寛太 。こいつは鯰 の生 け贄 に選ばれて、その時まで本間 先生の式(しき)になったんや」
また信太 に縋 り付 きたいみたいな鳥さんに、苦々 しい声で、朧 が教えてやっていた。
その暗い目は、信太 を咎 める視線 をしていた。
お前、言うてへんかったんやなという、そういう非難 や。
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