618 / 928

26-44 トオル

「いや……なんというか。ほんまやねん。俺も正直、意外やったんやけどな。期待値(きたいち)が高すぎたというか。それに俺はちょっと、背徳感(はいとくかん)()える(たち)のようでな。前は自分がキリスト教徒(きょうと)で、こっちが悪魔(サタン)やろ、それがあったけど、今は自分も()とされた後や。神父のほうが美味(うま)い」  あわあわあわ。  その身も(ふた)もない自己(じこ)分析(ぶんせき)に、(とおる)ちゃん、むっちゃあわあわしちゃった。  えっ。そうなの。そういうメカニズムになってんのか、藤堂(とうどう)さん。  実はほんまに、ちょっとマゾ?  やったらあかん俺と、やりたいやりたいで(つら)いのが、実は()かったの?  やってもうたら終わりやったの?  あれで終了(しゅうりょう)? おしまい? The ENDなの?  いっとくの(よう)ちゃん。(よう)ちゃんラブラブなの?  (よめ)がええんか、こんな鬼嫁(おによめ)でも!?  (おに)やでこいつ、お客さんも従業員(じゅうぎょういん)さんも見ている()(まえ)で、お前のことドツキ(たお)したんやで。それでもええの!?  そんなんひどいわっ。  俺が東山(ひがしやま)で、ほんまはお前といちゃつきたいのに、ホテルの人ら見てるしあかんて、どんだけ我慢(がまん)してたと思うとんのや。泣きたい!!  (とおる)ちゃん(みじ)めやわ。(みじ)めすぎて鼻水出てきそうです! 「そんなことってあるんですか」  (よう)ちゃん、フラフラなっちゃったみたいな青い顔になっていた。  でももう、(おこ)ってへん。こいつ(おこ)ってへんで。 藤堂(とうどう)さんのアホみたいな話で、説得(せっとく)されつつあるよ。  アホちゃう? (よう)ちゃん。お前、(だま)されてるよ。このオッサンに(だま)されてる。  浮気(うわき)したけど、お前のほうが()かった。せやし(ゆる)せって、そんな暴論(ぼうろん)があるか。  そんなんあきません!  もっと(おこ)れ。死ぬほど(なぐ)ってやれ。ボッコボコにしてやれ。  どうせ死なへんのや。このオッサンももう不死人(アンデッド)なってる!  二、三回、死ぬ目に()わせてやれ!!  そうでないと俺が可哀想(かわいそう)すぎるうっ!! 「人生の不思議(ふしぎ)やな」  しみじみと、藤堂(とうどう)さんは言うていた。  年齢(ねんれい)相応(そうおう)含蓄(がんちく)があった。 「それなら(ぼく)、出て行かなくてもいいんですか」  突然(とつぜん)気弱(きよわ)そうになって、(よう)ちゃんは()いた。  なんか可愛(かわい)いっぽかった。ちょっぴり泣きそうみたいやった。 「()てられんのやったら、その前に一発ぐらい(なぐ)ってやろうと思って……」  まるでそれを後悔(こうかい)してるみたいに、(よう)ちゃん、両手で目元を(おお)っていた。  反省(はんせい)のポーズかそれは。何でお前が反省(はんせい)する必要あんのや。  (なぐ)られて当然や、こんなオッサン。  もっと(なぐ)ったれ言うてるやろ!  聞こえへんのか(よう)ちゃん、俺のこの、(のど)から血の出るようなモノローグが! 「ごめんなさい。(すぐる)さん。(いた)かったですよね」  えっ。もう終わり? (よう)ちゃん? (よう)ちゃん? 聞いてる、(よう)ちゃん?  (ゆる)してあげちゃうの? (すぐる)さん、死ぬほど(なぐ)ってやらへんのか?  (よう)ちゃん、もじもじ(うつむ)いていた。  (ゆる)して(もら)われへんかったら、どないしよみたいな。  夫婦(ふうふ)ゲンカ終了(しゅうりょう)後の、初々(ういうい)しい新婚(しんこん)さんみたいやった。  ぽっかーん……。 「平気平気。自業自得(じごうじとく)やし。天罰(てんばつ)やと思うとく。それにしても、いいパンチやったな。(こわ)いわあ。(よめ)が男やと。夫婦喧嘩(ふうふげんか)もグーで来るんやもん」  苦笑(くしょう)して言い、藤堂(とうどう)さんはもう治り始めている、うす青く(あざ)になった自分の(あご)(あご)を()でつつ、もう片方(かたほう)の指輪をしている手で、(よう)ちゃんの手を取りに来た。 「手、大丈夫(だいじょうぶ)か、(よう)下手(へた)(なぐ)ると、指が折れるで?」  (なぐ)った右手がなんともないか、藤堂(とうどう)さんは(よう)ちゃんの白い指をなでなでしてやって、(たし)かめていた。  まるで芸術(げいじゅつ)品でも(あつか)うような、大事そうな手つきやったわ。  す……好きなん? その神父。  まさか、す、好きなのか、藤堂(とうどう)さん。  愛しちゃってるの? えっ、そんな。  まるでほんまに、愛してるみたいな空気やった。  今にも赤い薔薇(ばら)出てきそうやった。  お手々にぎにぎが、あともうちょっと長ければヤバかった。  でも藤堂(とうどう)さんは、(さわ)ってみた(よめ)の手がなんともないのに満足したらしく、すぐにお手々を(よう)ちゃんに返してやっていた。  (よめ)はもうちょっと、(にぎ)っててほしそうな顔をしたけど、この場でずっといちゃついとく(わけ)にはいかんと、渋々(しぶしぶ)納得(なっとく)したようやった。 「すみません、お(さわ)がせで。でも、バレちゃったね」  まだ脚立(きゃたつ)の上であぜんとしたままやった俺のツレを見上げて、藤堂(とうどう)さんはいけしゃあしゃあと言うていた。 「先生も、(なぐ)りたかったら()りてきて、(なぐ)っていいですよ。お(さわ)がせついでに」  藤堂(とうどう)さんにそう言われ、アキちゃんは、なんでかそれが、とんでもない事やというふうに、ぶんぶん首()って(こば)んでいた。  なんでやねん、前は水煙(すいえん)でたたっ()ろうとしたくせに! 「あ、そうか。(なぐ)って指折れたらえらいことやね。こんな絵描(えかき)ける天才が、人(なぐ)って指折れたら、途方(とほう)もない損失(そんしつ)や。物で(なぐ)ってもいいですよ?」

ともだちにシェアしよう!