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26-58 トオル
「どないして頑張 るんや。なんも知らんのに」
あっさり言われた正論 に、アキちゃんグサッと来たらしい。思わず髭 師匠 から目を逸 らしていた。
ほんまやでアキちゃん。どないして頑張 るんや。
水煙 おらんと立ちゆかへん。
せやけど、水煙 だけおってもあかんぽい。
あいつ、案外、大ざっぱやねんから。
誰 かもっと、事細 かに面倒 みてくれるような補佐役 が居 といてくれへんかったら、アキちゃんまともに仕事できへんのやないか。
「あのな……本間 。今、誰 がお前の面倒見 てんのや? 誰 かおるやろ、お前の世話 してる大人 が」
「大人 って……俺かてもう大人 ですけど」
「そういう意味やないんや。誰 か世話役 が居 るやろ? そこまで何も知らん奴 に、ひとりで大役 を負 わせようというほど、霊振会 は無茶 やないやろ。相手は鯰 なんやで。失敗は許 されへんのやで」
嫁 を抱 っこしてへんかったら、アキちゃんの肩 に掴 みかかりそうな勢 いで、髭 は問いただしていた。
やっぱこの人も、霊振会 の覡 なんや。鯰 のことを知っている。
ただの剣道場 のおっさんみたいな顔をして、普通 の嫁 ハンもらってるけど、でもやっぱ、一般人 ではない。
「探 したで、秋津 の坊 」
鋭 く響 く枯 れた美声 で、背後 から呼 ばれ、アキちゃんはびくっとしていた。
俺も意外で振 り向 いた。
そこには、どこかで冷酒 の一杯 もひっかけてきたような、どことなく据 わった目の爺 さんが、仁王立 ちに立っていた。
大崎 茂 や。
もっと言うなら、神主 コスプレの大崎 茂 や。
黒の直衣 を着て、長い白髪 を結 い上げ、冠 までつけた、平安朝 のお貴族 様みたいな格好 をした爺 が、水干 姿 の狐 を連れて、俺らの背後 にデデンと構 えていた。
えっ……と。これ、仮装 パーティーやったん?
秋尾 さん、着替 えるだけやと飽 きたらず、しっぽ少年に変身してきてるけど、そこまで仮装 せなあかんの?
なんか爺 と狐 の周りだけ、時代が違 うんですけど。
「なんやねん、その、アホみたいな格好 は!」
俺が言うたんちゃうで。爺 が言うたんやで。アキちゃんを睨 んで。
「アホがお絵かき学校行くんやないんや。正装 をしろ。衣冠 や!」
茂 ちゃん、ぜったい酔 っぱらってたと思うわ。
だってなんか、そんな感じやったんやもん。
そしてその俺の勘 にはハズレはなく、大崎 茂 は蔦子 おばちゃまに付き合わされて、冷酒 をしこたま飲んできた後やった。
水占 の神事 のあと、クヨクヨしかけたヘタレの茂 を元気づけるには、酒入れるしかないと、長い付き合いである蔦子 おばちゃまはよくご存 じで、ホテルの人に頼 んで、景気 よく鏡割 りさせたらしい。
樽 の酒の木の蓋 を、木槌 でパッカーンと叩 き割 って、そこから汲 んだ酒を飲むんやで。
普通 やったら、そのままやと常温 やけど、なんせ蔦子 さんには、冷え冷え妖怪 が付 き従 っているからな。
氷雪 系 の啓太 に命じれば、酒なんか一瞬 で凍 る。氷結 冷酒 や。
蔦子 おばちゃまは、ああ見えて、いける口。酒豪 やねんて。
それも秋津 の血筋 かな。
啓太 に酒、冷やさせて、それを嗜 むのがお気に入りなんやって。
茂 ちゃんもそれをお相伴 した。
しかし酔 っぱらったのは茂 ちゃんだけで、蔦子 さんはまだまだシラフやったらしい。
うちの本家の坊 の面倒 見てやっておくれやす。もはや秋津 の家で教育を受けた、男で覡 はあんただけ。茂 ちゃんだけが頼 りなんどすと、甘 い猫 なで声 で頼 まれて、茂 ちゃん、よっしゃ俺にまかせとけって、いい気分になってもうたんやって。
単純 やな爺 。めちゃめちゃ燃 えてた。
「お前のおとんが着てたのがある。見たとこ寸法 もいけるやろ。それを着ろ」
必要以上の大声で言う、大崎 茂 の横で、にこにこ立ってる平安少年が、これですと言わんばかりに、両手に捧 げ持 っていた着物っぽいものを、アキちゃんに差し上げて見せていた。
それも黒い装束 やった。
茂 ちゃんが着てんのと同じコスプレや。
茂 ちゃんとおソロやで。アキちゃん、さっと青ざめていた。
鈍 いくせに、そういうことはピンと来るんやな。
自分が今から、何を着せられんのか、とっさに悟 ってもうたんや。
「そんなん着たことありません!」
悲鳴みたいに、何の意味もない言 い訳 を、アキちゃんはしてた。
せやけど、そんなもんで逃 げられる訳 あらへん。
「大丈夫 です坊 、僕 が着せますよって」
普段 と口調はいっしょやのに、秋尾 はボーイソプラノやった。
そらまあ、しゃあない、体が子供 やねんから。アキちゃん、それにも引いていた。
「通常 、自分で着るもんやない。お前は黙 って立ってりゃええんや」
えらいお殿様 は、自分で服着たり脱 いだりせえへんのや。側 に仕 えてるモンが着 せ替 えしてくれる。
「秋尾 は慣 れてるさかい、一分もかからんわ」
「はい先生」
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