626 / 928

26-52 トオル

「命がけやな、モテんのも……」  俺がそう付け加えると、アキちゃんは異論(いろん)がなかったようで、うんうんと静かに(うなず)いていた。脚立(きゃたつ)の上でな。 「アキちゃん……いつまでそこに登ってんのや。アホみたいやで。アホと(けむり)は高いところに(あが)りたがるっていうやん。()りてこいよ。なんか食おう。美味(うま)そうなもん、いっぱいあるやん」  パーティーなんやし。ヴィラ北野(きたの)のシェフたちが、(うで)()るったらしい食いモンが、あっちこっちに()りつけられてるで。美味(うま)そうな(にお)いがしてる。  ほんま言うたらアキちゃんのほうが、よっぽど美味(うま)そうな(にお)いしてるけど、この(さい)、しゃあない。精進潔斎(しょうじんけっさい)やていうんやから。  アキちゃんに付き()うて、()っぱだけ食うとこか。  よいしょと脚立(きゃたつ)から()りてきて、アキちゃんは、やれやれみたいにその梯子(はしご)段々(だんだん)(もた)れて立った。  見渡(みわた)すと、中庭にもロビーにも、わんさと人が集まっていた。  何千人規模(きぼ)のパーティーなんやし、(だれ)(だれ)やらわからへん。  顔見知りどうしで集まったり、そこらに用意されているソファやらテーブルの席により固まって、無駄話(むだばなし)にうち(きょう)じている皆様(みなさま)は、楽しげにくつろいでいて、とてもこの中に明日(あした)には死ぬ(やつ)()ざっているとは思えへんかった。 「これから丸一日近く、(みな)でここに()るのかな。何してりゃええねん」  手持ちぶさたみたいに、アキちゃんはまだ、(ふで)(にぎ)っていた。退屈(たいくつ)そうやった。  それでも何か、落ち着きがない。  (はら)の底にある体の(しん)が、(かた)緊張(きんちょう)しているみたいに。  なんや、そわそわしているアキちゃんの(そば)に、俺もそわそわ立っていた。  思い出されへん。ふたりっきりの時、どうしていたか。  なんでか急に、思い出されへんようになってもうた。  なんやろ、これ。俺、なんか……()ずかしい。  アキちゃんと、どれくらいの距離感(きょりかん)でいたらええか、わからんようになってもうた。 「(めし)、食おか? アキちゃん、(はら)()ったやろ。もう、とっくに昼飯(ひるめし)の時間やで。あっちにベジタリアン用のメニューもあるっぽいで。(くさ)食いにいこ」  なんや、手(にぎ)りたいなあと思って、俺はアキちゃん連れてくのにかこつけて、絵の具ついてるままの右手を、ぎゅっと(つか)んだ。  アキちゃんなんでか、それにびくっとしていた。  一瞬(いっしゅん)(おどろ)いたようやった指が、ぐいぐい引いてく俺の手を、ゆっくり(にぎ)り返してくるのを、じんわり背後(はいご)に感じつつ、俺はなんでか()れていた。  なんでやろ。なんで()ずかしいのかなあ。  変やで、俺ら。まるで初恋(はつこい)カップルやで。  とっくの昔にやることやってもうて、毎日毎晩(まいばん)組んずほぐれつ、()ては結婚(けっこん)までした使い古しやのに、なんでか今になって、アキちゃんと手を(つな)いでる自分に、俺はドキドキしてもうてた。  (みな)、見てるわ。()ずかしい。  たぶんそれは気のせいやねんけどな。  今さらこの妖怪(ようかい)天国ヴィラ北野(きたの)で、手(つな)いで歩いてるくらいで、(だれ)も見てへんわ。  がっつり()()うてキスしてたかて、(だれ)も見いへんねん。  そんなん普通(ふつう)やねん。巫覡(ふげき)や式(しき)やら言うてる人らの世界ではな!  そうや。普通(ふつう)や。一般人(パンピー)おらんかったらな。  (わす)れてたそれを。  一般人(パンピー)おるんやないか。  それでガン見されとんのやないか。  おっかしいんや、大の男が、お手々つないで、ラブラブうふん、みたいなのは。普通(ふつう)やないんやった。  俺はそんなん気にせえへんけど、アキちゃん、(いや)かな。(いや)なんちゃうか。  ほんまは(いや)やけど、手を()(はら)うわけにもいかへんて、嫌々(いやいや)我慢(がまん)してんのやろか。  俺はそれが急に気になってきて、まだ手を(つな)いだまま、歩いてるアキちゃんを()(かえ)った。 「俺ら、手(つな)いでてもええのん?」  小声で()くと、アキちゃんは、はぁ? みたいな顔をした。 「何言うてんのや、今さら……」  むっと赤面(せきめん)(こた)えた顔して、アキちゃんは(どく)づいた。  それでも手を()(はら)いはせえへんかった。 「だって。変かなと思って。アキちゃん、(いや)なんやろ。普通(ふつう)でないのは」 「(いや)や!」  ガツンと断言(だんげん)されて、俺は内心(ないしん)、ぐふっと思った。  久々(ひさびさ)やな、アキちゃんのこの攻撃(こうげき)は。  出会ってすぐの(ころ)には、なんで女の子やない俺と手(つな)ぎたいのか、アキちゃんずっと(なや)んでたけど、今も引き続き、実は(なや)んでんのかな。 「(いや)やといえば、絵の具ついてる手で(めし)食うのは(いや)や。手洗(てあらい)いたい。お前も(あら)え。(めし)食う前には手を(あら)わなあかんねん」  それもおかんの教えかと思えるようなことを言うて、アキちゃんはどこか、手を(あら)える場所を(さが)している目付きになった。  そんなんトイレやろ。  ロビーの(はし)に、化粧室(けしょうしつ)があるわ。  そこへ行ったらどうやろか。

ともだちにシェアしよう!