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26-65 トオル

 お前を見つめる外道(げどう)や神の、熱い目を見れば分かる。  アキちゃん、お前を俺だけのもんに、せしめておくのは無理や。  俺がお前と二人(ふたり)っきりになれる日は、もう来ない。  俺はそう、覚悟(かくご)せなあかんなと、自分に言い聞かせていた。  絵のような(ほたる)(ほたる)が、一(ぴき)(ひき)黄昏(たそがれ)始めた美しい庭に、(ただよ)うように()(ちが)っていた。  それはアキちゃんが俺のために()いてくれた、絵の(ほたる)。  綺麗(きれい)やなあと幻惑(げんわく)されて、俺はそれを見つめた。  (はぎ)葉陰(はかげ)()っている、(あわ)い緑色の光を。  その時、不意(ふい)に、ぱちぱちとはぜる篝火(かがりび)の音に()じって、ラララ、と歌う、透明(とうめい)な女の声が、庭全体に(ひび)(わた)ってきた。  (みな)不思議(ふしぎ)そうに、それでも(うれ)しそうに、空を見上げて、その声を()いていた。  声の出所(でどころ)は、すぐにわかった。  ()っぱらいのヘタレの(しげる)が、案内(あんない)してくれた。  ()()革張(かわば)りのソファセットが、なんでか庭にででんと置かれていて、その(おく)一段(いちだん)高くなったところに、ロビーにあったはずのDJブースがあった。  ここ、ロビー? 庭やんね?  なんやもう、よう分からん。  無茶苦茶なってる、藤堂(とうどう)さんのホテル。  でも、とにかくそこに、怜司(れいじ)兄さんはいた。  革張(かわば)りのチェアに(すわ)り、収録(しゅうろく)機材らしい箱形(はこがた)の機械の上に、長々と()そべっている、鳥のような女に、収録(しゅうろく)マイクを差し向けてやっていた。  ラララ、と()(わた)る声で、頬杖(ほおづえ)ついた女は、また歌った。その声をマイクが(ひろ)い、庭中に(おく)(とど)けた。 「ええ声やなあ。こんど、テレビで歌ってみいへん? えらいオッチャン紹介(しょうかい)するよ」  にこにこ愛想(あいそ)よく、怜司(れいじ)兄さんは鳥の羽を身に(まと)った半裸(はんら)の女に、そう提案(ていあん)してやっていた。  女の子はにこにこしていたけど、返事する代わりに、また、ラララ、と歌った。  普通(ふつう)の言葉は、(しゃべ)られへんらしかった。ただ(さえず)るだけで。 「あれえ。(しげる)ちゃんやん。秋津(あきつ)(ぼん)も……」  こっちに気がついて、怜司(れいじ)兄さんはにこにこ愛想(あいそ)いいままの顔で、俺らに挨拶(あいさつ)をした。  せやけど笑った顔のまま、アキちゃんの上で止まった視線(しせん)が、三秒くらい固まっていた。  その間、頭真っ白なってたみたいに、(またた)きすらも止まって見えた。 「どしたん、先生。そんな格好(かっこう)して」 「祭主(さいしゅ)やさかいな。斎服(さいふく)着せてやったんや!」  それがどうしたみたいに言うて、(しげる)ちゃんは、どっかりと、赤いソファに(こし)を下ろした。  それは中央のテーブルを(かこ)んで、ぐるりと二十人くらいは(すわ)れそうな、でっかい豪華(ごうか)年代物(ねんだいもの)やった。 「(よい)うたわあ、(おぼろ)。お(つた)ちゃん、どんだけ飲ませんのや。あれもアキちゃんとおんなじで、底無(そこな)しやな」  顔ごしごしして、()いに苦しんでいるらしい大崎(おおさき)(しげる)に、(きつね)がどこからともなく、冷えた水のグラスを、先生はいどうぞと、甲斐甲斐(かいがい)しく差し出してやっていた。  大崎(おおさき)(しげる)は、あんまり酒に強いほうではないらしい。そのへんも、秋津(あきつ)(やつ)らと(ちが)うところや。 「蟒蛇(うわばみ)やねん、暁彦(あきひこ)様は」  ちょっと()ずかしそうに、怜司(れいじ)兄さんはそう答え、マイクテストに協力した鳥の女の子に、ありがとうって(やさ)しゅう言うてやっていた。  女の子はくすくす笑い、ばさっと唐突(とうとつ)に開いた(つばさ)で羽ばたいて、上空(じょうくう)へと、一気に()(あが)っていった。  あれはハーピーか。それとも、迦陵頻伽(かりょうびんが)か。  どっちでもいいけど、美しい声で歌う、鳥のような女やった。 「そうやなあ。あいつは(へび)やった。人間があんなに飲めるわけない」  水を飲みつつ、大崎(おおさき)(しげる)(うら)んだような口振(くちっぷ)りやった。  大酒飲みの人のこと、蟒蛇(うわばみ)って言うねんで。  それは、大蛇(おろち)の別名でもある。  (へび)はなんでか大酒飲みやと、昔から信じられてきた。  (うそ)やないけどな。俺も酒は好きやし。大蛇(おろち)が大酒飲んで、()うて(あば)れるような神話、いっぱいあるわ。  そんな俺から見てもアキちゃんは、ほんまに酒が強い。最初に()うた東山(ひがしやま)のホテルのバーでも、めちゃめちゃいい飲みっぷりで、思わず笑けてくるぐらいやった。  アキちゃんは底無しや。  しかも、()えば()うほど、本性(ほんしょう)が出てくる。  あいつ、ほんまは、タラシやないか。  そんな本性(ほんしょう)、ずうっと(かく)しといてもらいたいけど、ここだけの話、例のバーでは、俺のことめちゃめちゃ口説いてたんやで。  別に何か、色っぽいこと言うわけやないんやけども、アキちゃんが、俺のこと、好きやって顔して、にっこり笑うと、なんや、めちゃめちゃ可愛(かわい)くて、トキメくねん。ほんまやで。  その人なつっこい可愛(かわい)げのある面(つら)で、(あま)えるように言うねん。  (さび)しいねん。俺をひとりにせんといて。一緒(いっしょ)にいてくれ。(さび)しいねんて、めっちゃストレートなんやで。  それに何や、(ほだ)されてもうて。  この子、俺がおらんかったら、生きていかれへんのやないかって、そんな勘違(かんちが)いをさせられた。  どっちか言うたら、その時点(じてん)でも、生きていかれへんのは、俺のほうやったのにな。

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