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26-52 トオル
「命がけやな、モテんのも……」
俺がそう付け加えると、アキちゃんは異論 がなかったようで、うんうんと静かに頷 いていた。脚立 の上でな。
「アキちゃん……いつまでそこに登ってんのや。アホみたいやで。アホと煙 は高いところに上 りたがるっていうやん。降 りてこいよ。なんか食おう。美味 そうなもん、いっぱいあるやん」
パーティーなんやし。ヴィラ北野 のシェフたちが、腕 を振 るったらしい食いモンが、あっちこっちに盛 りつけられてるで。美味 そうな匂 いがしてる。
ほんま言うたらアキちゃんのほうが、よっぽど美味 そうな匂 いしてるけど、この際 、しゃあない。精進潔斎 やていうんやから。
アキちゃんに付き合 うて、葉 っぱだけ食うとこか。
よいしょと脚立 から降 りてきて、アキちゃんは、やれやれみたいにその梯子 の段々 に凭 れて立った。
見渡 すと、中庭にもロビーにも、わんさと人が集まっていた。
何千人規模 のパーティーなんやし、誰 が誰 やらわからへん。
顔見知りどうしで集まったり、そこらに用意されているソファやらテーブルの席により固まって、無駄話 にうち興 じている皆様 は、楽しげにくつろいでいて、とてもこの中に明日 には死ぬ奴 が混 ざっているとは思えへんかった。
「これから丸一日近く、皆 でここに居 るのかな。何してりゃええねん」
手持ちぶさたみたいに、アキちゃんはまだ、筆 を握 っていた。退屈 そうやった。
それでも何か、落ち着きがない。
腹 の底にある体の芯 が、硬 く緊張 しているみたいに。
なんや、そわそわしているアキちゃんの傍 に、俺もそわそわ立っていた。
思い出されへん。ふたりっきりの時、どうしていたか。
なんでか急に、思い出されへんようになってもうた。
なんやろ、これ。俺、なんか……恥 ずかしい。
アキちゃんと、どれくらいの距離感 でいたらええか、わからんようになってもうた。
「飯 、食おか? アキちゃん、腹 減 ったやろ。もう、とっくに昼飯 の時間やで。あっちにベジタリアン用のメニューもあるっぽいで。草 食いにいこ」
なんや、手握 りたいなあと思って、俺はアキちゃん連れてくのにかこつけて、絵の具ついてるままの右手を、ぎゅっと掴 んだ。
アキちゃんなんでか、それにびくっとしていた。
一瞬 、驚 いたようやった指が、ぐいぐい引いてく俺の手を、ゆっくり握 り返してくるのを、じんわり背後 に感じつつ、俺はなんでか照 れていた。
なんでやろ。なんで恥 ずかしいのかなあ。
変やで、俺ら。まるで初恋 カップルやで。
とっくの昔にやることやってもうて、毎日毎晩 組んずほぐれつ、果 ては結婚 までした使い古しやのに、なんでか今になって、アキちゃんと手を繋 いでる自分に、俺はドキドキしてもうてた。
皆 、見てるわ。恥 ずかしい。
たぶんそれは気のせいやねんけどな。
今さらこの妖怪 天国ヴィラ北野 で、手繋 いで歩いてるくらいで、誰 も見てへんわ。
がっつり抱 き合 うてキスしてたかて、誰 も見いへんねん。
そんなん普通 やねん。巫覡 や式(しき)やら言うてる人らの世界ではな!
そうや。普通 や。一般人 おらんかったらな。
忘 れてたそれを。
一般人 おるんやないか。
それでガン見されとんのやないか。
おっかしいんや、大の男が、お手々つないで、ラブラブうふん、みたいなのは。普通 やないんやった。
俺はそんなん気にせえへんけど、アキちゃん、嫌 かな。嫌 なんちゃうか。
ほんまは嫌 やけど、手を振 り払 うわけにもいかへんて、嫌々 我慢 してんのやろか。
俺はそれが急に気になってきて、まだ手を繋 いだまま、歩いてるアキちゃんを振 り返 った。
「俺ら、手繋 いでてもええのん?」
小声で訊 くと、アキちゃんは、はぁ? みたいな顔をした。
「何言うてんのや、今さら……」
むっと赤面 を堪 えた顔して、アキちゃんは毒 づいた。
それでも手を振 り払 いはせえへんかった。
「だって。変かなと思って。アキちゃん、嫌 なんやろ。普通 でないのは」
「嫌 や!」
ガツンと断言 されて、俺は内心 、ぐふっと思った。
久々 やな、アキちゃんのこの攻撃 は。
出会ってすぐの頃 には、なんで女の子やない俺と手繋 ぎたいのか、アキちゃんずっと悩 んでたけど、今も引き続き、実は悩 んでんのかな。
「嫌 やといえば、絵の具ついてる手で飯 食うのは嫌 や。手洗 いたい。お前も洗 え。飯 食う前には手を洗 わなあかんねん」
それもおかんの教えかと思えるようなことを言うて、アキちゃんはどこか、手を洗 える場所を探 している目付きになった。
そんなんトイレやろ。
ロビーの端 に、化粧室 があるわ。
そこへ行ったらどうやろか。
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