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26-64 トオル
カルチャーショックは受けるやろけど、死ぬよりええわ。
それにこんな綺麗 な世界を、生きてるうちの人間が、目にすることがあるやろか。
酔 うてきたんか、興 が乗り始めてきた霊振会 の皆 さんは、ずいぶんと、あけっぴろげやった。
日頃 はお堅 く、人のようなふりをしている式神 の皆 さんも、どうにも正体 を現 しがちで、普段 は鈍色 の紗 に隠 れるように、なるべく目立たんようにしてある美貌 も、神戸 の夕景 の空の下で、惜 しげもなく暴露 されていた。
アキちゃんはそういう世界を、どこか切 なそうに見た。
今まで長い間、見えんつもりで生きてきた、異形 の世界や。
それでもアキちゃんにはそれが、ほんまはずうっと見えていたやろ。
そんなもん、見えたらあかんと、自分を縛 ってきただけで、ほんまはアキちゃんはずっと、この世界が好きやった。
だって、アキちゃん面食 いなんやし。綺麗 なものが好きやねん。
美しいもんを、素直 に美しいと思う、そういう心の持ち主や。
こんなもん、この世にあるわけがないと、否定 したのは世間 のほうで、アキちゃんではない。
見とれかけていた、諸々 の光景 から、アキちゃんはふと目を逸 らして、自分の腕 にぶらさがっている俺の顔を、まじまじと見た。
俺にはアキちゃんの目が、爛々 と光って見えた。
それは強い霊力 を持った、強い目やった。
アキちゃんはその目で、俺をじっと見つめた。それを見つめ返し、アキちゃんをじっと見つめる俺の目を。
「亨 」
囁 くような秘密 の声で、アキちゃんは俺に教えた。
「みんな綺麗 やけど、お前が一番、綺麗 やな」
「そうやろか」
マジで言うてるらしいアキちゃんに、俺はびっくりして訊 いた。
アキちゃんは、真面目 な顔で、こっそり頷 いていた。
「うん。そうやで。内緒 やけどな」
聞こえたらそれが、後ろめたいみたいに、アキちゃんはひそひそ言うてた。
そんなん言うたら、他 の人らが怒 ってきはるやろと、アキちゃんは思 うたらしかった。
俺は笑った。なんや、照 れくさい気がして。
「そうかなあ、アキちゃん。そうやろか……」
「そうやて。何遍 も言わせんな。お前、何遍 も言わせようとしてるやろ。わかってんのやで、やめろ」
歩く先を見る、素知 らぬ顔に戻 ってアキちゃんは、ちょっとキレそうみたいに言うていた。
それにも俺は、笑えてきてた。アキちゃん、ほんまに、照 れ屋 やな。
「アキちゃん……俺のこと好き?」
半分ふざけて、俺はそんなことをアキちゃんに訊 いた。
照 れてんのを、からかっただけやけど、そうやって言うてほしくて訊 いた。
「好きや。亨 。なんで今そんなこと訊 くねん。後で二人 のときに話せばええやん」
ぷんぷん照 れながら、アキちゃんは早足 に歩いていた。
それでも腕 組んでる俺の体を、突 き放 しはせえへんかった。
「なんでこんな妙 な格好 して、そんな話せなあかんねん。アホみたいやないか」
「しゃあないやろう。おとんコスやろ。皆 には、ウケてるみたいやで」
俺は苦笑 して、アキちゃんにそれを教えてやった。
庭に屯 する、美貌 の有象無象 の中には、あからさまに、うっとりした目でアキちゃんを、遠く見つめる外道 もおった。
たぶん、アキちゃんが美味 そうなんやろ。
そして、それだけやない。そうやって見つめる目には、懐 かしそうな表情 も、混 じっていた。
外道 にとっては、百年一昔 。
アキちゃんのおとんが現役 で生きていた頃 にも、ここにいる奴 らのいくらかは、普通 に生きていたんやろ。
その時眺 めた、秋津 の殿様 が、懐 かしいのも居 るんやろ。
アキちゃんを見る、あたりの視線 は、斎服 のアキちゃんを、やっと頼 もしい秋津 の後継者 として、見つめたようやった。
馬子 にも衣装 とは、まさにこのこと。形から入るのも大事やな。
アキちゃんは確 かに、強い霊力 を持った、三都の巫覡 の王として、君臨 するに相応 しい、凛々 しくも、美しい、ええとこの坊 に見えてたわ。
出会ったときには、まるで普通 の子みたいやったお前も、こうしてみると、全然普通 ではない。
どう見ても、お前はこっちの人間や。異界 に片足 突 っ込 んでいる。
神やら鬼 とお友達 。
みなぎる霊力 を神通力 に変えて、鬼 を討 ち、神々をたらしこむ。そんな極東 の島の、妖術 使いやで。
好きやアキちゃん。
お前がほんまに普通 の大学生で、普通 にただの天才で、普通 に絵描 きになって、俺と生きていってくれたら、俺はどんだけ幸せやったやろ。
持てる限 りの幸運を、俺はお前に貢 いでやったやろ。
そして二人 で、どっかに豪邸 でもたてて、そこでお前は絵描 いて、俺はそんなお前を見つめて、永遠 に生きた。
それで幸せやって、そんなステキな物語みたいな、シンプルな話にもっていけたやろうに。
憎 いアキちゃん。
そんな淡 い、乙女 チックな夢 なんて、俺はもう、きれいさっぱり捨 てなあかん。
そんな未来は、やってこない。
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