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26-67 トオル

「うん。先生な、暁彦(あきひこ)様が、(しげる)、俺は死ぬけど、(わす)れんと、時々思い出してくれ。(ぼん)にでも、って(わか)(ぎわ)(たの)んできはったのをな、やかましわ、亡者(もうじゃ)なんぞ知るか、死んだら綺麗(きれい)さっぱり(わす)れてまうからな、このドアホーって(さけ)んで、(みなと)号泣(ごうきゅう)しはってん。それで()ずかしいて、合わせる顔がないわけ」 「かっこわる(しげる)ちゃん」  情感(じょうかん)たっぷりにチクるしっぽ少年の話に、怜司(れいじ)兄さんは顔を(ひそ)めて、率直(そっちょく)にコメントしてた。 「余計(よけい)な口きくな、秋尾(あきお)」 「はいはい、すみません」  むっとして、ソファで腕組(うでぐ)みのまま苦虫()みつぶしている大崎(おおさき)(しげる)の低い怒声(どせい)に、秋尾(あきお)はめっちゃ棒読(ぼうよ)みに(あやま)っていた。悪いと思ってるようには聞こえへんかった。 「帰ってくるアテがあったんやったらな、そう言うたらよかったんや。水くさいんや、あいつは。アキちゃんはお前にも、なぁんも言うてへんかったんか、(おぼろ)」  ブチブチ言いつつ、大崎(おおさき)(しげる)はなにげに()いたが、怜司(れいじ)兄さんは、(だま)っていた。  ちょっと考えてみているにしては、えらい長い、だんまりやった。  アキちゃんがなんや、(いや)ぁな予感してるようなビビリ顔で、怜司(れいじ)兄さんの顔を、(ぬす)()していた。  俺もなんや、(いや)ぁな感じしたわ。  怜司(れいじ)兄さんを()()いている(けむり)が、えっらい()いような気がして。そこに(すわ)っている姿(すがた)が、もやもやボヤけるくらい、複雑(ふくざつ)(から)()った(けむり)が、細身(ほそみ)の体を(つつ)んでいた。 「さあ。なぁんも言うてへんよ。言うわけないやんか、(しげる)ちゃん。(えん)もゆかりもない外道(げどう)に、(えら)巫覡(ふげき)の王様が、なにを言い残していくんや」  平気そうに言うている、怜司(れいじ)兄さんの声が、(かす)かに()れているような気がして、俺は心配になり、(うつむ)きがちに酒を()めている、(かす)みの向こうの黒い(りゅう)を見つめた。  怜司(れいじ)兄さん、めちゃめちゃ暗かった。  こんな暗いと、同じ人と思われへん。  まるで暗闇(くらやみ)の中に、うっそり蜷局(とぐろ)()いてる、手負(ておい)いの(りゅう)のようや。  秋尾(あきお)大崎(おおさき)(しげる)(となり)腰掛(こしか)けて、座面(ざめん)の高いソファのせいで、(ちゅう)()いている足を、ぶらぶらさせていた。 「保証(ほしょう)がないから、なにも言わへんかったんとちがいますやろか。戦後、この国がどないなるか、暁彦(あきひこ)様は知らんかったのやし、英霊(えいれい)を神として(まつ)るようなことになるかどうか、わからんかったんやもん。帰ってきはったって言うたかて、それは結果論(けっかろん)ですやろ。まかり間違(まちが)えば、あのまま本土決戦(ほんどけっせん)で、日本全国津々浦々(つつうらうら)まで、焦土(しょうど)()してたかもしれへんのやし、日本という国は、地図から消えていたのかもしれへん。(てき)さんは、それくらのいの火力(かりょく)は、持ってたんですやろ、あの当時」 「持っていたと思う」  ぽつりと怜司(れいじ)兄さんは、秋尾(あきお)の話に答えた。 「(しげる)ちゃん……あのな。俺はあの当時でも、無線(むせん)傍受(ぼうじゅ)できた。(てき)暗号文(あんごうぶん)も、解読(かいどく)できたと思う。そんな俺が、秋津(あきつ)にとって、ほんまに役立たずやったやろか。俺を連れていっとけば、役に立ったはずや。実際(じっさい)暁彦(あきひこ)様は俺んちで、各国のラジオ放送とか、いろんな傍受(ぼうじゅ)電波を聞いて、国際(こくさい)情勢(じょうせい)正確(せいかく)(つか)んでいた」 「アキちゃん、お前んちに、音楽()きにいってたんとちゃうかったんか」  心底びっくりしたように、大崎(おおさき)(しげる)()いていた。  怜司(れいじ)兄さんは、それに少々、気まずいという顔をした。 「(ちが)うよ。そんな(あま)ったるい子やなかったよ。気晴(きば)らしもしたかったやろけど、それ以外のメリットもあるから、俺んとこに来たんやろ」  おとん、ニュース見に、怜司(れいじ)兄さんとこ行ってただけやったん?  (みな)は知ってるかどうか、わからへんけど、戦時中の日本ではな、新聞に、国の(えら)い人にとって都合のいい(うそ)が書いてあってん。  戦争、めちゃめちゃ負けてんのに、大丈夫(だいじょうぶ)や心配すんな、うちら勝ってるで、とか、そんなテキトーなこと書いてあったんや。  それが(うそ)やということは、分かってる人らには、分かっていたけども、ほな、実際(じっさい)にはどうなってんのかという正確(せいかく)なところは、(だれ)にとっても(なぞ)やった。  ネットもないし、公式の情報網(じょうほうもう)から正しい情報(じょうほう)が得られないんやったら、大抵(たいてい)の人らにとっては、戦局(せんきょく)五里霧中(ごりむちゅう)やった。  せやけど、おとんは知ってたんやな。ラジオの(せい)とデキてたんやから。  怜司(れいじ)兄さんは、世界中の国の言葉も話せるし、地球を()()うあらゆる電波とも、アクセスできてた。  (うわさ)(つか)むことにかけて、怜司(れいじ)兄さんはプロやから。そういう妖怪(ようかい)なんやから。  おとんは怜司(れいじ)兄さんに、最近、国際(こくさい)情勢(じょうせい)はどうやと()けば、知ることができた。日本が負けつつあることを。  それを知っていたからこそ、怜司(れいじ)兄さんは、おとんを()れて()()ちしよかと(おも)()めたんやし、おとんも(おも)()めた。  今戦わんかったら、いつ戦うんやと。 「実際(じっさい)そうやって、俺が役に立つって、知ってたくせに、なんで()れていかへんかったんや」

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